2014年ハイチ・ドミニカ報告【特集】
隣国へ子ら売買 置き去りの路上
ハイチから密入国し、路上で生活するリカルド・フィゼーヌ君(右)
=ドミニカ共和国・サントドミンゴで6月
◇「奴隷」いまも物乞い、靴磨き
ドミニカ共和国の首都サントドミンゴ。世界遺産の歴史地区「ソナ・コロニアル」には16世紀に建てられた教会や聖堂などスペイン植民地時代の町並みが今も残る。土産の買い物袋を手に提げた観光客がにぎやかに行き交う午後9時。地区の外れにある広場ではハイチから来たストリートチルドレンたち数人が寝ていた。
「ハイチでは貧しくて食べられなかったから、自分で国境を越えてきた」。その一人リカルド・フィゼーヌ君(13)は5年前、ドミニカに渡ってきた。ドミニカとの国境近くの農村で生まれた。父はおらず、母カトリーヌさんと4人の兄弟と暮らしていた。カトリーヌさんは路上で食べ物を売っていたが、非常に貧しかった。
「母さんは僕が家で宿題をしているのを優しい目で見ていたんだ」。カトリーヌさんは自分の食事を抜いて、長男のリカルド君を学校に通わせた。リカルド君は学校で先生に褒められると、走って帰り、カトリーヌさんに伝えた。「母さんが喜ぶ顔が好きだった」
しかし、そんな日々が暗転する。8歳の時だ。ある日、学校から帰ると、親戚たちが集まり、泣き崩れていた。ベッドには息をしていないカトリーヌさんが横たわっていた。路上で食べ物を売っている最中車にひかれ亡くなった。「僕たちを置いていかないで」。リカルド君はそう叫んで泣き崩れた。
しばらくして、「レスタベック(子ども奴隷)」として叔母に預けられた。食事を十分にもらえず、学校にも通わせてもらえなかった。来る日も来る日も家事をする日々。3カ月ほどたったある日、友人が言った。「ドミニカは豊かだ。行けば良い暮らしができる」。リカルド君は、叔母の家を抜け出し、歩いて国境を越え密入国した。
「こんな悲惨な暮らしになるとは思っていなかった」。ドミニカに渡ってすぐに過酷な現実を思い知らされた。ハイチの言葉が通じず、仕事も住む場所もない。同じようにハイチから来た子どもたちと一緒に、観光客に物乞いしたり、靴磨きをしたりして生きてきた。「母が死んで人生が変わってしまった。なんでこんなことになったのか。ハイチに帰って兄弟に会いたい」。そう言って涙を浮かべた。
「路上での生活を抜け出したい」と話すネルソン・ピエール君
「おれのサンダルを盗んだやつは誰だ」。リカルド君にインタビューをしていると、ネルソン・ピエール君(14)がハイチ・クレオール語で叫んでいるのが聞こえた。彼もまた路上で暮らしている。「先週も盗まれた。路上で生活しているとこんなことばっかりだ。こんな生活はもう嫌だ」。3時間以上捜しているといい、左足の裏は血がにじんでいた。
ハイチの貧しい漁村で生まれた。5歳の時に母が病死した。しばらくして父と一緒に歩いて国境を越えドミニカに密入国した。しかしサントドミンゴに着くと、父はネルソン君を路上に置いて消えてしまった。今も行方は分からない。それ以来、路上で靴磨きや物乞いをして暮らす。「ただ、生きるために食べて、食べるために生きる。その繰り返しさ」。そう言って再び盗まれたサンダルを捜すため歩き始めた。