主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2015年ネパールから 少女たちの祈り ~さくら寮~

ペン先に光る決意

学校内で笑顔を見せるネルマラ・ガイリピリさん(中央)=ネパール・ポカラのカニヤ・キャンパス・ポカラで

学校内で笑顔を見せるネルマラ・ガイリピリさん(中央)
=ネパール・ポカラのカニヤ・キャンパス・ポカラで

 さくら寮で暮らす20人は出身地も年齢も違うが、共通するのは「勉強がしたい」という強い思いだ。少女たちは、学ぶことで人生を変えようとしている。

 「こんなチャンスはもう巡ってこない。どんなことがあっても、ここで勉強しないといけないんです」。ネルマラ・ガイリピリさん(18)は今年7月、覚悟を決めてさくら寮に来た。4月にあったネパール大地震の震源地に近いダディン地区カルラ村の出身で、自宅は全壊した。しばらくは近くの畑にビニールシートでテントを張って暮らし、震災から半年以上たった今も両親と2人の兄はトタン板で作った仮設住居で暮らす。

 震災で不安になった母親は一人娘のネルマラさんがポカラに行くことに反対し、「遠くに行かないでほしい」と引き留めた。迷いを見せたネルマラさんの背中を押したのは父親だった。出発の朝、母親は泣きながら見送ってくれた。出発前に両親が無理をして買ってくれた新品のスニーカーは、がれきの中から引っ張り出した着替えと一緒にロッカーに大事にしまってある。それを見るたび、「しっかり勉強しなさい」と言われているようで、気持ちが奮い立つ。

 意志の強そうな瞳をしたギタ・ジョシさん(16)も今年7月、夜行バスを3日間乗り継いでポカラに来た。古里のダルチュラ地区リタチョーパタ村は、極西部のインド国境近くの山村だ。

 通っていた村の学校で10年生を修了できた同級生の女子生徒は、ギタさんを含めて2人だけ。ギタさんは村を出られたが、もう1人は結局、村から出ることを家族に許してもらえず、進学を諦めた。

 同級生の3人は結婚し、うち1人は14歳の時に嫁ぎ先で家事をするために8年生で学校をやめた。親が決めた相手と結婚させられた子もいるという。ギタさんの両親は女子教育に理解があるが、村では少数派だ。「子どものうちに結婚するのは間違っていると思ってきた。村に帰ったら、私の生徒には卒業まで勉強を続けさせます」

明治の師範学校 モデル

日本ネパール女性教育協会の山下泰子(やました・やすこ)理事長

日本ネパール女性教育協会・山下理事長
(やました・やすこ)東京都出身。法学博士。文京学院大名誉教授。女性差別撤廃条約に関する研究が専門。

日本ネパール女性教育協会・山下理事長に聞く

ネパールで女性教師の育成に取り組んできた日本ネパール女性教育協会の山下泰子理事長(76)=写真=に、同国での女子教育の現状や今後の活動について聞いた。

 ネパールの女子教育の現状を教えてください。

 1990年代からネパールで教育環境を調査する中で、「学校に行ったことがないから夢なんて語れない。ただここで生きて、死んでいくだけ」と話す少女に出会った。息子は学校に通わせるが、娘には草刈りや水くみなどをさせるという親が多く、少女は学校教育から見放されていた。山村では派遣されてきた正規教員が子どもの話す現地語が分からず授業ができない学校や5年生までしか修了していない教師もいた。女子教育の普及とともに教師の質の向上も必要だ。

 さくら寮の理念は?

 壺井栄の小説「二十四の瞳」の大石先生のように、子ども一人一人を大切にし、凜(りん)とした女性教師の育成を目指している。さくら寮は日本の女子教育に貢献した明治時代以来の女子師範学校制度をモデルにしており、全寮制で学費などすべての費用を協会が負担し、卒業後3年間は古里の村で教師になることを義務付け、給料を支援している。

 今後の活動は?

 「おなご先生を100人育てる」というのが当初からの目標で、今年7月に入った10期生が卒業すれば達成する。今後は卒業生の教育技術の向上のために研修を行う。ネパール教育省に対しては、「さくら寮モデル」を生かした女子師範学校を全国に設置するよう提言する活動に力を入れる。山村の少女が少なくとも5年制の小学校を卒業できるように活動を続けていきたい。

Back

Next