2015年ネパールから 少女たちの祈り ~さくら寮~

停電の時間帯に太陽光で発電するランタンの明かりを使って自習する寮生=
ネパール・ポカラのさくら寮で2015年9月14日、幾島健太郎撮影
貧困や性差別から教育を受ける機会に男女格差が残るネパールで、辺境の村で育った少女たち自らが教師になって女子教育を変えようと奮闘している。同国では「女の子だから」という理由で、学校に通えなかったり、進学を諦めたりするケースが珍しくない。「一生懸命勉強して先生になって、後に続く子どもたちが『勉強を続けたい』と思える目標になりたい」。彼女たちは自分たちが教壇に立つ姿が、女子教育の未来につながると信じている。寮生活を送る彼女たちの姿を追った。【文・武内彩、写真・幾島健太郎】
ネパールで、少女たちの目標となるような女性教師を育てる――。女子教育の普及に取り組むNPO法人「日本ネパール女性教育協会」(東京都)は、山村の学校で教壇に立つ「おなご先生」の育成に取り組んできた。これまでに80人を養成し、僻地(へきち)の学校へ送り出した。「私も先生みたいになりたい」。少女たちは、同じような境遇から夢をかなえた先生の姿に憧れ、机に向かう。 国内第二の都市ポカラで同協会が運営する「さくら寮」。成績優秀でやる気もあるが、経済的な理由で進学が難しい生徒を奨学生として迎え、隣接する女子校「カニヤ・キャンパス・ポカラ」で2年間、教職課程を学ぶ機会を提供する。2006年から毎年10人ずつ、国内でも開発が遅れているとされる極西部などの山村出身者を受け入れてきた。卒業した後は古里の村に戻り、教壇に立つ。目指すのは、小説「二十四の瞳」で「おなご先生」と呼ばれて慕われた大石先生のような女性教師だ。
ピンクの外壁が目を引く3階建ての寮では現在、15~19歳の9、10期生計20人が暮らす。1階に台所と食堂、リビングスペースがあり、2、3階にベッドと勉強机、ロッカーが備え付けられた2人部屋が並ぶ。トイレやシャワーは共同で、料理や掃除は当番制だ。電力不足のため、夜は太陽光発電の蓄電池を使ったランタンの明かりで勉強する。
上級生と下級生が2人で使う部屋は簡素で、女子学生らしい可愛らしい小物類はほとんどない。ロッカーの中もわずかな着替えがあるだけだ。みんな小さなかばんに身の回りの物だけを詰めて寮にやって来る。陸路では行けない辺境の村から小さなプロペラ機に乗って来たり、学費のために建設現場で日雇い仕事をしたり、どの寮生も厳しい生活環境で暮らしてきた。
国連児童基金(ユニセフ)によると、ネパールの15~24歳の識字率は男性89%に対して女性は77%にとどまる。15歳以上の人口でみた女性の識字率は、対男性比66%と低い。寮生たちが生まれ育った山村では、女子生徒が結婚して学校をやめたり、貧困のために中退することも珍しくない。「女の子は学校に行かなくてもいい」という考えが残り、本人たちもそれにのみ込まれてしまう。
寮生たちは努力が認められ、幸運にも学ぶ機会を得た。ただ、彼女らの背後には、学ぶ機会を逃した多くの少女たちがいる。
さくら寮で学んだ後に母校の教師となったラダ・アワスティさん(中央)
=ネパール・アシグラム村で
長い髪をさっと束ね、ピンクのネックレスを着けた「ラダ先生」が、4年生の12人を前に英語の授業を進めていた。昨年5月にさくら寮を巣立ったラダ・アワスティさん(20)は、古里の学校で子どもの頃からの夢だった教師になった。教壇に立つ姿にはまだぎこちなさも残るが、都会で学び洗練されて帰ってきた姿は、女子生徒たちの憧れだ。澄んだ「二十四の瞳」がラダさんを見つめていた。
ラダさんが教えるのは、生まれ育った極西部のダデルデュラ地区アシグラム村にあるサラスワティ公立学校。長距離バスが通る山道から急な坂道を上った先にあり、1~10年生の207人が通う。教師は14人で、うち政府が給料を支払う正規教員は校長ら数人。ラダさんのように2年間の教職課程を修了して、教員資格試験に受かれば教壇に立てるが、正規教員ではなく、給料は村人が出し合って支払う。ネパールでは政治の混乱のため、小学校の正規教員になる教員採用試験が13年に17年ぶりに実施されたが、その後は一度もないままという。
9月のある日の午後。ラダさんが手作りの図を使いながら、4年生の児童に大きな声で英語で動物の名前を反復練習させていた。うまく発音できると大げさなくらいに褒め、クレヨンでノートに動物の絵を描いておさらいをさせる。子どもたちが授業に飽きないように気を配っていた。
大きな瞳でラダさんの姿を追っていたシャリタ・アオスティちゃん(9)は、英語の授業が大好きという。丁寧に絵を仕上げて一番にラダさんに見せ、ノートに「よくできました」と書いてもらうと、友達に見せて自慢した。「ラダ先生がいるから、学校に行きたいなって思うの。私も先生みたいになりたい」と照れながら話した。
ラダさんがサラスワティ公立学校で学んでいた当時、同級生の女子は16人いたが、半数近くは10年生を終える前に結婚して学校をやめた。ラダさんは「日本ネパール女性教育協会」の奨学生に選ばれて無償で勉強できたが、他に進学できたのは2人だけ。山あいの農村では十分な現金収入は見込めず、男性の多くもインドなどに出稼ぎに行くという。
ラダさんの給料は3年分は協会が負担するが、その先は村人に「給料を支払う価値がある」と認めてもらわなければならない。今年、毎月6000ルピー(約7200円)の給料をためて隣町にある大学に通い始めた。学校から帰宅後に勉強し、休日にバスで大学に通う。「もっと勉強していい先生になりたい。教員採用試験にも挑戦するつもり」