2015年ネパールから 少女たちの祈り (6)

笑顔で手を振り「行ってきます」。寮から登校するゴマ・ガレさん(中央)ら
=ネパール・ポカラで2015年9月14日、幾島健太郎撮影
「どんなことがあっても勉強は続けたかった。学ぶのを諦めようと思ったことは一度もないです」。学費工面のため石運びの仕事にも就いたことのあるゴマ・ガレさん(18)は今夏、これまでの努力が認められ、ネパール第2の都市ポカラの学校で奨学生として学び始めた。卒業したら古里の村に帰って小学校の先生になるつもりだ。
ゴマさんが生まれたのは、ポカラから徒歩とバスで3日かかるというゴルカ地区ケロンガ村。両親は幼い頃に亡くなった。6歳上の兄が結婚したのを機に6年生のときから実家を出て、少数民族や低カースト出身の貧しい少女が暮らす寮に入った。政府が無償で食事と寝る場所を提供するが、約120人が暮らす寮では2段ベッドが押し込まれた部屋で30人が寝起きし、人数が増えればベッドも共有したという。
ゴマさんの兄は自分の家族を養うために2年前からマレーシアに出稼ぎに行き、警備員として働く。インフラ整備が遅れる山間部では、海外への出稼ぎは主要な「産業」だ。兄はわずかながらも妻子に仕送りをしているが、ゴマさんの面倒までは難しい。ゴマさんは今春、10年生を修了して寮を出ることになったが、どうしても進学を諦めきれなかった。
そのため自分で学費をためようと、実家から徒歩で2日かかる町の建設現場で、住み込みの石運びの仕事を見つけた。竹で編んだかごに石を入れ、通したひもを頭と肩で支えて運ぶ。午前7時から午後5時まで、途中1度の食事休憩以外は働きづめだ。身長150センチほどのゴマさんの両肩の皮膚はすぐにはがれた。1日500ルピー(約600円)にしかならず、「このまま石運びをして一生を終えるのかも」という不安が頭をよぎったという。
救ったのは、現地で女子教育の普及に取り組む認定NPO法人「日本ネパール女性教育協会」(東京)だ。学校在籍時に成績優秀だったことから、今年7月、推薦を受けて奨学生に選ばれた。ポカラにある同協会の学生寮で暮らし、無償で2年間の高等教育を受けられることになった。また勉強できると分かった時は、うれしくて涙が出た。
石運びでためたお金で買ったという真新しいリュックサックにわずかな着替えだけを詰め、ポカラにやって来た。都会暮らしに戸惑うこともあるが、同じような境遇の仲間と教師を目指して頑張っている。「ケロンガに帰ったら優しい先生になりたい。次は私が村の女の子たちにしっかり勉強するように教えるつもり」【文・武内彩、写真・幾島健太郎】=おわり