主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2016年ヨルダンのシリア難民 熱砂のかなたに (1)

空爆が続くアレッポから逃れてきたサーミア・アルアリさんと長男アマールちゃん=ヨルダン・ザルカ県のアズラック難民キャンプで、久保玲撮影

空爆が続くアレッポから逃れてきたサーミア・アルアリさんと長男アマールちゃん
=ヨルダン・ザルカ県のアズラック難民キャンプで、久保玲撮影

  乾いた大地から砂煙が立ち上っては消え、雲一つない青空は黄みがかっている。ヨルダンの首都アンマンを車で出発し、東に約1時間。道路の先に戦車や警察車両が目に入った。シリアから逃れてきた約3万6000人が暮らすアズラック難民キャンプの入場ゲートだ。

 政府発行の取材許可証を示して通過すると、ジーンズ姿の警察官が車に乗ってきた。全ての取材に同行する決まりという。先に進むと、高さ3メートルほどの有刺鉄線付きフェンスが現れた。向こう側にはキャラバンと呼ばれる居住用のコンテナ。「撮影するな」。カメラを手にすると制止された。

 フェンス内には今年4月以降に入国した数千人のシリア難民が暮らす。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、このキャンプの難民は過激派組織「イスラム国」(IS)の脅威が迫るシリア北部のアレッポ出身者が4分の1を占める。「イスラム国とのつながりがない」と警察当局が確認するまで、移動を禁じられている。

 今年6月、シリア国境近くでISが自動車爆破テロを起こし、治安当局者ら7人が死亡した。この事件以降、政府は新たなシリア難民を受け入れていない。「いつシリアやトルコのような大規模テロが起きてもおかしくない。キャンプの私服警官が増えた」と国連機関の職員も口をそろえる。

 9月末、警察当局の「身辺調査」が終わり、フェンスの外に移ったばかりのサーミア・アルアリさん(37)宅を訪ねた。空爆が続くアレッポから長男アマールちゃん(4)と2人で逃れ、3年前に出稼ぎでアンマンに出た夫を追ってきた。

 10畳ほどの薄暗いキャラバンの室内。硬い石の床に2枚のマットレスが敷かれ、食器や衣服などわずかな荷物の上にコーランが置かれていた。「この子が通うはずだった学校も爆撃された。夫が戻っても古里には何も残っていない。未来を思い描くことさえできない」。膝に乗せたアマールちゃんに笑顔を向けるが、口をつく言葉は絶望に満ちていた。キャンプの不満を尋ねると、「ここはとても良いところよ」と何度も強調した。隅に座る警官が黙々とメモを取っていた。

 数日後にサーミアさんを再訪すると、外出の許可申請のための窓口にいた。連日数百人が列を作る。警官が離れた際に本音がこぼれた。「電気はなく夜は真っ暗。アンマンで早く夫と暮らしたいのに、いつになったら許可が下りるの」。顔を覆うヘジャブからのぞく瞳は潤んでいた。

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 2011年春に始まったシリア内戦で、約480万人が国外に逃れた。隣国ヨルダンでは65万人が帰郷を願いながら厳しい生活を送る。終わりの見えない紛争に翻弄(ほんろう)されるシリア難民の子どもたちの姿を報告する。【文・津久井達、写真・久保玲】

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アズラック難民キャンプ

首都アンマンの北部に位置するザルカ県に2014年4月、ヨルダン政府が設置した。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などが運営をサポート。14・7平方キロの敷地に約3万6000人のシリア人が暮らす。58%18歳未満。収容者には1日1人当たり4枚のパンが配られるほか、月20ヨルダン・ディナール(約3000円)が支給され、キャンプ内のスーパーマーケットで買い物ができる。

 

コネなくカネなく 手術待つ日々

生まれつき背骨と左足の骨がゆがんでいるハサン・ゼイナブちゃん=ヨルダン・ザルカ県のアズラック難民キャンプで、久保玲撮影

生まれつき背骨と左足の骨がゆがんでいるハサン・ゼイナブちゃん
=ヨルダン・ザルカ県のアズラック難民キャンプで、久保玲撮影

 10月に入っても日中は30度を超えるヨルダンのアズラック難民キャンプ。居住区域から数百メートル 離れた共用の水道に子どもたちが集まり、持ち寄ったプラスチック製タンクを次々と満たしていく。のどを潤 し、頭から水をかぶり一息つくと、タンクをかついで自宅を目指す。各家庭に水道が引かれていないキャンプ の日常的な光景だ。

 父親のハサン・アリさん(36)の腕に抱かれた次女ゼイナブちゃん(4)は、親やきょうだいを手伝う 同じ年ごろの子どもたちを大きな瞳で見つめていた。頭を振るたび、カールした柔らかな黒髪が揺れる。「5 人きょうだいの誰よりも頑固で、他の子のように外で遊ばせるようせがむんだ。一人で歩くことはできないの に……」。ゼイナブちゃんの左足をさするハサンさんの表情は険しい。

 背骨がS字にゆがみ、左足のくるぶし付近の骨が内側に曲がる障害を持って生まれた。直立するとくるぶ しで体重を支えなければならず、骨を痛めてしまう。背筋を伸ばせず、身長は2歳の妹と変わらない。

 シリアの病院では「手術に25万シリアポンド(約12万円)かかる」と通告された。アレッポ近郊の村 にあった自宅は空爆で破壊された。建築現場での職も失い、幼い子どもたちの食事にも困る日々。シリアを出 るための費用すら工面できず、手術に回す金はなかった。

 今年に入り、ゼイナブちゃんの障害を知った慈善団体からシリアを出るための寄付の申し出があった。昼 も夜も爆撃機が上空を飛ぶ生活に疲れ、5月に古里を出る決心をした。トラックの荷台に、7家族が体を寄せ 合ってヨルダンへ。越境を手引きする仲介者に渡す金が用意できず、国境でシリアに戻される家族を見て胸が 痛んだ。

 ヨルダンに到着すれば、国連の支援ですぐに治療を受けられると信じていた。しかしキャンプの病院で「 ここで治療はできない。早くアンマンの整形外科で治療を受けさせた方がよい」と助言された。キャンプを出 るための許可申請を3カ月前にしたが、なぜか手続きは進んでいない。

 「コネがあればすぐに外出許可が出る」「金を渡さなければいつまでも待たされる」。キャンプ内では、 さまざまなうわさが飛び交う。しかし、ヨルダンに知人はなく、貯金もないハサンさんにできるのは待つこと だけだ。

 毎日欠かさないイスラム教の礼拝の準備を始めると、ゼイナブちゃんは両腕を使って左足を引きずりなが らハサンさんに近付く。そしていつも同じおねだりをする。「お父さん、私の足が治るようにお祈りしてくれ ますか」 【文・津久井達、写真・久保玲】=つづく

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