主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2014年ハイチ・ドミニカ報告 見えない鎖 (2)

隣国に12年、涙で許した

児童売買でハイチからドミニカ共和国に売られ、路上で生活するジュニオール・ディステニー君。靴磨きの客を待つ間も、観光地のネオンや車のライトが彼を照らし続ける=ドミニカ共和国・サントドミンゴで6月

児童売買でハイチからドミニカ共和国に売られ、
路上で生活する ジュニオール・ディステニー君。
靴磨きの客を待つ間も、観光地のネオンや車のライトが彼を照らし続ける
=ドミニカ共和国・サントドミンゴで6月

 「お前を売って本当にすまなかった。苦しい思いをさせてしまった」

 カリブ海最大級の都市、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴ。ジュニオール・ディステニー君(17)は、電話口で泣きながら謝る父の言葉を聞き、路上で大粒の涙を流した。ハイチの貧しい田舎から、ドミニカ共和国の大都会に売られて以来、12年ぶりに聞く父デネールさんの声だった。

 6月下旬の夜9時過ぎ。高級ホテルやカジノが並ぶ海沿いの通りにジュニオール君はいた。観光客を見つけては駆け寄り、慣れた手つきで靴を磨いていた。「なぜ、ドミニカに来たの?」「父が売ったんだ」

 ドミニカ共和国とハイチの国境近くの町に生まれた。5歳の時、病気がちだった母の治療費数千円のため、父がドミニカ共和国に住む「ビキアンヌ」という名のハイチ人女性に売った。「トラフィッカー」(密入国あっせん業者)の男と一緒に国境を越え、サントドミンゴに着いた。

 ジュニオール君がビキアンヌの家に着くと他に数人のハイチ人の子どもがいた。ビキアンヌはハイチの貧しい家庭から子どもを買い、路上で物乞いをさせ金を巻き上げていた。「やめて。次はもっとお金を持ってくるから」。稼ぎが少ないと、ビキアンヌは自転車のチェーンで顔や体を容赦なく殴った。「地獄そのもの」だった。

 そんな生活が5年も続いた。ある日、我慢が限界に達した。家を飛び出し、半日以上、裸足で走り続けた。以来7年間、この通りで靴磨きや日雇いの建設労働をして暮らす。

 3カ月前、同郷の知人を通じて父の携帯電話の番号を知った。友人から電話を借り、売られて以来初めて話した。謝罪を繰り返す父に、涙で言葉を詰まらせながら「許す。許す」と何度も答えた。

 「これまでの人生は生きる意味がなかった。でも父と話してモヤモヤしていたものが取れた気がする。いつかお金をためてハイチに戻りたい」。そう言って笑顔を見せ、再び靴磨きに向かった。

 ユニセフによると、ハイチからドミニカ共和国に売られる子どもは年に2000人以上いる。ハイチの子ども保護機関が国境で監視しているが、トラフィッカーと一緒に密入国する子どもは後を絶たない。100人以上子どもを密入国させたトラフィッカーの男(36)は取材に「山を越えればいくらでも密入国できる。子どもを売る親がいる限り俺たちの商売は安泰だ」と自慢げに話した。=つづく【文・松井聡、写真・望月亮一】

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