主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2014年ハイチ・ドミニカ報告 見えない鎖 (1)

明かりを取り込む窓から、外を見つめるラルフ・ジャン・バプティスト君。朝から晩まで家事に追われ、友達が行く学校に自分は行くことができない=ハイチ・ポルトープランスで6月

明かりを取り込む窓から、外を見つめるラルフ・ジャン・バプティスト君。
朝から晩まで家事に追われ、友達が行く学校に自分は行くことができない
=ハイチ・ポルトープランスで6月

  暗く蒸し暑い部屋の窓からラルフ・ジャン・バプティスト君(13)は外を眺めていた。視線の先にはボールを蹴る子どもたちの姿がある。笑い声も聞こえる。「他の子はおなかいっぱい食べられて、遊べて学校にも行ける。でも僕は、そういうことはできないんだ」

 カリブ海の島国、ハイチの首都ポルトープランス。スラムの一つ、ソリノ地区でラルフ君はレスタベック(子ども奴隷)として暮らしている。2010年の大地震で両親を失った。この暮らしの始まりだった。

 「朝7時に起きて、水くみ、家の掃除、買い出し、洗濯……。夜10時に寝るまでずっと働いている。食事は1日に1回で、少しのパンしかもらえない。働かないと、ものすごく怒られる」

ポルトープランス

ポルトープランス

 ラルフ君はポルトープランス近郊で生まれた。一人っ子で可愛がられ、学校にも通っていた。9歳の時に地震が起き、知り合いの家を訪れていた両親は倒壊した民家の下敷きになった。自宅にいたラルフ君だけが助かり、親戚に預けられた。

 学校に通わせてもらえず、朝から晩まで家事をさせられた。食事をもらえず、欲しがると、親戚から電気コードや木の棒で繰り返し、たたかれた。体には今もいくつかの小さな傷が残る。

 1年後、虐待されていることを知った叔母(43)が引き取った。しかし、暴力を振るわれることこそなくなったが、期待していた学校へは行かせてもらえず、朝から晩まで家事をする日々は変わらなかった。叔母の家族5人はベッドで寝るが、彼だけコンクリートの床で寝かされている。

 ラルフ君の家を訪ねた。15平方メートル程度の部屋には大きなベッドやバイク、日本製のテレビが置いてある。叔父(44)は警備員で月6800ハイチグールド(約1万5000円)の収入があるといい、平均月収が4000円程度のスラムでは裕福な方だ。

 そんな家で、ラルフ君が一番つらいのは朝だ。一緒に暮らす叔母の長女(7)を学校に送り出す。「悔しさと悲しさが込み上げてくる。こんな生活から逃げ出したいけど、逃げる場所もないんだ」

◇ ◇ ◇

 ハイチではレスタベックの子どもや、比較的裕福な隣国ドミニカ共和国に売られる子どもが後を絶たない。過酷な運命にあらがいながら懸命に生きる姿をリポートする。【文・松井聡、写真・望月亮一】

レスタベック

貧しさなどから子どもを養育できない親が、他人に預けること。フランス語の「Reste avec(一緒にいる)」から派生したハイチ・クレオール語。「子ども奴隷」や「奉公奴隷」と呼ばれる。大半は食事を満足に与えられないうえ学校にも通わせてもらえず、家事や労働を強制される。暴行や性的虐待を受けるケースも少なくない。米国務省などによると、ハイチ全土で50万人に上るともいう。

 

12歳、通学の約束信じ叔母宅に

叔母(右)の指示に従い、床を拭くジュデリーヌ・ドゥシールさん。毎日朝5時から働きづめだ=ハイチ・ポルトープランスで6月

叔母(右)の指示に従い、床を拭くジュデリーヌ・ドゥシールさん。
毎日朝5時から働きづめだ=ハイチ・ポルトープランスで6月

 今にも崩れそうなトタン屋根の家で、一人の少女がしゃがみ込み、コンクリートの床をタオルで磨いていた。ジュデリーヌ・ドゥシールさん(12)。ハイチの首都、ポルトープランスのソリノ地区にある叔母の家で暮らすレスタベック(子ども奴隷)だ。「学校に行かせてくれるという約束で3年前に叔母の家に来ました。でも、まだ行かせてもらえません。一日中働かされてばかりです」

 ハイチ西部の村で生まれた。9人きょうだいの3番目で一家は貧しく、小学校には通えなかった。路上で物売りをする両親の代わりに家で弟や妹の面倒を見ていた。

 ある日、父が言った。「叔母さんがお前を学校に通わせてくれると言っている。行ってみるか」。英語教師になることが夢だったジュデリーヌさんは「もちろん。絶対に行きたい」とすぐに答えた。数日後、「教師になり家計を助けたい」と期待に胸膨らませ、叔母の家にやってきた。しかし、現実は過酷なものだった。

 毎朝5時に起き、1時間以上歩いて泉まで水をくみに行く。バケツの重さは20キロにもなる。帰ってすぐ朝食を作り、その後は洗濯、掃除、買い出しと寝るまで働きづめだ。食事は1日1食、朝のパンとコーヒーだけ。寝るのも一人だけ床だ。

 記者が家で話を聞いていると、叔母(28)が外出先から帰宅した。一瞬戸惑ったような表情を見せた。記者が「なぜ学校に通わせるという約束を守らないのか」と尋ねた。叔母は「学校に行く意味はない。生きていくために家事の訓練をしてあげているのに、文句を言われる筋合いはない」と言い放った。

 「同い年の子が学校に行くのを見ると、涙が出る。実家に帰るお金もない。今の生活を抜け出したいけど、手足を縛られているようなもの」。床磨きを終えると、ジュデリーヌさんはそう言い、買い出しのためスラムの雑踏に消えていった。

 ハイチではレスタベック根絶を目指す団体もある。2007年に設立されたNGO「レスタベック・フリーダム・ファンデーション」は元教師やジャーナリストら30人以上が参加し、各地で集会を開いて根絶を訴えている。

  中心となっている女性メンバーのナディーン・オーギュスティンさん(28)は5年前にメンバーになった。小学校教師をしていた時、奴隷のように扱われる子どもたちを見たのがきっかけだ。ナディーンさんは「貧困層への教育がもっと必要だ。人権意識や家族計画について地道に教えていくしかない」と話す。=つづく【文・松井聡、写真・望月亮一】

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