主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2010年ケニア・エチオピア ケニアから 乾きと命 (10)

生きたい

洪水で流された集落の跡地に立つ少女。その瞳には白砂の大地と青い空だけが映っていた=ケニア・トゥルカナ地方で2010年7月1日、小松雄介撮影

洪水で流された集落の跡地に立つ少女。その瞳には白砂の大地と青い空だけが映っていた
=ケニア・トゥルカナ地方で2010年7月1日、小松雄介撮影

 「地球温暖化は目に見えない小さな変化だが、今、手を打たなければ、壊滅的な被害が起きる」――。温暖化の「証言者」として、気温上昇によるマラリア被害 を訴える活動をする高齢のケニア人女性はそう警告した。アフリカの大地を気候変動が襲い、干ばつや洪水によって多くの住民が家を失い、移動を迫られてい る。東アフリカのエチオピア、ケニア、ジブチで、その現状を報告する。【文・遠藤孝康、写真・小松雄介】

母さん 生きていて-エチオピア-

バティ

サウジアラビアに行ったまま6年間帰らない母親を待つヒドリス・アハメッド君=エチオピア・アムハラ州オロミア地区で2010年6月18日 、小松雄介撮影

 なだらかな丘が連なるエチオピア中部のアムハラ州オロミア地区の町、バティ。ハエが飛び交う草ぶきの家でヒドリス・アハメッド君(8)は中東へ旅立ったまま帰らぬ母アミナド・アハメッドさん(28)を待ち続けていた。アミナドさんがサウジアラビアに向かったのは6年前。離婚がきっかけだった。「ここに働き口はない。サウジで働いてお金を送るから子どもを養って」。祖母ソフィアさん(49)の反対を押し切り、家を出た。

 隣国ジブチから小舟で対岸のイエメンに渡る密航ルート。オロミア地区からは多くの若者がこのルートで中東を目指す。転覆の危険と隣り合わせだ。アミナドさんからは一度も連絡がない。ソフィアさんは娘の死を覚悟していたが、最近「彼女は生きている」との情報を耳にした。ソフィアさんはその不確かな話に希望を寄せる。

 ヒドリス君は兄と一緒にソフィアさん宅から小学校に通う。放課後は3頭の牛の世話が日課だ。「お母さんの顔は覚えているの」と尋ねると、あどけない表情でうなずいた。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 なぜ若者たちが故郷を捨て、中東を目指すのか。地元の行政当局者は「人口が増えているのに、斜面が多く、農地が十分にない」と話す。地区の人口の33%が毎年、食糧支援を必要としている。状況を悪化させるのが天候不順だ。当局者は「ほとんど降雨がない年もある。収穫は不安定だ」と表情を曇らせる。

投獄、そして送還

バティ

バティ

 気温43度。アワン・アブドゥサメッドさん(25)はため息をついた。「昨年は干ばつで、ろくな収穫がなかった。家族を養えない」

 2年前、ジブチから密航船に乗り込んだ。約50人の乗客で4日間、強風と波にさらされた。イエメンの海岸が見えた時、密航業者の男が「飛び込め」と叫んだ。必死で岸に泳ぎ着くと、待ち構えていたのは警官だった。半年投獄され、母国に強制送還された。「密航が危険なのは知っていた。だが家族を支えるには、僕が行くしかなかった」と振り返る。

 帰国後、長男が生まれた。「密航はもうこりごりだが、正規なルートで行けるなら、もう一度中東を目指したい。貧しい生活から抜け出せる」

干ばつで紛争激化-ケニア-

ケニア・トゥルカナ地方

ケニア・トゥルカナ地方

 ケニア北西部のトゥルカナ地方。5月の洪水で家を失った住民が木の枝や葉をふいたテントで避難生活を送る。乾いた川床では子どもたちが無邪気に走り回る。

 昨年までの厳しい干ばつの影響で、トゥルカナ地方北部では国境を挟んで遊牧民族間の紛争が起きていた。5月にはエチオピアとスーダンから武装集団が襲来し、計数百頭の牛が奪われた。ロカレイ・エスコンさん(50)は「銃声で跳び起きて応戦したが35頭を失った。7人の死者も出た。ミルクや食料が不足、空腹だ」と語る。干ばつの頻発で紛争も激化しているという。

 トゥルカナ湖西岸では、漁民が対岸で干した魚を次々と運んでいた。近くの町では年間約80世帯が遊牧をやめて定住し、漁業を始めるという。ベンジャミンさん(40)は「遊牧ではもう生きていけない」と話す。だが、漁業も気候変動と無縁ではない。湖に流れ込む川は干ばつで水量が減り、湖は縮小。収穫高は減っているという。

職求め 覚悟の密航 -ジプチ-

中東に渡るため海岸沿いで夜を待つエチオピア人たち=ジブチ・オボック州で2010年7月15日、小松雄介撮影

中東に渡るため海岸沿いで夜を待つエチオピア人たち=ジブチ・オボック州で2010年7月15日、
小松雄介撮影

中東に渡るため海岸沿いで夜を待つエチオピア人たち=ジブチ・オボック州で2010年7月15日、小松雄介撮影

中東に渡るため海岸沿いで夜を待つエチオピア人たち=ジブチ・オボック州で2010年7月15日、
小松雄介撮影

 砂地に熱風が吹き付ける。ジブチ北部のオボック州。青く輝くアデン湾の数十キロ先はアラビア半島だ。7月15日昼、気温41度。海岸沿いに約80人の男たちが疲れた表情で座っていた。首都ジブチ市からトラックの荷台に揺られて着いたエチオピア人移民の集団だ。

 「早くしろ」。オレンジ色のタンクトップ姿の男が怒鳴って移動させる。男は「おれはジブチ人だ。密航業者から頼まれて面倒を見ている」と言う。長身のエチオピア人男性は記者に近付き、「中東に渡るために来た。母国には仕事がない、何もない」と訴えた。

 移民は夜を待ち、小舟で出航する。昨年の密航者は約7万8000人。4割がソマリア人、残りの大半がエチオピア人だ。別の移民集団の中でエチオピア人のアッバースさん(25)は「雨が降らず、収穫がない。密航費用は妻と2人で500ドル。危険は承知の上だ」と話した。昨年の渡航途中の死者・行方不明者は376人。イエメンの海岸には、次々に遺体が流れ着くという。

 

Back

Next