主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2014年ハイチ・ドミニカ報告 見えない鎖 (4)

「路上」脱出挑み続け

「自分の居場所を見つけたい」と語る児童売買被害者のマセリーヌさん=ドミニカ共和国・ボカチカで

「自分の居場所を見つけたい」と語る児童売買被害者のマセリーヌさん
=ドミニカ共和国・ボカチカで

 「私には国籍がありません。出生証明書や身分証もない。仕事に就けないんです」

 白い砂浜が続くドミニカ共和国のリゾート地ボカチカ。町外れにハイチ出身者のための集会所がある。6月下旬の日が沈みかけた頃、友人と話し込む少女がいた。マセリーヌ・ルイさん(17)。8年前、ハイチの貧しい家庭からボカチカの叔母に売られた児童売買の被害者だ。虐待から逃げ出したが、パスポートも在留許可もないままに暮らしている。

 ハイチの首都ポルトープランス近郊で生まれた。5人きょうだいの長女だった。一家は貧しく、両親が出生届を出さなかったためハイチの国籍もない。9歳でボカチカに住む叔母に売られた。「稼ぎが少ない。何でもっとできないの」。毎日朝から晩までビーチで物売りをさせられ、売り上げが少ないと、電気コードや木の棒で体中を何時間もたたかれた。

 「もう耐えられない」。数カ月後、物売りに行くふりをして逃げ出した。行く当てがなく、路上で暮らした。物乞いは恥ずかしくてできず、飲食店の残飯をあさって食いつないだ。「こんなところで寝ていたら危ないわよ」。1週間ほどたった頃、福祉関係で働く女性に声をかけられた。「神は見捨てていなかった」。心の底からそう思った。女性の計らいで孤児院に入り、初めて学校に通えた。

 しかし14歳の誕生日を前に年齢制限から孤児院を出ることに。行き場所がなく、再び路上で生活を始めた。そんな生活から救ったのは友人から紹介された男性、ジャン・ピエールさん(21)だった。境遇を知ったハイチ人の彼との交際が始まり、ボカチカの彼の家で一緒に暮らし始めた。

 ただ、就職難は変わらない。「身分証明書かパスポートがないと雇えない」。マセリーヌさんは何度もスーパーの売り子や飲食店店員などの仕事に就こうとしているが、断られ続けている。「きちんと給料がもらえる仕事には就けない。残されているのは売春婦かドラッグの売人くらい」

 ドミニカにはこうした国籍やパスポートを持たないハイチ人が30万人以上いるとされる。ハイチ政府は今月から、ドミニカ共和国に住むハイチ出身者に出生証明書やパスポートを交付する政策を始めたが、申請者全員が対象になるか、不透明だ。

 マセリーヌさんは涙を流し、言った。「私はドミニカ人でもハイチ人でもない。早く自分の居場所を見つけたい」=つづく【文・松井聡、写真・望月亮一】

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