主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2018年イラクIS後 暴虐の傷痕 (1)その1

廃墟 大国柱は13歳

激戦地となり、多くの建物が破壊された西モスル旧市街。父を戦闘で亡くしたオマル君はがれきの中からお金になりそうな鉄くずを探す=イラク・西モスル旧市街で2018年8月10日

激戦地となり、多くの建物が破壊された西モスル旧市街。
父を戦闘で亡くしたオマル君はがれきの中からお金になりそうな
鉄くずを探す=イラク・西モスル旧市街で2018年8月10日

 民家や商店だった建物はことごとく崩れ、壁には無数の弾痕。飛び出た鉄筋にすすけたソファが突き刺さる。手元の温度計は47度。車が通るたびに粉じんが舞う道の脇で、ひっくり返ったまま放置された救急車が痛いほど強烈な8月の日差しを浴びていた。

 チグリス川が中央を流れるイラク北部の主要都市モスルは、かつて過激派組織「イスラム国」(IS)の最大拠点だった。昨年7月、イラク軍などはISが最後まで抵抗を続けた西岸の旧市街を奪還。数カ月にわたる戦闘で街は荒れ果てた。

 IS支配の象徴とされたイスラム教礼拝所「ヌーリ・モスク」もIS自身の手によって破壊されたまま時を止めていた。敷地を囲う金網には、おもちゃの人形を模した仕掛け爆弾への注意を呼びかける看板がかかっていた。迷路のような路地に入ると、すえた臭いが鼻をつく。双子の息子たち(2)と地下室で戦闘を生き延びた父親(23)が、自宅前に約3メートル積み上がったがれきに目をやる。「ロシア人戦闘員が13人埋まっている」

 砲弾が直撃した薄暗い店舗跡の1階に、鉄くずを拾うオマル・ファトヒ・ハサン君(13)の姿があった。ロバが引く小さな荷車にアルミのかごや壊れた基板を載せていく。売って手にするのは多い日で約6000イラク・ディナール(約600円)。きょうだい5人と祖母の食事代を、一番年上のオマル君が稼ぐ。

 「父さんは戦闘の中で撃たれて死んだ。母さんは出て行った。僕しかいないんだ」。焼け焦げた屋内へ戻る少年の背中を、一瞬光が照らした。天井に直径約2・5メートルの穴が開いていた。

地図

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 2003年のイラク戦争開戦後、混迷する社会でISの前身組織が生まれた。改称した14年以降、ISは一時イラクやシリアにまたがる広域を支配。殺人や拉致、レイプなど暴虐の限りを尽くし、イスラム教徒からも非難の声が上がった。イラク政府は昨年12月、ISとの戦いに勝利したと宣言した。毎日新聞と毎日新聞社会事業団による「世界子ども救援キャンペーン」は今年で40年目。今回は、復興に向けて歩み始めたイラクで、子どもたちに深く刻まれた傷痕を追った。【文・千脇康平、写真・木葉健二】

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