主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2016年ヨルダンのシリア難民 熱砂のかなたに (5)

農場で働きながらテントで暮らすスレイマン・アルハサンさん(奥右から2人目)一家=ヨルダン・アンマンで2016年10月5日撮影

農場で働きながらテントで暮らすスレイマン・アルハサンさん
(奥右から2人目)一家=ヨルダン・アンマンで2016年10月5日撮影

 アンマン南部の幹線道路を西にそれ、未舗装の悪路を進むとトマトを栽培するビニールハウスが並ぶ農場 にたどり着いた。近くに立つサーカス場のようなカラフルなテントから、子どもたちの元気な声が聞こえてく る。ユニセフ(国連児童基金)が設置したサポートスクールだ。

 6~10歳のシリア難民の子どもたち140人が通う。彼らの父母らはシリアにいた時のように農業で生 計を立てるため、テントで暮らしながら農場で働いている。65家族500人が一つの集落をつくる。子ども たちも農作業に駆り出されるため、授業は午後1時から始まる。

 ユニセフによると、ヨルダンには同様のテント村が約400カ所あり、1万6000人が暮らす。シリア 難民65万人の8割が都市部、2割が難民キャンプにいるが、彼らは農業で自活を目指す「第三の道」を選ん だ。ただ、ヨルダン政府は「ヨルダン人の職が奪われる恐れがある」との理由から、難民が働くことを原則禁 じている。正式な労働許可を得ている人はわずかだ。

 シリア西部の農村で綿や小麦を栽培していたスレイマン・アルハサンさん(64)は2014年、家族2 0人でヨルダンに避難。北部にあるザータリ難民キャンプで暮らし始めた。

 ところが、すぐに一家でキャンプを無断で抜け出した。「シリア人を雇ってくれる農場があるらしい」と いううわさを頼りに、アンマンにたどり着いた。捕まればシリアに送還される恐れもある危険な賭けだった。

 スレイマンさんは振り返る。「何もせずにパンや食費が支給される生活が苦痛だった。ここなら貧乏でも 好きな農業で食べていける。シリアと同じような生活ができることが何より素晴らしい」

 冬が迫る11月になると、住民たちはテントをたたみ、イスラエル国境に近い西部のヨルダン渓谷を目指 す。温暖で水も豊富な農業の盛んな地域。3月までそこの農場で働き、再びアンマンに戻るのだという。

 サポートスクールに通う子どもたちの半分近くは公的な教育を受ける機会がなかったため、アラビア語で の読み書きが満足にできない。スレイマンさんの末の息子オマルさん(16)も幼い頃から農業を手伝い、学 校に通ったことがない。

 スレイマンさんと4人の息子は、月に300ヨルダン・ディナール(約4万5000円)稼ぐが、大家族 が食べていくにはぎりぎりだ。「祖父も父も私も当たり前のように農業を続けてきた。でも、ヨルダンで生き ていくためには、勉強して他の仕事に就くことも必要なのかもしれない」。5人の幼い孫たちの将来を思うと 、自らの信念が時折揺らぐ。【文・津久井達、写真・久保玲】=つづく

 

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