主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2018年イラクIS後 暴虐の傷痕 (3)

砲弾が奪った表情

爆撃によって家族の大半を亡くし、腕を負傷したアリ君。身を寄せる親族宅にこもりがちだ=イラク・東モスルで

爆撃によって家族の大半を亡くし、腕を負傷したアリ君。
身を寄せる親族宅にこもりがちだ=イラク・東モスルで

 「このひどい傷を見てやってくれ」。イラク・東モスルの住宅街。親族に促され、アリ・ヤヒア・アブドラ君(15)はTシャツを脱いだ。右の上腕部をほぼ一周する赤く太い縫い痕が、いびつな模様を描く。「触ると鈍い痛みが骨に響くんだ」。そう話すアリ君には表情がなかった。

 過激派組織「イスラム国」(IS)の支配下にあった西モスル旧市街で家族で暮らしていた。「ダーイシュ(ISの別称)が近所にたくさんいた」。2017年5月の夕方、近所の家に水や食料を分けてもらおうと、兄クサマさん(当時25歳)と歩いていたアリ君の近くに砲弾が落ちた。意識が飛んだ。

 病院に運ばれ、腕の切断も検討されたが、指がかすかに動くのに医師が気付き、免れた。手術後、麻酔が切れてベッドで目を覚ました。「腕が動かない。なぜ」。恐怖と悲しみが一気に押し寄せた。

 ISが来たために大学をやめざるを得なかったクサマさんは心臓を砲弾の破片が貫き、即死だった。

 病院では次々と運び込まれる戦闘員の治療が優先され、11日で追い出された。痛みで眠れず、処方された強い薬でごまかした。そして3週間後、悲劇は再び起きた。

 砲弾の直撃を受けた隣家が倒壊し、自宅も半分押し潰された。戦闘が続く中、救助は来ない。がれきの下から助けを呼ぶ姉の声は数時間で消えた。父や姉ら8人が死亡。アリ君と母ロイダさん(55)が生き残った。

 腕は前後に少し動く程度でほとんど上がらず、介助がないとシャワーも浴びられない。大好きなサッカーもできなくなり、学校から足が遠のいた。友人と連絡を絶ち、身を寄せる東モスルの親族宅にこもりがちに。「性格が変わってしまった」。ロイダさんは言う。

 ロイダさんは貴金属類を売り払い、親族らの援助も受けて約2500ドルの医療費を工面してきた。国外の病院で手術を受ければ改善する見込みがある。「唯一の希望ですが、お金はない。息子は就職もままならず、1人では生きていけません」

 アリ君は医師の指導を受け、腕を前後に動かす運動を毎日欠かさず続けている。「本当は学校に行きたいんだ。父さんと同じ技術者になって家を建てたい」。夢を語るアリ君は、やはり無表情だった。「苦痛のない、普通の生活がしたい。ダーイシュさえ来なければ」【文・千脇康平、写真・木葉健二】=つづく

◇モスル奪還に9カ月

 イラク軍などは16年10月、ISが支配していたモスルを取り戻す大規模軍事作戦に着手。米国主導の有志国連合が空爆で支援した。17年1月までに東モスルを制圧し、2月から西モスルでの作戦を開始。ISは民間人を盾に旧市街に立てこもり、徹底抗戦した。17年7月、アバディ首相はモスル解放を宣言。約9カ月にわたる作戦の民間人死者は数千人とも数万人ともいわれ、正確な数字は明らかになっていない。

 

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