主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2018年イラクIS後 暴虐の傷痕 (4)

洗脳18歳 戦場の高揚

イラク・ドホーク県

イラク・ドホーク県

 「戦うことに喜びを感じていた」。そう振り返る少数派ヤジディー教徒、アシュラウィ・カシム・アブドラさん(18)のまなざしは愁いをまとっていた。過激派組織「イスラム国」(IS)に捕まり、兵士として戦場に駆り出された。同時に拉致された両親や兄は行方不明のままだ。8月下旬、イラク北部・クルド自治区ドホーク県。おじに引き取られた内気できゃしゃな少年は、1週間前に帰還したばかりだった。

 シリアに近いシンジャル地方で両親や兄姉と暮らしていた2014年8月、街が急襲された。ISは成人男性と少年を胸毛や脇毛の有無で選別。14歳のアシュラウィさんは父や21歳の兄と引き離され、刑務所などを転々とした。母と姉は奴隷として売られた。ISは1日5回の礼拝を強要。「不快だった」。モスルで数カ月、体力をつける簡単な訓練を受けた後、シリアのラッカへ移り、本格的な軍事訓練が始まった。

 ベージュの迷彩服を配られ、少年約30人と養成キャンプに入った。指導官が3人付き、朝の2時間は筋トレや2・5キロ走。午後は2時間コーランを学び、夜は3時間銃を握った。初めて銃に触った日、大人の男になれた気がしてうれしかった。コーランの授業では態度が悪いと、足の裏をムチで何度も殴られた。他の少年と競い合うように1カ月、訓練漬けの日々を懸命に生きた。「僕はイスラム教徒の戦士だ」。不快感は消えていた。

 初の戦場はシリア軍が守る空港だった。着いた日に砲撃を受け、仲良しのシリア人戦闘員が両耳から流血して倒れた。数カ月間、包囲は続いた。夜中に奇襲をしかけ、反撃された。無数の弾が頭上を飛び交った。「我々の敵、シリア軍兵士を殺すために僕は存在する」。乱射して退き、仮眠してまた前線へ。恐怖心はなかった。

 一方、親族はアシュラウィさんを取り戻す計画を進めた。先に救出され、ドイツに逃れた姉や元奴隷の活動家が直接連絡を取ることに成功。約1年にわたり「そこはあなたの場所ではない。待っている」と説得した。「ISは間違っているのかも」。同様に拉致され改宗した元ヤジディー教徒の女性と結婚していたアシュラウィさんは、妻を説得する側に回った。今年7月下旬の未明に2人で家を出て、おじが2万ドルで手配した密航業者に接触し、解放された。

 目の前で人を撃ち殺したことはないが、撃った弾で誰かが死んだ可能性は否定できない。爆風や銃弾がかすめた影響で右耳は今も聞こえづらい。「後悔している。でも、従っていなければ僕はここにいない」。失われた4年間は戻らない。「どこか外国で言葉を学びたい。それが今の夢」。何もかも忘れたい。そう聞こえた。【文・千脇康平、写真・木葉健二】=つづく

◇少年兵

 ISは拉致したヤジディー教徒以外にも、イラクやシリアのイスラム教徒の子どもを勧誘し、戦闘や自爆攻撃の要員として使った。支援者は「適切な更生プログラムを施した上で、社会復帰をサポートしていくことが重要だ。刑務所にいる元少年兵は、処遇次第では、洗脳が更に強まる恐れがある」と指摘する。

 

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