主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2018年イラクIS後 暴虐の傷痕 (5)

拉致された父 どこに

スパイ容疑でISに連行され、現在も行方不明の父アイディンさんの帰りを待つきょうだいたち。一番下のムスタファ君(左から2人目)は長男のフィラス君(中央)が父に買ってもらった自転車を受け継いだ=イラク・ニナワ県のファズリヤ村で

スパイ容疑でISに連行され、現在も行方不明の父アイディンさんの
帰りを待つきょうだいたち。一番下のムスタファ君(左から2人目)は
長男のフィラス君(中央)が父に買ってもらった自転車を受け継いだ
=イラク・ニナワ県のファズリヤ村で

 乾いた大地にオリーブ畑が広がる、イラク北部・ニナワ県のモスル北東約20キロのファズリヤ村。でこぼこの路地を子どもたちが自転車で走り回り、商店の軒下で涼むお年寄りが見守る。のどかな時が流れる山裾の村にも、過激派組織「イスラム国」(IS)は深い傷痕を残した。

アイディンさん

 「バシカに行ってくる」。2014年8月16日の午後。アイディン・イスマエル・ムハンマドさん(当時29歳)は妻に近くの街の名を伝え、愛車の青い2トントラックで自宅を出た。村や街はISの支配下にあった。一番上の長女イナスさん(12)ら5人きょうだいは父を待ったが、夜になっても戻らなかった。

 日付が変わった頃、本人の携帯から親族に不審な電話があった。「アイディンを逮捕した」。クルド自治政府の治安部隊「ペシュメルガ」をかたる男はクルド語ではなくアラビア語で告げ、二度と電話に出なかった。

 「ISがたまたまペシュメルガの友人といたアイディンさんをスパイと誤解し、連れ去った」。親族が聞き回り、目撃証言を得た。

 オリーブ農家だったアイディンさんは前年に交通事故で左膝を骨折。後遺症のため松葉づえがないと歩けず、仕事ができない状態だった。「コップを割ってもテレビのリモコンを壊しても怒ったことは一度もなかった」。イナスさんは優しかった父の姿を振り返る。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に我が子の動画をいくつも載せる、子煩悩な父だった。

 「ISが占拠するモスルの監獄にいる」「バグダッドで米軍と一緒にいるらしい」。うわさを聞くたび、アイディンさんの母ナジアさん(73)らはすがる思いで現地に向かった。唯一の手がかりは失踪から2週間後にモスルでナジアさんが見つけたアイディンさんのものとみられる青いトラック。だが、昨年7月にモスルが解放されても、アイディンさんは戻らなかった。

 末っ子のムスタファ君(5)はイスラムの犠牲祭など行事の時期が近づくと、「とうさんがかえってくるよ」と家族に知らせるようになった。金曜の集団礼拝が行われる時間には、毎回祈りの言葉を口にする。「とうさんをおうちにかえしてあげてください」

 長男のフィラス君(10)は約5年前、父から鮮やかなピンクの自転車を買ってもらった。「大事にしてたけど、僕にはもう小さくなっちゃったんだ」。塗装がはげた自転車は、末っ子ムスタファ君が譲り受けた。【文・千脇康平、写真・木葉健二】  =つづく

◇IS支配下の暮らし

 ISはイスラム法に基づく新国家樹立を目指し、支配地域を拡大。現状に不満を抱く層には支持される一方、イスラムの名を借りた残虐行為や恐怖政治に多くの住民が苦しんだ。警察官だった避難民の男性は「素性がばれたら殺される。2年間、家から一歩も出られなかった」と証言。母親は「IS戦闘員が、イラク軍に情報を流すスパイと疑った青年を縛り、街の真ん中でセメントを浴びせて窒息死させる場面を見た」と話した。

 

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