主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2022年ウクライナ侵攻 難民救援キャンペーン 

氷点下 暗闇耐える高齢者
  
電気、ガス壊された

避難所で悲しみに暮れるタチアナ・ドフチェンコさん(右)とエリザベス・ドラグシニエッツさん=ポーランド南東部の国境の町メディカで2022年3月13日午後、小出洋平撮影

避難所で悲しみに暮れるタチアナ・ドフチェンコさん(右)とエリザベス・ドラグシニエッツさん=ポーランド南東部の国境の町メディカで2022年3月13日午後、小出洋平撮影

 真っ暗な部屋でただ一人、ロシア侵攻の恐怖と氷点下の寒さに耐えた。「電気も水道もガスも壊されて来なくなりました。暖房が使えず、ろうそくすらありませんでした。3日間続きました」。戦禍のウクライナ南部ニコラエフ郊外から国境を越え、友人らとポーランド南東部メディカに逃れたタチアナ・ドフチェンコさん(71)は振り返った。

 ロシア軍の侵攻が始まった2022年2月24日以降、自宅の近くにも爆弾が落ち、窓ガラスが爆風で壊れた。「自宅周辺の地区がロシア軍に包囲され、外に出られなくなりました」。インフラが破壊され、1人暮らしの高齢者がとても生活できる状況ではない。見かねた親族が車を出し、危険を冒して包囲網を突破した。1000キロ近い距離を電車や車を乗り継ぎ、2022年3月12日にメディカに到着。国境検問所近くの体育館に設けられた避難所でようやく一息ついた。

 避難所には簡易ベッドで数百人が寝泊まりし、ここから親族や知人、援助団体を頼って別の場所に移動する人が多い。無料で食事や衣類が手に入り、常駐するカウンセラーが避難者の心身にも気を配る。ただ子供たちが大声を上げたり、どたばたと走ったりすることもある。「そんな音ですら怖いと思ってしまいます。自宅で経験した爆発の恐怖がよみがえってくるのです」。長女が暮らすイタリアに向かうという。

 ドフチェンコさんの近所に住み、一緒に逃れてきたエリザベス・ドラグシニエッツさん(61)は、故郷に残る息子家族のことが片時も頭から離れない。連日の爆撃が恐ろしく「危ないから一緒に逃げよう」と説得したものの、家族は「ウクライナ軍がすぐに勝つから大丈夫だ」と信じて動かなかったという。「今は自分だけ避難してしまったことに罪悪感を覚えます」。こらえきれずにすすり泣いた。

 ドラグシニエッツさんの母方はロシア出身で、自身もロシア語が堪能だ。しかし「ロシア軍を憎みます。もうロシア語は話したくない」。穏やかだった日常は一変した。「こんなことが起こるとは思いもしませんでした。恐ろしい悲劇です。だれにもこんな思いをしてもらいたくありません」【メディカ(ポーランド南東部)で平野光芳】

 

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