主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2022年モルドバ報告 離散 

平和の子、抱きしめ
  
ウクライナへ、望郷

3月にジトーミルの病院で出産した次女ミロスラバちゃんを抱くナタリア・ポニカルチュックさん(中央)ら一家。出産直後にサイレンが鳴ったという=オリシュカニで2022年6月11日、山田尚弘撮影

3月にジトーミルの病院で出産した次女ミロスラバちゃんを抱くナタリア・ポニカルチュックさん(中央)ら一家。出産直後にサイレンが鳴ったという=オリシュカニで2022年6月11日、山田尚弘撮影

 2022年3月10日、ウクライナ中部・ジトーミルの病院で、2600グラムの女の子が産声を上げた。間もなく空襲警報が鳴り、看護師に抱きかかえられ、慌ただしく地下に避難した。戦禍の中、この世に生を受けた娘に両親は、平和と栄光を意味する「ミロスラバ」と名付けた。女児は今、避難先の西隣の国・モルドバで、愛情を受けながらすくすくと育っている。

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月24日。ナタリア・ポニカルチュックさん(32)は長男(11)、長女(4)と首都キーウの西約50キロにあるコロリブカで暮らしていた。夫のイオンさん(35)は前日から建設の仕事のため自宅を離れ、キーウに滞在していた。

次女ミロスラバちゃんの衣服など。大半がウクライナの支援団体による寄付といい、母ナタリアさんは「本当にありがたい」と話した=オリシュカニで2022年6月11日、山田尚弘撮影

次女ミロスラバちゃんの衣服など。大半がウクライナの支援団体による寄付といい、母ナタリアさんは「本当にありがたい」と話した=オリシュカニで2022年6月11日、山田尚弘撮影

 近隣の村では爆撃があった。「出産はどうなる? 2人の子どもは」。不安に襲われた。イオンさんとはしばらく連絡がつかなかったが、その間、とにかく無事を祈るしかなかった。

 出産を予定していた近くの村の病院は閉鎖した。大事を取って、侵攻から数日後には自宅から西に約80キロ離れたジトーミルにある病院に入院。長男、長女はナタリアさんの妹が面倒を見ることになった。出産は帝王切開だった。元気な泣き声を聞き、ナタリアさんは喜びをかみしめた。

 夫とはビデオ通話で連絡を取り合った。すぐに「ミロスラバと名付けよう」と決めた。イオンさんは「侵攻前は別の名前を考えていた。後から聞いたら、親族もミロスラバがいいと思っていたようだ」と笑う。

ウクライナとモルドバ国境のユニセフなどの国際機関が用意した支援施設の前で、傘をさすヘルソンから避難してきた男の子=パランカで2022年6月17日、山田尚弘撮影

ウクライナとモルドバ国境のユニセフなどの国際機関が用意した支援施設の前で、傘をさすヘルソンから避難してきた男の子=パランカで2022年6月17日、山田尚弘撮影

 イオンさんはモルドバ国籍だったため、ウクライナにあるモルドバ大使館に相談。同大使館の用意した車に乗って3月23日、一家5人でモルドバに脱出した。

使われていない学校を利用した施設の敷地で「戦闘」のまねをする避難民の男の子=カザネシュティで2022年7月6日、山田尚弘撮影

使われていない学校を利用した施設の敷地で「戦闘」のまねをする避難民の男の子=カザネシュティで2022年7月6日、山田尚弘撮影

 モルドバでは北東部にあるオリシュカニという村で、イオンさんの母とその再婚相手が住む家で避難生活を送る。元々は2人分の寝室だった10畳ほどの部屋に、計7人で寝ている。ミロスラバちゃんはミルクをたくさん飲み、よく眠り、そしてあまり泣かないという。その赤ん坊を囲むように、一つのベッドで5人が一緒に休む。ウクライナの自宅と比べると窮屈な暮らしだが、「静かな環境で安心して眠れる。地下室よりましだよ」とイオンさんは言う。

 イオンさんは車の運転免許取得を目指す傍ら、職探しに励む。長男デニスさんは地元の学校に通い始めた。「友達とはロシア語で話すけれど、授業はルーマニア語なので算数しか分からない」と声を落とす。ナタリアさんは穏やかな暮らしに安らぎを感じつつも「早くウクライナに戻って父に成長した娘を見せたい」と望んでいる。【宮川佐知子】

 

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