主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2022年モルドバ報告 離散 

戦乱 ある大家族の7年
  
孤児3姉妹と歩む

ドネツクからの孤児を受け入れたリアシェンコさん一家。(左上から時計回りに)父タラスさん、母リディアさん、次男キリルさん、長男ミハイルさん、ユリアさん、ポリーナさん、ヤナさん=ギンデシュティで2022年6月12日、山田尚弘撮影

ドネツクからの孤児を受け入れたリアシェンコさん一家。(左上から時計回りに)父タラスさん、母リディアさん、次男キリルさん、長男ミハイルさん、ユリアさん、ポリーナさん、ヤナさん=ギンデシュティで2022年6月12日、山田尚弘撮影

 2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まって、半年が過ぎた。多くの人が家を追われ、今も帰れずにいる。約9万人が避難生活を送る隣国モルドバでは穏やかな時間が流れる一方、それぞれが故郷や離ればなれになった人への思いを募らせている。今回の侵攻に限らず、ウクライナは常にロシアの脅威や紛争の危機にさらされてきた。繰り返される戦乱に翻弄(ほんろう)されながら静かに支え合う、ある家族の姿を追った。【文・宮川佐知子、写真・山田尚弘】

 ◇里親、寄り添って

 初夏の静かな昼下がり。家の前の庭にはイチゴが赤い実をつけている。子どもたちと熟れた粒を摘み取るのは、安らぎを感じるひとときだ。

 11~18歳の5人の子どもを育てるタラス・リアシェンコさん(47)と妻のリディアさん(41)は、避難先のモルドバで家族が穏やかに過ごせるよう心がけている。元々は長男ミハイルさん(16)、次男キリルさん(13)の2人を育てていたが、7年前、紛争があったウクライナ東部ドンバス地方(ルガンスク、ドネツク両州一帯)で孤児となったユリアさん(18)、ヤナさん(15)、ポリーナさん(11)の3姉妹を引き取った。

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2014年にドネツクで起きた紛争で孤児になった(左から)ユリアさん、ヤナさん、ポリーナさん。血はつながっていないが、まるで姉妹みたいだ=ソロカで2022年6月12日、山田尚弘撮影

 ゆっくりと時間をかけて絆を築いてきた大家族は今、ロシアによるウクライナ侵攻という「2度目の戦災」の中、肩を寄せ合って生きている。

 侵攻が始まった2月下旬、7人はウクライナ南部ミコライウ州のノバオデッサで暮らしていた。家に地下室はなく、警報が聞こえると窓のない壁に体を寄せて身を守った。ある時、近くの橋が攻撃されたが、警報は鳴らなかった。「ここに残るのは危険かもしれない」。家族の安全を考え、4月上旬、西隣のモルドバに避難することを決意した。ウクライナ政府は18~60歳の男性の出国を制限しているが、タラスさんは子どもが3人以上いるため出国が認められた。知人を通じて、モルドバ北部ギンデシュティにある戸建て住宅を無償で借りることができた。

 「私が夫からのプレゼントや思い出の物を探している横で、娘たちは衣類をまとめ素早く準備を済ませていた。私たちよりよっぽど経験がある」。リディアさんはそう感心する一方、娘3人が再び避難を強いられたことがふびんでならない。

 3姉妹にとって戦災に巻き込まれるのは2度目だ。2014年、ドンバス地方でウクライナ軍と親ロシア派武装勢力による戦闘が始まった。リアシェンコさん夫婦は「親を失った子どもを支援したい」と里親制度に申請した。「大家族」を持ちたいとの思いもあった。

 家庭の状況や収入などの審査、研修を経て、支援機関からユリアさんら3姉妹との面会を打診された。3人はドンバス地方の都市ドネツクに住んでいたが、14年に両親が行方不明になり、子どもだけで家に取り残されているのを近所の人が発見した。姉妹の両親については詳しいことが分かっておらず、リディアさんは「警察も連絡が取れていない。紛争に巻き込まれ亡くなったか、どこかに連行された可能性がある」と語る。

 その年の年末、3姉妹と初めて対面した。姉のユリアさんと末っ子のポリーナさんは怖がっているように見えたが、真ん中のヤナさんは「膝の上に座りたい」とせがんできた。

 当時11歳だったユリアさんは記憶を失いうつ状態で、4歳のポリーナさんは言葉をうまく話せなかった。3人の養育者はなかなか見つからず、支援機関から「このまま引き取り手がいなければ、姉妹別々の児童養護施設に入ることになる」と言われた。複数回の面会を経て、夫婦は受け入れを決めた。「いつか実の親が娘を見つけられるように」と養子にはせず、姉妹は今も元の姓である「シュトワ」を使っている。

 

 ◇新たに3本の花

今回の侵攻前まで暮らしていたウクライナの自宅の庭の様子や、飼っていた猫、家族で出かけていた遊園地を描いてくれたポリーナさんの絵=ギンデシュティで2022年6月6日、山田尚弘撮影

今回の侵攻前まで暮らしていたウクライナの自宅の庭の様子や、飼っていた猫、家族で出かけていた遊園地を描いてくれたポリーナさんの絵=ギンデシュティで2022年6月6日、山田尚弘撮影

ウクライナの自宅の庭を描いてくれたヤナさんの絵。3人の成長を願って植えた花もあるという=ギンデシュティで2022年6月6日、山田尚弘撮影

ウクライナの自宅の庭を描いてくれたヤナさんの絵。3人の成長を願って植えた花もあるという=ギンデシュティで2022年6月6日、山田尚弘撮影

 一家は代々、子どもが生まれると植樹してきた。3姉妹が新しい家族となった時、家の庭に3本のシャクヤクを植えた。ヤナさん、ポリーナさんは人なつっこい性格で、夫婦に抱きついてきたり、2人の息子と絵を描いたりしてすぐに打ち解けた。ヤナさんは、以前は郊外に住み、両親は農業を営んでいたことを教えてくれた。しかし、最年長のユリアさんは黙り込んだままで、無気力だった。

 半年ほどたったころ「急いで庭に来て」とヤナさんから呼ばれ、リディアさんは外に飛び出した。ユリアさんが金属製の容器を地面にたたきつけ「私のせいだ」と泣き叫んでいた。家族の前で感情をあらわにするのは初めてだった。リディアさんは「安心して。もう大丈夫だから」と声をかけ、そっと抱き寄せた。ユリアさんから過去について聞いたことはないが、リディアさんは「両親がいなくなったのは自分のせいだと責めていたのかもしれない」と推察する。

 その出来事を機にユリアさんは変わった。家族や心理カウンセラーの前で少しずつ話し始め、養子になった子どもが集まるイベントにも参加するようになった。大学に進学し、イベントで交流を続けてきた男性と半年前から交際。ユリアさんは料理が得意で、将来は2人で小さな飲食店を開くのが夢だ。

 明るい未来が見えてきたところで、今回の侵攻が始まった。交際相手は今、ウクライナ軍にいる。ユリアさんがモルドバに避難した後、一時期連絡が途絶えたことがあった。ユリアさんは「無事なのか」と取り乱したが、家族が「あまり心配しすぎないように」と励ました。ユリアさんはモルドバで一時期ビール醸造所に併設するレストランで働いており、「将来のために経験を積めればいい」と前向きな姿ものぞかせる。

 一方、他の4人の子どもたちはオンラインでウクライナの学校の授業を受けたり、絵を描いたりしながら一日を過ごす。

 ヤナさんは「ハムスターや猫に会いたい」とウクライナにいるペットを懐かしむ一方、「ここではきょうだいでボードゲームをするのが楽しい」と言う。

 ◇色鉛筆買えない

2014年にドネツクで孤児になった(左から)ヤナさん、ユリアさん、ポリーナさん。肩を寄せ合うようにして勉強をしていた=ギンデシュティで2022年6月12日

2014年にドネツクで孤児になった(左から)ヤナさん、ユリアさん、ポリーナさん。肩を寄せ合うようにして勉強をしていた=ギンデシュティで2022年6月12日、、山田尚弘撮影

 タラスさんは親として、不満を言わない子どもたちを頼もしく感じる一方、「家族が多いから、夏服や食器など出費がかさむ。子どもには色鉛筆すら買ってあげられない」と声を落とす。ウクライナではエンジニアをしていたが、モルドバではルーマニア語が分からないため同種の仕事に就くのは難しいという。

 ギンデシュティにある戸建てに住めるのは秋までの約束で、一家は8月中に別の村にある避難施設に移った。状況が落ち着き次第、ウクライナに戻りたいというが、先行きは見通せない。家族で訪れていたミコライウ中心部の公園はロシアの攻撃で破壊されてしまったといい、思い出の風景は大きく様変わりしている。

 夫婦が何より心配なのは、長引く戦争によってウクライナ、ロシア両国で親を亡くしたり、心に傷を負ったりする子が増えることだ。

 「ウクライナに関するニュースは減る一方、いつまでも戦争が終わらず無力さを感じる。政治家は武器ではなく、外交で解決する方法を考えてほしい」。タラスさんはそう力を込めた。

◇モルドバ◇

モルドバ国旗

モルドバ国旗

ウクライナとルーマニアに挟まれた欧州東部の内陸国。九州よりやや小さい約3万3800平方キロに約260万人が暮らし、ルーマニア語、ロシア語が話されている。1991年に旧ソ連から独立。欧州連合(EU)加盟を目指す。東部には親ロシア派が90年に独立を宣言して実効支配する地域「沿ドニエストル共和国」があり、ロシア軍が駐留している。世界銀行によると、2021年のモルドバの1人当たりの国内総生産(GDP)は約5300ドルで日本の約7分の1。

 

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