2026年海外難民救援キャンペーン
帰れないひとびと ミャンマー国境から

授業を受ける子どもたち=タイ・メソトのニュー・ブラッド・スクールで2026年5月22日、久保玲撮影
「ミャンマーを思い出します。帰りたいです」
タイ北西部メソトの「ニュー・ブラッド・スクール(NBS)」で学ぶ女子生徒のシュンレーソーさん(17)は、そう話した。
故郷は、タイとの国境を流れるモエイ川沿いのカイン州ミンラパン村。国軍と少数民族武装勢力などが攻防を続ける最前線の一つだ。周辺ではオンライン詐欺拠点を巡る戦闘も起き、空爆や砲撃が相次ぐ。
タイ側の丘から川の向こうを望むと、岸辺近くに仮住まいが並んでいた。竹を組んだ小屋をビニールやプラスチックで覆っている。約2㌔先にあった集落から避難してきた人々が暮らしている。

シュンレーソーさんが通っていた学校は焼かれ、その後、村にも火が放たれた。自宅はまだ残っているが、いつ焼かれてもおかしくない。3週間前、親元を離れてNBSに来た。
将来は教師になりたい。人に教えることが好きだという。
ゾールインウー校長(57)は、戦火を逃れてきた子どもたちについて、こう話す。「まず生き延びなければならない。教育はその後になる」
校内を案内してもらうと、制服姿の生徒が机に向かっていた。スクリーンにスライドを映し、動画を使う授業もある。英語だけで進める授業もあった。
高校生の授業は午前8時半から午後3時半まで。放課後はサッカーをしたり、タイ語を学んだりして過ごす。夕食後には祈りの時間があり、その後、また机に向かう。
親元を離れた子どもにとって、ここは教室であり、寝起きする場所でもある。
NBSは2003年に開校。21年のクーデター後は、戦火を逃れてきた子どもも増えた。
だが、タイの正規校ではない。移民向けの「学習センター」として運営されている。教室も、教師も、寮もある。それでも、ここで学ぶだけでは、タイの正規校と同じ卒業資格は得られない。
軍事政権下の教育制度から距離を置き、同校では、米国の高校卒業程度の学力を示す認定試験GEDの取得を目指す課程などを設ける。だが、受験料に加え、その後の進学費用も大きな壁となる。
ゾールインウー校長は、軍政下の教育制度に従わず、子どもたちの学びをつなぐこと自体が抵抗になると考えている。「教育を止めないことが、私たちの革命です」
教える側にも、故郷を追われた人がいる。
ミャッミャッソーさん(59)は、小学校の教員として教壇に立ち、ミャンマー教育省の副局長も務めた。
クーデター後、軍は教育現場への介入を強めた。治安が悪化する中でも、教師や生徒を式典などに動員した。自身が運営を命じられた行事では、教師が銃撃される事件も起きた。
「教師は兵士ではありません。教えることが仕事です」
軍の都合で教師や生徒を危険にさらすことに納得できず、市民的不服従運動(CDM)に加わった。すると、軍関係者が娘の学校を訪れ、自身の居場所を尋ねるなど、家族にも圧力が及んだ。2022年11月、メソトへ逃れた。
NBSで向き合う子どもたちの事情は重い。作文には「家がない」「学校がない」「父も母もいない」とつづられていた。家庭では十分に食事を取れず、学校で提供される給食を頼りにする子もいるという。
ゾールインウー校長によると、現在は5歳から22歳までの約1000人が学び、約200人が寮で暮らす。教員を含むスタッフは約50人。タイに逃れる避難民が増えると、入学希望者は一時、約1500人に膨らんだ。
教室や寮のスペース、運営資金には限りがある。希望者すべてを受け入れることはできない。
「学びたい子どもは多い。でも定員に達すれば『来年また来てください』と言うしかない」【メソトで小泉大士】