主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2026年海外難民救援キャンペーン
     帰れないひとびと ミャンマー国境から【特集】

逃げ延びても 命の危機

 2021年2月のクーデターから5年余り。ミャンマーでは国軍側と、民主派の抵抗勢力や少数民族武装勢力などとの戦闘が続く。隣国タイへ逃れる人がいる一方、国内にとどまり、避難生活を続ける人々もいる。逃げた先でも食料は乏しく、病気は広がる。山あいと、国境の川のそば。ミャンマー東部の二つの避難民キャンプを歩いた。【写真・久保玲、文・小泉大士】

マラリアに感染して母親に抱かれるドウマニックちゃん=ミャンマー・カヤー州で2026年6月8日

マラリアに感染して母親に抱かれるドウマニックちゃん=ミャンマー・カヤー州で2026年6月8日

国境を流れる川沿いに建ち並ぶ避難民キャンプ=タイ国境で2026年5月25日

国境を流れる川沿いに建ち並ぶ避難民キャンプ=タイ国境で2026年5月25日

地図

◇ミャンマー内戦

 2021年2月のクーデターで国軍が実権を握った後、抗議デモへの弾圧をきっかけに各地で武装抵抗が広がった。国軍側と、民主派の抵抗勢力や少数民族武装勢力などが戦闘を続け、多くの住民が国内外への避難を強いられている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国内避難民はクーデター後に急増し、2026年6月時点で約380万人に上る。クーデター前からの長期避難者を含め、周辺国などで難民や保護希望者として把握されるミャンマー出身者も160万人を超える。経済の悪化や徴兵への不安などを背景に、就労や留学などの形で国外に出た人も少なくない。

◇避難民キャンプ 広がる疫病

 2025年7月下旬、避難の途中で村に戻った時だった。

 カヤー(カレンニー)州境に近いシャン州のポコン村。ジャラマヌーさん(39)が義弟とともに食料などを取りに自宅へ向かっていると、最初の砲弾が村の外れに落ちた。義弟と顔を見合わせた直後、2発目がすぐそばに着弾した。

 目の前にいた義弟は腹部に傷を負い、その場で亡くなった。ジャラマヌーさんも爆風で髪を焼かれ、腕を負傷した。とっさにバイクの陰に伏せたことで命は助かった。

 だが、しばらく自分が生きている実感を持てなかった。逃げる道中、母に何度も尋ねたという。「僕が見える? 僕に触れる? 僕はまだ生きている?」

 村を離れた人々は、雨期の山道を逃げた。大雨で道はぬかるみ、沢や川は増水した。川を渡るボートが出せず、途中の村で足止めされたこともあった。昼間は国軍に見つからないようジャングルに潜み、夜になると進んだ。高齢者や子ども、妊婦もいた。歩けない人は若者が担いだ。現在の避難地に着くまで、28日かかった。

 カヤー州の山あいに、住民らが「ロメオ」と呼ぶ避難民キャンプがある。タイから国境を越えて訪ねると、戦闘から逃れてきた人々が草や葉で屋根をふいた小屋を建て、身を寄せていた。

 キャンプを取りまとめるローレンさん(47)によると、ここには190世帯784人が暮らす。ローレンさんも同じ州境地帯の出身で、戦闘を避けて約2カ月かけて逃れてきた。昼間に動けば軍に見つかる恐れがあるため、夜を待って移動した。避難民の列は長く、夜11時ごろに歩き始め、翌朝4時半ごろまで一晩かけて進んだこともあったという。途中で砲撃を受け、負傷者も出た。

 「国軍に見つかれば、前線で『人間の盾』にされたり、荷物運びを強いられたりする」

◇医師のいない診療所

 逃げ延びても、暮らしは安定しない。主食の米は支援団体から配給されるが、おかずや油、塩などは自分たちで調達しなければならない。仕事はほとんどなく、川で魚を取ったり、森で食べられるものを探したり、日雇いの農作業に出たりしてしのぐ。

 雨期に入り、キャンプではマラリアも広がっている。簡易診療所では、2歳9カ月の男児が母親の腕の中で泣き叫んでいた。脇に体温計を挟み、指先に器具をつけて脈拍などを確認する。スタッフはスマートフォンのライトで口元を照らし、錠剤を飲み込んだかを確かめた。

 診療所に医師はいない。地域保健の訓練を受けたスタッフらが対応している。5月ごろから患者が増え、1日に数人のマラリア患者が新たに見つかるという。医療スタッフのマリータさん(43)は「国境近くにある病院での治療は無料でも、そこへ行くためのガソリン代が払えない人がいる」と語る。薬は空腹の体にはこたえる。十分な食事を取れない人も多い。

 モニカさん(41)は夫と、3~18歳の6人の子どもと暮らす。子ども4人が同時にマラリアにかかった。うち2人は今も薬を飲んでいる。元の村では、家族がマラリアにかかったことはなかった。

 配給の米だけでは食卓は乏しい。雨期には森でタケノコを採り、米と一緒に煮て食いつなぐ。薬でめまいや吐き気が出ることもあるが、子どもたちは学校へ行きたがるという。

空爆に備えた避難訓練で防空壕に入る子どもたち=ミャンマー・カヤー州で2026年6月9日

空爆に備えた避難訓練で防空壕に入る子どもたち=ミャンマー・カヤー州で2026年6月9日

 キャンプ内の学校では、5~19歳の児童・生徒255人が学ぶ。教室の壁に学年が書かれ、周囲には防空壕(ごう)が掘られていた。

 カン、カン、カン――。先生が鐘を鳴らすと、子どもたちは一斉に教室を飛び出した。低学年の子どもが1人しゃがんでようやく身を隠せるほどの穴に入る。入りきれなかった子は腕を胸の前で交差させ、頭を低くして地面に伏せた。鐘が鳴りやむまで、じっと待つ。終わると、子どもたちは笑顔を見せた。

 避難訓練を遊びのように受け止める子どももいるという。教員のルシアチットさん(26)は「命を守るために必要な訓練です。でも、本当はこんな姿を見たくありません。無邪気に取り組む子どもたちを見ると、胸が痛みます」と語った。

 逃げてきた先の学校でも、子どもたちはまた、身を伏せる場所を覚えていた。

◇苦境でも、学ばせたい

授業を受ける子どもたち=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日

授業を受ける子どもたち=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日

 食料が尽きれば、危険を承知で外へ出るしかない。

 カイン(カレン)州の国境地帯にあるローコー避難民キャンプ。サンサンテーさん(30)は、夫と2人の息子と暮らす。「運が悪ければ死ぬかもしれない。でも、家族が食べていくためには、そうするしかありません」。仕事を探しに行く先は戦闘地域に近く、地雷や砲撃の危険があるという。

◇消えぬ空爆の不安

 タイとの国境を流れるモエイ川に近いこのキャンプでは、79世帯309人が暮らしていた。2021年12月、カイン州のレイケイコー周辺で戦闘が激しくなった後に設けられた。レイケイコーは、かつて日本の支援で紛争被害者向け住宅の整備が進められた村でもある。

 サンサンテーさん一家も、レイケイコーから逃れてきた。最初はタイ側へ渡り、牛舎のような場所に身を寄せた。だが、周辺にも銃弾が飛ぶ危険があり、タイ当局からも「安全ではない」と移動を促された。

 ここにいれば安全なのか。そう尋ねると、サンサンテーさんは「ほかの場所に比べれば少しは安全」と答えた。ただ、空爆への不安は消えない。父のコーチョーウーさん(52)も同じキャンプで暮らす。遠くで飛行機の音がすると、「あれは爆弾を落とす時の音だ」と話した。音で危険を測る暮らしが続いていた。

 最も苦しいのは、食料と仕事だ。以前はトウモロコシ畑の日雇いで、1日150バーツ(約750円)ほどを得られた。だが、情勢が悪化し、農園主も作付けをしなくなった。夫は山で食用の根茎のようなものを掘り、タイ側で売る。100バーツほどになることもあるが、安定した収入にはならない。

 支援物資が届くことはあるが、配給は不安定だ。取材した5月下旬時点で、サンサンテーさんが最後に受け取ったのは4月初め。米、油、せっけん、シャンプーの小袋などだった。

 一度、村へ戻ったこともある。夫が「仕事があるかもしれない」と考えたためだ。だが、再び戦闘が起き、もう一度逃げることになった。家は昨年の戦闘で焼けた。戻れても、住む場所はない。

 8歳の長男は学校に通っていない。サンサンテーさんは来年から通わせたいと願う。制服代や学用品代も必要になる。「夫には、もっと頑張って働いてと言っています」。食べるために危険な場所へ出るしかない暮らしの中でも、子どもには学ばせたい。

 同じ国境地帯には、戦闘や空爆を逃れてきた子どもたちが学ぶ学校もある。銃声や爆発音が聞こえると、子どもたちは川辺に下り、音が遠ざかるのを待つ。

 生徒の一人は、川を渡れば「50%は安全」と話した。空爆や砲撃からはいったん離れられる。だが、タイ側では警察や兵士に見つかる不安がある。川の向こうにも、完全な安心はない。

 国境の川は近い。だが、タイ側へ渡っても安住できるとは限らず、村へ戻っても家はない。逃げた人々の暮らしは、川の手前で宙づりのまま続いている。

タイ国境に架かる橋のたもとで過ごす子どもたち=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日

タイ国境に架かる橋のたもとで過ごす子どもたち=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日

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