主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2026年海外難民救援キャンペーン
       帰れないひとびと ミャンマー国境から

戦禍逃れ 川辺に学校

タイ国境を流れる川で食器を洗う子ども=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日、久保玲撮影

タイ国境を流れる川で食器を洗う子ども=ミャンマー・カイン州で2026年6月4日、久保玲撮影

 細い川の向こう側で、子どもたちが暮らしていた。

 タイ北西部ターク県の国境地帯。タイとミャンマーを隔てるモエイ川は、幅10メートルほどしかない。竹を組んだ橋を渡ると、ミャンマー側の小さな学校に着く。

 日曜日の朝、賛美歌が聞こえてきた。縦じまの民族衣装をまとった子どもも交じり、最後に「アーメン」と声を合わせる。

 周囲にはトウモロコシ畑が広がり、のどかな農村のようにも見える。だが、ここは戦争の災禍に覆われた場所だ。学校名と所在地を伏せることが、取材の条件だった。

 学校は以前、近くの丘の上にあった。軍用機の音が聞こえると川辺へ逃れ、危険が去ると戻る。そんな避難を繰り返した末、国境ぎりぎりの今の場所へ移った。

 子どもたちは、戦闘が続く東部カイン州などから逃れてきた。多くは親元を離れ、ここで寝泊まりしながら学ぶ。

 昼食後、幼い少女が川辺にしゃがみ込み、皿をすすいでいた。細い腕を伸ばした、そのすぐ先はタイだ。

 この学校で教えるノーポーピースさん(36)によると、4歳の幼児から高校生まで、児童・生徒は217人に上る。昨年までは、授業を終えた教室で、長椅子を寝床代わりにして眠っていた。児童・生徒が増えたため、寝泊まり用スペースを増築した。それでも十分な広さはない。夜になると、子どもたちは床で肩を寄せ合うように眠る。

 ミャンマーでは2021年2月のクーデター後、各地で国軍と民主派勢力や少数民族武装勢力との戦闘が続く。国軍による学校や病院への空爆も激化している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国内避難民は約375万人に上る。

 カイン州の村から来たノートレサさん(15)も、元の学校を空爆で失った。空爆があった時は休暇中で学校にいなかったが、勉強を続けられなくなった。

 国境周辺でも、戦闘機の飛行音や爆発音が響くことも珍しくない。音が聞こえると、子どもたちは川辺へ下り、そこでじっと待つ。状況が深刻になれば、対岸へ逃れることもある。

 「もう慣れてしまいました」

 怖くなくなったわけではない。音が響くたび、今も心臓は激しく脈打つ。

 教員のノーポーピースさんは、戦闘の音が日常になった子どもたちの心を案じる。それでも親たちは、家や学校を失い、避難を繰り返す中で、せめて教育だけは受けさせたいと子どもを送り出す。

 「危機の中で、教育は最後のとりでです」

 細い川は、空爆や銃撃から逃れるための境界でもある。越えれば、命の危険からはいったん距離を置ける。だが、タイ側にも安住の地があるわけではない。故郷を離れた後も、暮らしを立て直すには別の困難が待つ。【ターク県で小泉大士】

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 6月20日は国連が定める「世界難民の日」。ミャンマーでは2021年のクーデターから5年余りが過ぎても、戦闘や弾圧を逃れ、故郷を離れる人が後を絶たない。タイ北西部の国境の町メソトで、逃れた後も続く時間を追った。

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