2026年海外難民救援キャンペーン
帰れないひとびと ミャンマー国境から

ミャンマー側からタイ側へ小舟で移動する人たち=タイ・メソトで2026年6月1日、久保玲撮影
タイにいることを、ふと忘れそうになる。
タイ北西部メソトの市場には、ミャンマー語があふれていた。氷の上に魚が並び、肉を切る包丁の音が響く。
メソトの住民登録人口は約4万3000人。だが、市内や周辺部で暮らすミャンマー人は約30万人とも、それ以上ともいわれる。正式な滞在資格を持たない人や国境を越えて出入りする人も多く、正確な数は分からない。
約30年前から果物を売るミャンマー中部出身の男性(52)は、2021年のクーデター後、ミャンマー人客が「以前とは比べものにならないほど増えた」と話した。
市場から少し足を延ばすと、タイとミャンマーを隔てるモエイ川に出る。川沿いでは、鉄条網越しに店が並び、タイ側に立つ客が声をかけていた。棚には、ミャンマー側から仕入れたたばこやウイスキー、干し魚が並ぶ。国境に架かる橋では、車やバイクに交じって、歩いて渡る人の姿もあった。川面を小舟が横切っていく。国境は、ここでは暮らしの一部だ。
だが、誰もが同じように行き来できるわけではない。買い物や商売で橋を渡る人がいる一方、ミャンマー国軍に目を付けられた人々にとっては、検問所は足を向けることさえ危うい。同じ川が、ある人には生活の道になり、ある人には近づけない境界になる。
メソトで長くミャンマー人労働者らを支援してきた海外イラワジ協会のポーティンジャン代表(48)は、この町を「地獄ではない。でも、天国でもない」と表現した。
クーデター後、メソトには軍事政権に反対する人々や、戦闘や徴兵を逃れた住民らが流れ込んだ。命の危険から逃れても、自由に暮らせるわけではない。滞在資格を持たず、警察や入管の摘発を恐れて外出を控える人もいる。資格を得ても働ける職種は限られ、母国で培った経験を生かせないケースも少なくない。
市街地を離れた農場で、ナインテットアウンさん(35)が強い日差しの下、肥料と水を入れたバケツを棒でかき混ぜていた。農業は初めてだ。慣れない手つきで棒を動かすと、水が縁からあふれ、足元にこぼれた。
休憩に入ると、ミャンマーの葉巻セーボレイに火をつけ、スマートフォンを見せてくれた。手製ドローンの写真が映っていた。クーデター前は最大都市ヤンゴンで、携帯電話やパソコンの修理店を営んでいた。ソフトウエアの不具合にも対応し、家と車を持っていた。店の支店を増やすことも考えていた。
そんな矢先、クーデターが起きた。街頭デモに加わった後、ミャンマー北部カチン州を拠点とする少数民族武装勢力のカチン独立軍(KIA)のもとで軍事訓練を受けた。
それまで、ドローンを作ったことも操縦したこともなかった。ITの知識を足掛かりに仲間と試行錯誤を重ね、ドローン部隊の立ち上げに関わった。国軍との戦闘に加わり、ジャングルで約3年を過ごした。
妻と2人の子どもを養うため、メソトへ来た。タイで正式に修理店を開くのは難しい。知人の携帯電話を直すだけでは暮らしていけず、運転や売買の仲介など、収入になることは何でも試した。最後にたどり着いたのが、未経験の農業だった。
「メソトに来れば仲間が助けてくれると思っていた。でも、自分で何とかするしかなかった。農業をするとは、夢にも思わなかった」。スマートフォンをしまうと、再び畑に戻った。「ジャングルより、メソトで暮らす方が難しい」
タイでは、暮らすだけで金がかかるからだという。家賃に加え、子どもの学費や滞在・就労に必要な書類の費用も重くのしかかる。
国境の町メソトでは、逃れてきた人々の仮の暮らしが続いている。川を越えても、避難は終わらない。【メソトで小泉大士】