主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2013年ブルキナファソ報告 瞳輝くまで (2)

托鉢 難民として生きる

托鉢のため街に出るブバ・ディコ君(前列右から2人目)ら「マラブ-」と暮らす子どもたち=ブルキナファソ・ワガドゥグで

托鉢のため街に出るブバ・ディコ君(前列右から2人目)ら
「マラブ-」と暮らす子どもたち=ブルキナファソ・ワガドゥグで

 直径、深さとも約20センチ。トマトペーストの空き缶を手に、マリ難民である子どもたちが街をゆくさまは、托鉢(たくはつ)にも、物乞いにも見えた。今年3月、ブルキナファソの首都ワガドゥグ。イスラム教の指導者「マラブー」として、15人の子どもを預かるシディ・アイダラさん(25)は厳しい表情で語った。「我慢が必要です。ここで生きていくことを、受け入れなければならない」

 マラブーは先生であり、親でもある。仕える子どもを「タリベ」といい、実の親と離れてマラブーと暮らし、聖典コーランで教育を受ける。その大半は貧困家庭の出身で、アイダラさんも7歳のときマラブーに仕えた。故郷のマリ中部・ボニー村では喜捨が多く「托鉢」は不要だったが、反政府武装組織と政府軍の衝突に伴い、約1年前に国境を越えた後は、その苦行を受け入れるほかなかった。

  「托鉢は、つらくありません」

 マントのような古びた服に身を包んだタリベのブバ・ディコ君(12)はそう話す。雑穀農家の三男に生まれ、先代のマラブーに預けられたのは10歳のとき。それ以来、両親とは会っていない。マリを離れて1年がたち、週5回通う市場にはお得意さんもできた。もらったパンを誇らしげに掲げ、かぶりつく。喜捨された食料は本来、マラブーに納めねばならないが、アイダラさんは何も言わなかった。

ワガドゥグ

ワガドゥグ

 昨年3月、アイダラさんは先代のマラブーに従い、タリベの両親らに国外に出る同意を取りつけたうえで子どもたちを連れ、ワガドゥグへ逃れた。先代は全身がむくむ病気に侵されており、到着後間もなく血を吐いて亡くなった。

 涙ぐむ子どもたちを見て、マラブーに指名されたアイダラさんは「今後は絶対に泣くまい」と誓った。知人から無償で借りた8畳ほどの長屋を寄宿舎兼コーラン学校とし、自身は外で眠った。祈祷(きとう)料として得る喜捨は、子どもらに振る舞った。

 「マラブーは本当に尊敬できる人です」。ディコ君はきっぱり言った後、こう続けた。「それでもお母さんには会いたい。夢に出てくるけど、目覚めると姿形も残らないんです」。大人びた表情が消え、12歳の素顔が戻る。アイダラさんは口をまっすぐ結び、じっと宙を見つめていた。=つづく【文・平川哲也 写真・大西岳彦】

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