2013年ブルキナファソ報告【特集】
反政府武装組織が蜂起して始まった西アフリカのマリ北部紛争は、1月のフランス軍介入で収拾の様相を見せているが、周辺国に逃れた約17万人の難民たちは帰郷に踏み切れずにいる。その大半が反政府武装組織を結成した民族と同じ、トゥアレグ族だからだ。マリ国内では民族間の対立が表面化。隣国ブルキナファソの難民キャンプでは「安全が保証されなければ、とても帰れない」と悲痛な声も上がる。望郷の思いがかなう日はいつなのか――。【文・平川哲也/写真・大西岳彦】
その子にはまだ名前がなかった。マリ国境から南約140キロにあるゴーデボー難民キャンプ。砂混じりの突風が吹いた3月2日未明、ファッタイ・アティワラハさん(32)はビニールシートでつぎはぎされたテントの中で三男を産んだ。家畜の放牧に出ていた夫イブラヒム・イサさん(48)は不在で、同郷の女性たちが取り上げた。
「早く古里へ戻り、この子に美しい湖を見せてやりたい」。胸のなかで寝息を立てる我が子を見やり、アティワラハさんが言った。
政府軍と反政府武装組織「アザワド解放民族運動」(MNLA)の衝突が迫り、家族6人がマリ北部の村を追われたのは昨年3月のことだ。借り上げたトラックの荷台は10世帯約80人で埋まり、気温40度を超す百数十キロの道のりを一度も降りずに移動した。
国境付近で保護されて1年がたち、家畜を移すため別行動を取った夫らとも合流できた。命の危険は遠のいたと実感している。しかし配給される白米中心の食糧が原因なのか、間断なく砂ぼこりの舞う環境が合わないのか、体がだるい。母乳の出も悪いという。
「我々に帰る故郷はない。もはや『一つのマリ』はないのだ」。浅黒い顔に伸びるひげをさすりながら、トゥアレグ人のアラサン・モハメッドさん(36)は静かに語り始めた。
昨年3月にマリを離れるまでは政府軍兵士で、トゥアレグ族を軸に結成されたMNLAと戦った。だが「一つのマリ」は瓦解(がかい)する。
スパイ容疑で、同僚のトゥアレグ人兵士が憲兵に逮捕された。マリ国内では多数派である黒人の将校が「トゥアレグ兵が変な動きをしたら、殺していい」と話すのを聞き、闇夜に乗じて政府軍を離れた。妻と2人の子どもを先発させ、自らも国境を越えた。「私たちは『一つのマリ』のために戦ったのだ。なのに、マリはトゥアレグ族を切り捨てた。どこに帰る故郷があるというのだ」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ゴーデボー難民キャンプに暮らす約1万人のうち、トゥアレグ族は9割以上を占める。マリではMNLAやイスラム過激派から北部都市を奪還したフランス軍が4月に撤退を始めたが、トゥアレグ人の経営する店が襲われるなど民族間の対立が表面化した。
キャンプを管轄するUNHCRドリ事務所のマリ・リズ・カブレ所長は「紛争は落ち着いたかもしれないが、マリ国内でトゥアレグ族を取り巻く状況に変化の兆しはない」と語る。難民たちの帰還の見通しについて「アフガニスタンでは2011年に米軍が撤退を始めたが、周辺国には今も多くの難民がいる」と話し、ため息をついた。「ここも同じ。時期尚早としか言いようがない」
アティワラハさん夫婦が暮らした村には、湖がある。6月の雨期になれば、水辺には青々とした草原が広がる。格好の放牧地で、家畜の餌を求めて遊牧に出た夫たちも、その時期には戻ってくるという。異郷の地で生まれた三男を含め、家族7人が古里で雨期を迎えるのはいつになるだろう。我が子を太陽にかざし、アティワラハさんは言った。「帰りたいのです。まぶしいほどの青草が茂る、生まれ故郷へ」