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2019年ナイジェリア報告 避難民キャンプ報告【特集】

瞳が語る

ヌグウォム村のブラマ・ムスタファさん。顔の傷は、民族の伝統的な風習で付けられたものだ。UNDPの支援で村に戻って来たが、ボコ・ハラムが再度襲ってくる恐怖におびえながら生活している=ナイジェリア・ボル

ノ州で9月24日

ヌグウォム村のブラマ・ムスタファさん。顔の傷は、民族の伝統的な風習で
付けられたものだ。UNDPの支援で村に戻って来たが、
ボコ・ハラムが再度襲ってくる恐怖におびえながら生活している
=ナイジェリア・ボルノ州で2019年9月24日

 ナイジェリアはアフリカ最大の人口約1億9500万人(昨年6月現在)を誇る大国で、北部はイスラム教徒が多く、石油資源が豊富な南部にはキリスト教が浸透する。2002年、イスラム過激派の武装勢力「ボコ・ハラム」が、同国北東部ボルノ州の州都マイドゥグリで結成された。14年に276人の女子生徒を拉致し、その後も襲撃を繰り返した。同国の国外に避難した「難民」は約27万人、国内避難民は約216万人(昨年末現在)に上る。

 2019年9~10月、ボコ・ハラムの襲撃で甚大な被害が出たボルノ州を取材した。解放された少年や少女は国連などの支援を受けているが、今も恐怖の中で暮らす。

 「ボコ・ハラムの名前を聞いただけで、怖くて心臓がドキドキする」。同州中部のヌグウォム村に家族と一緒に帰還したブラマ・ムスタファさん(12)の心の傷は深い。14年8、9月、村はボコ・ハラムに襲撃され、すべての住宅や学校を破壊された。17年以降、国連開発計画(UNDP)の支援で300世帯分の住宅や学校、医療施設が建設された。ムスタファさんは「小学校で勉強している時が一番楽しい」と話す。

 多くの少女らが、ボコ・ハラムの戦闘員の性奴隷となった。16歳から約3年間、支配下に置かれていたハジャラ・アブバカルさん(20 )は取材中、何度も顔を隠し沈黙した。兄妹は今もボコ・ハラムの支配下におり「政府は一日も早く救出してほしい」と訴える。

 アブドゥラ・ムハンマドさん(13)は故郷から避難し、今はマイドゥグリの貧困地区で家族8人で生活する。月~木曜の日中、近隣住人から牛と羊を借り、放牧して生計を立てているが、やせた牛では乳の出がよくない。「遠くに注意して、何かあればすぐに逃げなきゃ」と常に襲撃を警戒する。勉強したいがお金も時間もなく、今の生活から抜け出す見通しは全く立っていない。<文・岡村崇 写真・山崎一輝>

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