毎日のあゆみ
毎日新聞のあゆみ
1872年(明5) | 2月21日。東京日日新聞(東京で最初の日刊紙、毎日新聞の前身)浅草で創刊 |
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1875年(明8) | 新聞の戸別配達実施。世界初 |
1876年(明9) | 2月20日。大阪日報創刊。のちに一時、日本立憲政党新聞に改題 |
1888年(明21) | 大阪日報が大阪毎日新聞と改題 |
1911年(明44) | 大阪毎日新聞と東京日日新聞が合併。全国紙として第一歩を踏み出す |
1918年(大7) | 全国中等学校フットボール大会(現在の全国高校ラグビー大会)始まる |
1922年(大11) | サンデー毎日、英文毎日、点字毎日創刊 |
1923年(大12) | エコノミスト創刊 |
1924年(大13) | 第一回選抜中等学校野球大会(現選抜高校野球大会)開催 |
1929年(昭4) | 新渡戸稲造博士を本社顧問に招く |
1932年(昭7) | 日本音楽コンクール始まる |
1936年(昭11) | 大毎小学生新聞創刊 |
1937年(昭12) | 毎日新聞社の大相撲優勝力士掲額始まる(春場所) |
1939年(昭14) | 本社航空機「ニッポン」が世界一周に成功(航程5万2860キロ、所要時間 194時間)。 日本人初の2大洋無着陸横断となる |
1943年(昭18) | 大阪毎日新聞、東京日日新聞の題号を毎日新聞に統一 |
1946年(昭21) | 毎日憲章制定 |
1966年(昭41) | 東京本社、有楽町から竹橋の新社屋「パレスサイドビル」に移転 |
1976年(昭51) | 朝刊企画「記者の目」スタート |
1977年(昭52) | 毎日新聞社編集綱領制定 |
1987年(昭62) | 毎日新聞紙齢4万号 |
1991年(平3) | 毎日新聞社企業理念制定、新紙面スタート |
1992年(平4) | 大阪本社、堂島から西梅田の新社屋に移転 |
1996年(平8) | 全国紙で初めて全記事の原則署名化 |
2000年(平12) | 「開かれた新聞委員会」発足 |
2007年(平19) | 「水と緑の地球環境本部」創設 |
2008年(平20) | 毎日新聞社の環境理念、環境方針決定 |
2010年(平22) | 共同通信に加盟。共同加盟の一部地方紙と記事配信などで提携 |
2011年(平23) | スポーツニッポン新聞社と持ち株会社を設立 |
2015年(平27) | 毎日新聞紙齢5万号。毎日新聞出版が発足、電子新聞サービス「デジタル毎日」スタート |
2020年(令2) | SDGメディア・コンパクトに加盟 |
2022年(令4) | 創刊150年。2030年ビジョン策定 |
新聞協会賞最多受賞
毎日新聞の報道は、日本新聞界のグランプリである新聞協会賞を最多の35回受賞しています。
2011年に「大相撲八百長メールのスクープ」と「3・11大津波襲来の瞬間をとらえた写真」でダブル受賞。2014年には「認知症の身元不明者らを巡る『老いてさまよう』の一連の報道」。さらに2016年に「熊本地震」、2017年に「ボルトも驚がく日本リレー史上初の銀」の写真。2018年はキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」。2019年は「台風21号 関空大打撃」の写真、2020年はキャンペーン報道「にほんでいきる」、2021年は「『ぬくもりは届く』~新型コロナ防護服越しの再会~」、2022年は「安倍晋三元首相銃撃事件の写真報道」と続き、2023年は「『伝えていかねば』沖縄・渡嘉敷島 集団自決の生存者」が選ばれ、8年連続の受賞となりました。
熊本地震では、発生の約6時間後に倒壊家屋から赤ちゃんが救出される模様を捉えた写真が世界中に配信され、「被災した人々の悲しみに向き合い、表情を捉えた写真は、熊本地震の実態を伝えた」と高く評価されました。
また、リオデジャネイロ五輪では、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が並走する日本のケンブリッジ飛鳥選手に視線を送った瞬間の驚がくの表情を克明に捉え、スポーツ写真として初の受賞に輝きました。
コロナ禍では、防護服姿での母娘の再会を捉え、人と人とが容易に会えない異常な日々と、それでも変わらぬ家族の情愛を一枚の写真に切り取り、「コロナ禍が続いた1年を象徴する写真」と評価されました。
いずれも、まさに「毎日ジャーナリズム」を発揮した報道と言えます。
社会が気づかない現実に光をあてるのは、現場を見つめる取材の積み重ねです。新聞協会賞最多記録は、毎日新聞の「積み重ねる力」の成果です。
受賞履歴
主な著名人







