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日本最古の新聞ならでは

現存する国内最古の新聞は、1872(明治5)年旧暦2月21日、東京・浅草で東京日日(とうきょうにちにち)新聞として誕生しました。現在の毎日新聞です。この日は太陽暦なら3月29日で、実際に売られたのは翌日でした。2022年に創刊150年を迎える毎日新聞社内には、創刊号を含む紙面が欠落なく全号保管されています。

膨大な記事や写真、紙面

毎日新聞には、幕末以来の180万枚の紙焼き写真、2700万コマに上るネガフィルム・ガラス乾板など、多くの貴重な記事や写真があります。また、生の紙面以外にも100年近く続けてきた新聞・雑誌の切り抜きが約2500万枚残されています。

これらの一部がデジタルデータとして社内データベースに登録され、毎日フォトバンクを通じて外部販売(利用許諾)をしています。

池田写真文庫

池田信(いけだ・あきら、 1911〜1987)氏が、都立日比谷図書館資料課長を務めていた61年、休日を利用して東京の町並みの写真記録を開始。72年までの写真点数は2万数千点に上り、港区、千代田区、中央区を中心にして、伊豆七島を除く都内ほぼ全域を撮影しました。撮影フィルムとプリントは、遺族から毎日新聞社が寄贈を受けて整理し、社内データベースに保存。毎日フォトバンクで利用許諾しています。

日本橋川に架かる日本橋。首都高速道路が走る2年前の姿
=東京都中央区室町1丁目で1961年12月31日撮影
六本木交差点付近から東京タワーを見る
=東京都港区で1962年2月21日撮影

スチール・コレクション

敗戦後の日本を、米軍人らがカラー(コダクローム)フィルムで撮影していたコレクション。呼びかけ人で、自らも米軍人だったスチール・ロバート、パトリシア夫妻の名前から名付けられました。1980年に通産省の留学生だった細田博之氏(現自民党衆院議員)を通じて写真の存在を知った毎日新聞ワシントン特派員の岸井成格、嶌信彦、中島健一郎らが出版・報道の企画を進めました。スチール夫妻の呼びかけで元米軍人ら70名が写真を提供。300枚を収録した「決定版昭和史(別巻)」が発刊されました。データベースには約550枚が保存され、毎日フォトバンクで利用許諾をしています。

牛車で運ばれ片付けられる日本の軍用機残がい
=神奈川県厚木飛行場で、1946年撮影
紙芝居を見る子どもたち=場所不明、1948年撮影

新屋文庫

大阪毎日新聞OBの新屋茂樹(あらや・しげき)氏(1886〜1946)が私費を投じて収集した幕末〜明治の新聞・雑誌コレクション。氏の死後、67年に遺族から毎日新聞東京本社に寄贈されました。文庫資料の中でも錦絵新聞コレクションは「他に類を見ない充実ぶり」と研究家から高く評価されています。錦絵新聞などのデジタル化が進み、毎日フォトバンクで利用許諾をしています。

新屋茂樹氏(右)と妻千代能さん
西郷隆盛がロシアに脱出して生きていたという話を描いた明治24年の錦絵新聞
=小川タケ出版「江湖の夢」、1881年
錦絵のデジタル撮影をする情報調査部スタッフ

<新屋文庫の目録>
・東京日日新聞(毎日新聞の前身)と関係資料124点
・錦絵および錦絵新聞576点
・読売瓦版など84点
・官報日誌類17点
・新聞・雑誌(号外・広告含む)149点
・書籍・冊子類121点

大正・昭和初期の直筆資料

2002年に毎日新聞130年史を編さんした際、大正末から昭和10年代初めにかけて第一線で活躍していた作家、文化人ら約230人が寄稿した小説、評論、随筆などの直筆原稿と未公表の書簡約900点が社内で見つかりました。400字詰め原稿用紙に換算すると2500枚分に相当します。

一連の直筆資料は、関東大震災翌年1924年から二・二六事件のあった36年ごろまでのもの。川端康成、芥川龍之介、菊池寛、林芙美子、与謝野晶子ら文学者、三木清、吉野作造、内村鑑三ら思想家、憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄、松岡洋右ら政治家、岸田劉生、鏑木清方ら画家のものもありました。これらは目録作成後、社内で保管していますが一般公開はしていません。

 

毎日の宝箱