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《一般部門》最優秀賞、農林水産大臣賞、全国農業協同組合中央会会長賞

「魅力ある農業は味力ある農業から」
中嶋正さん(59)=栃木県壬生町、農業・そば店経営


 会社を辞め、中核農家で作る営農集団に入った。そば打ちが趣味だったので、遊休農地4ヘクタールを借りて00年、そば栽培を開始。玄そば販売では高収益が得られないと、営農集団で機材を購入し、そば粉の販売を始めた。さらに生そばも販売したが、拡大した畑で収穫する量を売り切れない。

 そこで05年、そば店を開業。客も増えてきた。栽培した作物を高付加価値で売る喜びが「魅力ある農業」なら、それを客に楽しみながら味わってもらうのが「味力ある農業」だ。

 09年、後継者の長男にそば店経営を任せた。そば畑にオーナー制度を取り入れたり、地域の祭りなども催しており、農業が若者のあこがれの職業ナンバー1になるよう、発信を続けたい。

なかじま・ただし
アパレルメーカーに約17年間勤めた後、就農。05年にはそば店「蕎香」(http://www16.plala.or.jp/tadataka/kyoka/)を開店した。

「地域で育(はぐく)む桃経営~らくらく農業を目指して~」
萩原辰夫さん(73)=山梨県甲州市、らくらく農園代表


 甲府盆地東部の甲州市塩山中萩原地区では、昭和30年代中ごろから小さな棚田や段々畑を果樹畑に転換。「大藤の桃」は全国ブランドになった。しかし、機械化が難しく、高齢化もあって耕作放棄地が増えていた。

 そこで地域の農家に、圃場(ほじょう)整備に協力を求めるとともに、工事後に早く元通り収穫できるよう研究した。その結果、植え付け4年後に3・5ヘクタールの「らくらく農園」がほぼ完成。堆肥(たいひ)散布などは少ない人手で可能となり、女性や高齢者、サラリーマンも栽培を続けられるようになり、集落機能を維持できた。

 産地間競争が激化していく果樹農業は、地域が一体となってレベルアップしていかなければならない。

はぎはら・たつお
山梨県大藤村(現・甲州市)の生まれ。「日々成長する農業」を目指し、栽培方法や土地改良の勉強会を開くなど向学心は尽きない。

「後継者問題に終止符を打つ! 自立した農業経営体を目指して」
村松由規さん(46)=長野県生坂村、農業


 東京生まれ。大手企業で働いていたが、将来への不安と農業の魅力を感じ始めた時、米国で得た新しい世界観から就農を決意。国内数カ所から、就農者をバックアップする思いが伝わってきた生坂村を新天地と決めた。

 01年、村農業公社研修生となり、スコップの使い方から学んだ。妻は農産物直売所で働き、自身もPTAなどの役職を引き受けながら地域に溶け込んでいく一方、特産品、巨峰の栽培面積を増やした。

 3年の研修が終わったころ、「産直」と「高付加価値ぶどう」の生産こそが、自立した経営体となり、後継者問題に終止符を打つ道と確信。開発されたばかりの「ナガノパープル」種を育て、巨峰の4倍の値でも品切れになる商品にさせた。

(写真は村松さん提供)

むらまつ・よしのり
東京都世田谷区出身。都内のIT関連会社に14年間勤務後Iターンで新規就農。村松農園(http://www.m-farm.com/)を立ち上げた。

「四万十川源流の山里で寒梅の花になった私」
渡辺文恵さん(83)=愛媛県鬼北町、農業


 大正の生まれ。戦時中、教師をしていたが、四万十川源流の地の旧家に嫁ぎ、敗戦後にペンを鍬(くわ)鎌(かま)に持ち替えた。機械のない時代。山へ草刈りに行ったり、牛の鼻を引いたり「男のような仕事」もたいていこなした。「何でこんなことまで」と涙したこともあった。

 「イエ」の人間関係は大変だったが、支えは夫の言葉だった。「お前や子供を悲しませるつもりはない。だから黙ってついて来い」。夫は公職を辞めた直後に体が不自由になったが、二人きりの楽しい時間を過ごした後、静かに旅立った。

 息子がUターンし、養鶏などに取り組む。それでも、栽培した野菜を自分で道の駅に出荷するなど忙しく「咲かせた寒梅をなかなか散らせられない」。

わたなべ・ふみえ
今も車を運転して野菜を直売所「日吉夢産地」へ出荷。多彩な活動を続ける。