土門拳賞 歴代受賞者と作品


第42回(2023年)

船尾修 「満洲国の近代建築遺産」(集広舎)

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2016年から10回にわたって、かつての満洲国、中国東北部に通い、現在も残る日本が建築、または接収した建築物を調べ上げ、350カ所以上を探し当て、撮影した。いずれ消えてゆくであろう、かつてのかいらい国家の遺構を記録した。

【授賞のことば】

 記憶と記録、往来したい

 太平洋戦争について調べるにあたり、日本がその成立や運営に深く関与した満洲について触れないわけにはいかない。

 それで中国東北部のいくつかの都市を訪れたのだが、僕は大きな衝撃を受けた。発展著しい中国のビル群に埋もれるように、当時の建築物がそのままの姿で残っていた。巨大で威圧的でありながら独特のデザインが発するなんともいえない壮麗さと美しさ、同時に醜悪さを放つ建築群に魅了されてしまった。

 満洲には新しい時代を切り開こうとする「陽」の面と、満蒙(まんもう)開拓団の悲劇に代表される「陰」の面とが同居していた。現存するこれら建築群を写真によって記録することにより、歴史の目撃者として俯瞰(ふかん)したフラットな立場から満洲を語ることができるのではないかと閃(ひらめ)いた。

 都市開発のスピードは想像を絶するもので、いつ取り壊しになるかもしれず、僕はまるで何かに取りつかれたかのように歩き回り、古い建物を探し出しては撮影を続けた。

 その行為は、純粋に楽しいものだった。フィルムに刻まれたことで、それらの建築群が80年、90年ぶりによみがえったような感覚があった。写真を撮る醍醐味(だいごみ)とは、もしかしたらそういうことなのかもしれないと改めて気づかされた。

 今回の受賞を機に、記憶と記録の領域を軽々と往来できるような写真を今後も引き続き撮ることができたら最高である。

【略歴】
 船尾修(ふなお・おさむ)氏
 1960年神戸市生まれ。写真家・登山家。筑波大学生物学類卒業。出版社に約7年間勤務後フリーランスとして活動。主にアフリカ、アジアを舞台に、人間の暮らしと風土の関係性を探る作品の発表を続ける。主な写真集に2000年「UJAMAA 船尾修写真集」(山と渓谷社)、15年「フィリピン残留日本人」(冬青社)、17年「カミサマホトケサマ 国東半島」(同)、21年「石が囁く―国東半島に秘められた日本人の祈りの古層」(K2 Publications)など多数。主な受賞に第25回林忠彦賞、第16回さがみはら写真賞、第1回江成常夫賞。大分県杵築市在住。

 

 

第41回(2022年)

北島敬三 「UNTITLED RECORDS」(KULA)

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2014年に刊行が始まったVol.1からVol.20まで全20巻の連続写真集。写真総数は320点。1999年からの写真が収められ、北海道から沖縄まで、東日本大震災の被災地を含む各地の遺棄されたように見える風景が並ぶ。一貫した視点と姿勢で撮影・選択された写真からは、21世紀の日本列島を急速に浸潤してゆく、日本の風景の解体する様を提示。

【授賞のことば】

 3.11以後の自分を問う

 「UNTITLED RECORDS」は、あまり大声にならないよう自分の足元で展開してきたシリーズだったので、受賞の知らせをいただいた時には少し驚いた。

 東日本大震災以降とくに、見慣れた風景が翌日には全く別のものに変わってしまうという経験を、私たちは何度も繰り返してきた。自分が属している社会の諸矛盾が、噴出露呈するのを見てきた。私には、東日本大震災からオリンピックそしてパンデミックへと至ったこの10年が、1923年の関東大震災から日中戦争、幻のオリンピックを経て太平洋戦争に至る時代と重複し、極東の軍事的緊張やウクライナ侵攻などは言うまでもなく、より危機的な時代に進んでいるように見える。

 このシリーズには、そうした時代において、ある写真家の個人的な活動を善かれあしかれ丸ごと書簡化し、向後へ送信できればという企図があった。しかし今現在、「震災以後の時間をおまえはどう過ごしたのか」じつは「すでに取り返しのつかない10年を過ごしてしまったのではないか」という焦りのようなものをより強く感じている。もちろん、こうした感覚をお持ちの方は私だけではないはずだ。しかし、それは希望か?

 この度「UNTITLED RECORDS」に土門拳賞を授与してくださった選考委員の方々に、心より感謝申し上げます。

【略歴】
 北島敬三(きたじま・けいぞう)氏
 1954年長野県生まれ。75年に初個展「BC ストリート」(新宿ニコンサロン)を開く。主な写真展は2001年「Portraits」(川崎市市民ミュージアム)、09年「北島敬三 1975-1991 コザ/東京/ニューヨーク/東欧/ソ連」(東京都写真美術館)、13年「種差scenery」(八戸市美術館)など。海外では87年韓国・ソウル、04年米国・ポートランド、07年、09年ニューヨーク、13年サンフランシスコなど。主な写真集に79年「写真特急便東京」(パロル舎)、82年「NEW YORK」(白夜書房)、91年「A.D.1991」(河出書房新社)、2009年「THE JOY OF PORTRAITS」(RAT HOLE GALLERY)など。主な受賞に81年日本写真協会新人賞、83年写真集「ニューヨーク」で第8回木村伊兵衛賞、07年「USSR」で第32回伊奈信男賞、10年第26回東川賞国内作家賞、12年「ISOLATED PLACES」でさがみはら写真賞など。

 

 

第40回(2021年)

大竹英洋「ノースウッズ—生命を与える大地—」(クレヴィス)

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アメリカとカナダの国境付近から北極圏にかけて広がる湖水地方・ノースウッズを訪ね歩き、原生林の動植物などの豊かな生態系と人との関わり、自然現象を20年かけて記録した。

【授賞のことば】

遠い目標に向けて

 野生のオオカミをこの目で見たくて、大学を卒業してすぐ北米の森に通い始めた。冬には日本のスキー場でアルバイトをして、貯金は全て撮影につぎ込んだ。だが、情報も少ない異国の地で、警戒心の強い野生動物の撮影は困難を極めた。作品として発表できる写真が思うように増えないストレスから、心身に不調をきたしたこともある。

 失意の淵にいた頃、馴染(なじ)みとなった喫茶店・平均律のマスターが「店で写真展でもしないか?」と声をかけてくれた。その展示が福音館書店の編集者の目にとまり写真絵本の出版につながった。それを機にカナダへ1年半移り住んで撮影を再開。帰国してからも、数カ月から半年をかけて毎年のように通い続けた。

 オオカミを究極の目標に据えながら、カリブー、ムース、ホッキョクグマ、カラフトフクロウをカメラで捉えてきた。環境に適応して生きる野生動物たちの輝き、寒さの厳しい北国ならではの凜(りん)とした自然風景、この地で生まれたカヌーで旅をする魅力、そして、生命は大地に生かされていると語る先住民アニシナベの暮らし。それらの要素を詰め込んだ初めての写真集を出版するのに20年を要したが、それはきっと必要な時間だったと思う。

 土門拳賞受賞の知らせを受けたのは、北海道の寒空の下だった。山々は雪に覆われ、湖は凍っていた。冷たい風が体の中を吹き抜けていくような気がした。努力が報われた清々(すがすが)しさと同時に、身が引き締まる思いだった。なぜなら、まだ満足のいくオオカミのポートレートは撮れていない。どこまで迫れるのか、その過程こそが今伝えるべき、人間と自然の物語なのである。

 「人は顔を向けた方へ進む」。かつてアルバイトをしたスキー場で耳にした言葉だ。たとえ遠回りをしてでも、コンパスを胸に、遠い目標へ向けて、これからも旅を続けたい。

【略歴】
大竹英洋(おおたけ・ひでひろ)
 1975年京都府舞鶴市生まれ、東京都世田谷区育ち。一橋大学社会学部卒業。99年より北米の湖水地方「ノースウッズ」をフィールドに野生動物、旅、人々の暮らしを撮影。人間と自然とのつながりをテーマに国内外のメディアで作品を発表。主な写真絵本に「ノースウッズの森で」、「春をさがして カヌーの旅」「もりはみている」(すべて福音館書店)。写真家を目指した経緯と初めての旅をつづった「そして、ぼくは旅に出た。 はじまりの森 ノースウッズ」(あすなろ書房)で第7回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。カラフトフクロウの子育てを捉えた作品で2018年日経ナショナルジオグラフィック写真賞 ネイチャー部門最優秀賞受賞。

 

 

第39回(2020年)

藤本巧「寡黙な空間 韓国に移住した日本人漁民と花井善吉院長」 (工房草土社)

受賞者インタビュー https://mainichi.jp/articles/20200320/k00/00m/040/193000c

日本と韓国の人的交流の歴史を追い、韓国の中の日本、日本の中の韓国の風景を半世紀にわたり撮り続けてきた。受賞作品は、明治以降、日本各地の漁民が移住した韓国の地を約10年かけて記録したもの。

【授賞のことば】

韓国と私の50年・藤本巧

土門拳氏が日本工房時代に撮影した作品「道具としての手」「伊豆の週末」などから写真の魅力、力強さに刺激を受けた。だが、写真を撮り始めたばかりの私は、何に向かうべきかテーマが見えてこなかった。 1970年の夏、初めて韓国の地を踏んだ。ポプラ並木が続く田舎道。車から降りると、茅葺(かやぶ)きの美しい村里が広がり土の香りがした。桃源郷がそこにあった。突然の来訪者に、村人たちは親近感をもって迎えてくれた。構図を考える前に被写体に向かって突進していた。無我夢中だった。現像しなくても今までと異なった映像が、フイルムに宿ったことを実感した。それから半世紀も経(た)つが、そのときの感触は未(いま)だあせない。私を韓国に引き寄せる原点となった。日本が朝鮮半島を統治していた痕跡を取材していて、旧小鹿島慈恵医院(ハンセン病療養所)「花井善吉院長」のことを知った。日本式の生活様式を押しつけるのではなく、韓国人の民族性を尊重して患者たちに誠をもって接したことを、写真を通して語りたかった。日韓関係をほぐす鍵が、そこにあると思ったからである。私は東洋館完成(大原美術館)のお披露目で、土門氏にお会いした。車椅子で撮影を再開されたころだった。チェックのベレー帽から覗(のぞ)く眼光は鋭く、写真家の「気力」が漂っていた。 このたびの栄誉ある「土門拳賞」。甘えず、これからの励みにしたい。 

【略歴】

藤本巧(ふじもと・たくみ)氏  1949年島根県生まれ。独学で写真を習得。20歳から韓国の風土と人々を撮り続ける。主な写真集に「韓(から)くに風の旅」(87年、筑摩書房)、「韓くに、風と人の記録」(2006年、フィルムアート社)、「私の心の中の韓国」(16年、韓国で出版)、写真展は銀座ニコンサロン、イタリア、韓国国立民俗博物館などで開催。87年度、咲くやこの花賞、11年韓国文化体育観光部長官賞受賞。

 

第38回(2019年)

高橋智史「RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い」 (秋田魁新報社)

受賞者インタビュー icon-arrow-right https://mainichi.jp/articles/20190320/ddm/010/040/006000c

写真集は急速な都市開発が進むカンボジア・プノンペンで、強権政治に異を唱え、人間の尊厳を守ろうと訴え続け、行動する人々を中心に5年間追い続けた作品をまとめたもの。

【授賞のことば】

抑圧と緊張の日々に  高橋智史

初めてカンボジアに降り立った2003年9月末、あの日のことを今もはっきりと覚えている。スコールで冠水したプノンペンの道路には、無数のバイクやトゥクトゥクが水しぶきをあげて勢いよく行き交い、子どもたちはその脇で無邪気に水遊びをしていた。生活に密着している市場やひしめく屋台からは、各種クメール料理が混然一体となって香りたち、夕食の食材を買い求める人々で溢(あふ)れていた。活気に満ちた夕暮れの街に人々の生きる躍動が強烈に映え、幾度もシャッターを切った。その陰では、地雷で手足を失った戦傷者やストリートチルドレンが、国家の悲劇の歴史を背負いながら静かに生きていた。届かぬ彼らの願いを伝えたいと決意し、大学卒業後、すぐに移り住んだ。あれから15年が経(た)ち、政治亡命者さえも生み出す状況となってしまったこの数年間のカンボジアでの取材は、正に激動の時間だった。33年間の強権支配を築く政権の横暴に、異を唱える最大野党が解党させられ、主要英字紙は廃刊に追い込まれ、政治評論家が暗殺され、ジャーナリストや活動家、そして市民が次々と投獄される。その結末は、対抗勢力を社会から一掃して断行された総選挙での、新たな一党独裁の幕開けだった。息の詰まるような抑圧と緊張の日々は、ポル・ポト政権、内戦後、困難の中で懸命に積み重ねてきたはずの民主が破壊されていく様を、一つ一つ見せつけられるような時間だった。これからカンボジアは、どこに向かうのか。  光栄なる受賞を励みに、これからも全力で彼らの願いを写真に宿し、伝え続けていきたい。

【略歴】

高橋 智史(たかはし・さとし )1981年秋田県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。2003年からカンボジアを中心に内戦後のアフガニスタン、スマトラ沖大地震などを取材。07年からプノンペンに居住。主に同国の人権問題に焦点を当て、カンボジア・デーリー、ガーディアン、CNBCなどのメディアに報道写真を発表。写真集に「湖上の命―カンボジア・トンレサップの人々」(13年・窓社)、「素顔のカンボジア」(14年・秋田魁新報社)、「RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い」(18年・同)。写真展多数。06、11年上野彦馬賞入賞、13、14年国際ジャーナリスト連盟(IFJ)日本賞大賞、14年名取洋之助写真賞、16年三木淳賞奨励賞受賞。

 

第37回(2018年)

潮田登久子「本の景色 BIBLIOTHECA」 (発行・ウシマオダ、発売・幻戯書房)

確かな存在感を放つ古書を追い求め、図書館、古書店、個人の蔵書、出版社の編集室などを撮り続けた。人の手を経て変化した本の風貌、長い時間がもたらした重み、その本に触れた誰とも知れない人間たちの「生」が静かに迫ってくる。自然光のみの撮影により仕上げられたモノクロプリントが本の持つ背景を浮かび上がらせ、見る者を思索の旅へいざなう点が高く評価された。

【潮田氏談】

解体が決まり引っ越しを済ませたみすず書房旧社屋(東京都文京区)のガランとした書庫で、書架に取り残された白い本を見つけました。手に取って見とれてしまいました。本の内容について知りたかったのではありません。造本の美しさ、「モノ」としての佇(たたず)まいに惹(ひ)かれたのです。そうやって始まった「本」の姿を撮影する私に、「うちの大学の図書館を観(み)にいらっしゃい」などと声が掛かるようになり、国立国会図書館の施設を案内していただき撮影をする機会を得ました。大きな建物の中で「本の海に放り込まれてしまった」と、呆然(ぼうぜん)としてしまいました。本の内容はもちろん、本にまつわる数々について無知の私が、「モノ」として撮影するだけで良いのかという迷いが頭の隅に常にあり、それでも何ともいえぬ力に押され、撮影を止めることにはなりませんでした。シバンムシが夜空の星屑(ほしくず)のように穿(うが)ち抜いた経文の修復作業の側(そば)では、戦後の貧しい時代の子ども達(たち)がむさぼり読んだであろう「サザエさん」もあり、子ども時代を思い出しました。痛々しく包帯を巻かれたボロボロの本に驚き、小学1年生が付せんでブロッコリーのようにした辞書に笑い、時代、社会、人々の営みを背景に無限に広がっている「本」の世界の魅力に気づいていきました。どこへも中判カメラ「ゼンザブロニカS2」(6X6判一眼レフカメラ 1965年発売)にニコンのレンズをつけ、モノクロのフイルムを装填(そうてん)、ジッツオ社の三脚、小さなレフ板を担いで出かけました。1995年から本と本の置かれている環境を主題に、撮り散らかし続けて20年以上が経(た)ちました。「冷蔵庫」「帽子」「本の景色」のテーマは現在進行形です。これからも少しずつ撮り続けて参ります。

【経歴】

1940年東京都生まれ。63年桑沢デザイン研究所卒業。同研究所で写真家・大辻清司の授業を受け、写真家の道に進む。66~78年、桑沢デザイン研究所及び東京造形大学講師。78年よりフリーランス。主な写真集に「Chinese People」(私家版)、「冷蔵庫 ICE BOX」(BeeBooks)、「HATS」(パロル舎)。「BIBLIOTHECAシリーズ」の「みすず書房旧社屋」(2016年)、「先生のアトリエ」「本の景色」(いずれも17年、3冊とも幻戯書房)を刊行。夫は写真家・作家の島尾伸三、長女は漫画家・エッセイストのしまおまほ。

第36回(2017年)

梁丞佑(ヤン・スンウー)「新宿迷子」 (Zen Foto Gallery)

夜の新宿・歌舞伎町を「居場所」とする人々、またそこで起こったいさかいを1998年から14年まで捉えたスナップショットの集大成。モノクロームで写し取られた写真からは裸のままの人間の姿が浮かび上がり、読者は街と人間の持つ強烈な「におい」に引き込まれる。日本有数の街での「ありさま」を記録し、社会に訴えた点が高く評価された。外国人の受賞者は初めて。

【梁氏談】

何も分からず日本に来てから丸20年。初めてこの国で見た風景は、一見ソウルとあまり変わりない東京の「景色」。しかし、その街の中にはカルチャーショックがつまっていた。牛丼屋で黙々と一人でご飯を食べ「ごちそうさま」と言って帰っていく人々。肩をぶつけ合いながら、狭い飲み屋で楽しそうに過ごす人たち。規則正しく礼儀正しい。堅苦しいかと思いきや、自由。誰に何を言われる事も無く、一人自由に何かをできるのではないか――。この国に住みたいと思った。妄想しながら、黙々とつくる写真は私にぴったりだった。学生の間は奨学金、賞金、バイト、学校に「住み着く」などで、学費や生活費を捻出できたが、その後は想像を超える貧乏生活が続いた。自分がやっている事が果たして何の意味があるのか時々不安になった。表面的なインパクトのせいで、写真の内側をちゃんと見てくれていないのではないか。この作風と外国人だということで、心の隅に「自分は無理だろう」という気持ちもあった。そのもやもやが全て吹き飛んだ。学生の頃からあこがれていた賞だった。きちんと評価してくれる国なんだと思った。これを機に日本で写真をやっている外国人や、自分の作風に確信が持てないまま写真を続けている方々の勇気に少しでもつながれば。

【経歴】

1966年韓国生まれ。96年来日。2000年日本写真芸術専門学校卒業。04年東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。06年同大学院芸術学研究科修了。01、05年上野彦馬賞(日本写真芸術学会奨励賞)受賞。写真集に「君はあっちがわ僕はこっちがわ」(06年)、「君はあっちがわ僕はこっちがわ2」(11年)、「青春吉日」(12年)など。

第35回(2016年)

山内道雄「DHAKA2」 (Zen Foto Gallery)

約1500万人が暮らすバングラデシュの首都・ダッカの下町、市場などの雑踏をエネルギッシュに歩き、そこで出会った人々がつかの間に見せた表情のスナップショット。カラー、モノクロで写し撮られたダッカの人々は裸のままの人間らしい活気にあふれ、見るものはその交錯する息づかいに引き込まれる。

【山内氏談】

「私は路上で人を中心に街や時代、それらに託して自身を撮っています。一番面白いのは、人を『まるごと撮れた』と感じたときです。そのときの澄んだシャッター音の響きはとても気持ちのよいものです。この快感を味わいたくて街を歩いているのかもしれません。過去の時間が今によみがえり、写っている人や街が迫ってくるような昔の記録写真が好きです。カメラの複写機能とともに普遍的ななにかが写っているから生々しいのでしょう。確かにこんな時代があったのだ、と歴史を実感します。私もそんな写真を撮りたいと思っています。

【経歴】

1950年愛知県生まれ。早稲田大学卒業。82年、自主ギャラリーCAMPに参加、写真の発表を始める。写真家、森山大道氏に師事。東京だけではなく上海や香港、カルカッタ、ダッカなどアジアの都市で撮影。写真集に「街」「人へ」(92年)、「上海」(95年)、「HONG KONG」(97年)、「Calcutta」(2003年)、「HOLIDAY」(05年)、「東京2005-2007」(08年)、「基隆」(10年)など。1997年、22回伊奈信男賞受賞。11年、「基隆」で第20回林忠彦賞受賞。東京都写真美術館、周南市美術博物館(山口県)、(株)ニコンなどに作品が所蔵されている。

第34回(2015年)

下瀬信雄「結界」 (平凡社)

山口県萩市で写真館を営む下瀬氏が城下町・萩周辺の自然を大判フィルムで撮り続けたモノクローム作品集。大型カメラを担いで野山に分け入り、さまざまな草花、流れる水、虫、鳥の群れなど、そこにある手付かずの自然の息吹と変転、生と死の輪廻(りんね)の一瞬を刻み込んだ。細密に再現された自然の形姿は見るものを驚かせる。 地震と津波、活発化する火山活動、そして放射能汚染。自然との関わりに再考を迫るフォトドキュメントとして高く評価された。

【下瀬氏談】

「私が写すものはごく身の回りのありふれた自然です。同じように詩人が歌うのは身近なものです。でもその呟(つぶや)きは人の心に伝わります。私が見つめた小さな自然の息吹も、人々の胸に届くようにと願っています。自然から生まれた我々は又(また)そこから学ぶしかないのでしょう」。

【経歴】

1944年旧満州(現中国東北部)生まれ。67年、東京綜合写真専門学校卒業。山口県萩市で写真館を経営しながら、郷土の風土や暮らしに目を向けた作家活動を続ける。80年杉道助記念萩市芸術文化奨励賞、90年日本写真協会新人賞、98年山口県文化功労賞、2005年伊奈信男賞。写真集・著書に「萩・HAGI」(求龍堂)、「萩の日々」(講談社)。写真展は77年「萩」、87年「凪のとき」、89年「風の中の日々」、96年「結界」、13年「つきをゆびさす」など。

第33回(2014年)

桑原史成

「不知火海The Minamata disease Disaster」(ニコンサロン)

「水俣事件」(藤原書店)

東京農業大学、東京綜合写真専門学校卒業後、フリーランスの 報道写真家として活動を始める。まだ、国やチッソが水俣病の原因を工場排水と認めていなかった1960年から、水俣の撮影を始める。1964年から四半世紀にわたり韓国を取材。1967年からベトナム、1991年からソ連邦崩壊後のロシアを撮影。1997年、郷里に「桑原史成写真美術館」が開館。1962年に日本写真批評家協会新人賞、1971年に日本写真協会年度賞、1982年に伊奈信男賞、2003年に東江写真賞(韓国)、2006年にさがみはら写真賞。著書に「報道写真家」(岩波書店)、「桑原史成写真全集」(水俣、韓国、筑豊・沖縄、ベトナムの全4巻、草の根出版会)など。1936年島根県生まれ。

第33回土門拳賞作品

第32回(2013年)
亀山 亮 「AFRIKA WAR JOURNAL」(リトルモア)

1996年より中南米の紛争地域の撮影を始める。2000年秋、パレスチナの第2次インティファーダを取材中、イスラエル兵の撃ったゴム弾で左目を失明。2003年よりアフリカ各地の紛争地域を撮影。殺戮と略奪が日常化した紛争地域で底辺にあえぐ人々の苦悩と叫びに肉薄し そこで葬られ続ける生命に光を当てた。フォトドキュメンタリーの新たな方向性が高く評価された。 写真集「Palestine:Intifada」「Re;WAR」「Documentary写真」(自費出版)「アフリカ 忘れ去られた戦争」(岩波書店)など。1976年千葉県生まれ。

第31回(2012年)

高梨豊

「IN’」(新宿書房)

1960年代から様々な方法論で都市をとらえた。撮影対象に深く溶け込む姿勢と、瞬間の光景を通して、ありふれた日常から都市の姿を鋭敏に切り取る感性が高く評価。 『都市へ』(イザラ書房)、『東京人1978-1983』(1983年書肆山田)、『初國 pre-landscape』(平凡社)、『ノスタルジア』(平凡社)、東京国立近代美術館「高梨豊 光のフィールドノート」展など。1935年生。

第31回土門拳賞作品

第30回(2011年)

石川直樹

「CORONA」(青土社)

旺盛な行動力で極地や高山、海洋を旅し、自然とそこに生きる人々の営みを記録。生命の躍動や先人の残した知恵に新しい世界の在り方を模索。 『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』( 集英社)など。1977年生。

第30回土門拳賞作品

第29回(2010年)

鈴木龍一郎

「リュリシーズ 鈴木龍一郎写真集」(平凡社刊)

卓抜した技術と、真摯に向き合って対象そのものを浮かび上がらせる深い写真表現。代表作に「聖印度行」(太陽賞受賞)『オデッセイ』『ドルック』(ともに平凡社)など。1942年生。

第29回土門拳賞作品

第28回(2009年)

今森光彦

「昆虫 四億年の旅」(東京都写真美術館、新潮社より同名写真集)

琵琶湖周辺の自然と人との関わり、熱帯雨林から砂漠まで世界の辺境地で撮影。代表作に『スカラベ』(平凡社)『世界昆虫記』(福音館書店)『里山物語』(新潮社)など。1954年生。

第28回土門拳賞作品

第27回(2008年)

土田ヒロミ

「土田ヒロミのニッポン」(東京都写真美術館)

記録性と独特な表現力で日本という国への問題意識を明らかにしてきた。代表作に『俗神』(オットーズブックス)『砂を数える』(冬青社)『ヒロシマ』(佼成出版)など。1939年生。

第27回土門拳賞作品

第26回(2007年)

中村征夫

「海中2万7000時間の旅」(東京都写真美術館、講談社)

水中写真の第一人者。様々なメディアを通して、海の魅力と環境問題を伝え続ける。代表作に『海中顔面博覧会』『全・東京湾』(ともに情報センター出版局)など。1945年生。

第26回土門拳賞作品

第25回(2006年)

内山英明

「JAPAN UNDERGROUND3」(アスペクト)

「東京デーモン」(アスペクト)

都市のワンダーランドと日本の地下施設を並行して撮り続ける。代表作に『都市は浮遊する』(講談社)『いつか晴れた海で~エイズと平田豊の道程』(読売新聞社)など。1949年生。2014年没。

第25回土門拳賞作品

第24回(2005年)

坂田栄一郎

「PIERCING THE SKY―天を射る」(東京都写真美術館、求龍堂)

広告写真や肖像写真家として広く知られる。代表作に『注文のおおい写真館』(流行通信社)『JUST WAIT』(求龍堂)『LOVE CALL︱時代の肖像︱』(朝日新聞出版)など。1941年生。

第24回土門拳賞作品

第24回作品

第23回(2004年)

鬼海弘雄

「PERSONA」(草思社)

長年にわたり、インドや浅草、東京各地を撮り重ねている。代表作に『王たちの肖像』(矢立出版)『INDIA』(みすず書房)など。最新刊に『アナトリア』(クレヴィス)がある。1945年生。

第23回土門拳賞作品

第22回(2003年)

広河隆一

「写真記録 パレスチナ」(日本図書センター)

パレスチナ、チェルノブイリなど、フォト・ジャーナリズムの第一線で活躍。『DAYS JAPAN』発行・編集長。代表作に「チェルノブイリ消えた458の村」(日本図書センター)など。1943年生。

第22回土門拳賞作品

第22回作品

第21回(2002年)

百瀬俊哉

「東京=上海」(西日本新聞社)

都市に存在する「からっぽの風景」をテーマに、世界の都市風景を撮影。写真集に『Concertoイスタンブル~ブエノスアイレス』『インド照覧』(ともに窓社)など。1968年生。

第21回土門拳賞作品

第20回(2001年)

大石芳野

「ベトナム凛と」(講談社)

戦争や内乱を経験した人々の、その後の姿を記録し続けている。代表作に『HIROSHIMA 半世紀の肖像』(角川書店)『アフガニスタン 戦禍を生き抜く』(藤原書店)など。1943年生。

第20回土門拳賞作品

第20回作品

第19回(2000年)

金村 修

「BLACK PARACHUTE EARS, 1991-1999」と一連の写真活動

いわば「金村空間」を表出する写真展など、独自の方法論で行ってきた9年間にわたる写真活動が評価。代表作に個展「Crashlanding in Tokyo’s Dream」など。1964年生。

第19回土門拳賞作品

第18回(1999年)

水越 武

「森林列島」(岩波書店)

日本列島の豊かな森林を単なる自然保護ではなく、学術的な見地から記録。代表作に『穂高 光と風』(グラフィック社)『日本の原生林』(岩波書店)『HIMALAYA』(講談社)など。1938年生。

第18回土門拳賞作品

第17回(1998年)

本橋成一

「ナージャの村」写真展、映画

チェルノブイリ事故の汚染地に暮らし続ける6家族を追った、いのちの大地の記録。代表作に『炭坑(ヤマ)』『上野駅の幕間』(ともに現代書館)『バオバブの記憶』(平凡社)など。1940年生。

第17回土門拳賞作品

第16回(1997年)

須田一政

「人間の記憶」(クレオ)

何気ない日常の光景を、独特のフィルターを通して撮影することで、現代日本の一面を浮き彫りにした。代表作に『風姿花伝』(朝日ソノラマ)「紅い花」(ワイズ出版)など。1940年生。

第16回土門拳賞作品

第15回(1996年)

砂守勝巳

「漂う島 とまる水」(クレオ)

自らのルーツをたどる旅を通して、戦争や米軍によって変化した沖縄の本質を描き出した。代表作に『カマ・ティダー大阪西成』(IPC)『オキナワ紀聞』(双葉社)など。1951年生、2009年没。

第15回土門拳賞作品

第14回(1995年)

鈴木 清

「修羅の圏(たに)」(自費出版)

日本現代史の一断面をうかがわせる自伝的作品や、自費出版へのこだわりなど、独創性が評価。代表作に『流れの歌』『天幕の街』(ともに自費出版)など。1943年生、2000年没。

第14回土門拳賞作品

第13回(1994年)

南 良和

「秩父三十年」(平凡社)

日常的なフィールドの中で粘り強く対象を見つめ、秩父の暮らしや農業の変化を記録し続けた。代表作に『ある山村・農民』(新泉社)『黄土高原』(日本経済評論社)など。1935年生。

第13回土門拳賞作品

第12回(1993年)

長倉洋海

「マスード 愛しの大地アフガン」(JICC出版局)

9年間にわたりアフガンゲリラと寝食をともにした取材など、報道写真の第一線で活躍。代表作に『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』(福音館書店)『フォト・ジャーナリストの眼』(岩波書店)など。1952年生。

第12回土門拳賞作品

第11回(1992年)

今枝弘一

「ロシアン・ルーレット」(新潮社)

ソ連崩壊の生々しい現実を独自の視点と情熱で追い続け記録した。代表作に『天安門・撮影日記』(話の特集)『村の国際結婚』(新潟日報編)など。 1963年生。

第11回土門拳賞作品

第10回(1991年)

十文字美信

「黄金 風天人」(小学館)

日本の黄金美を追求したエネルギーと集中力が評価された。代表作に『蘭の舟』(冬樹社)『十文字美信の仕事と周辺』(六耀社)『感性のバケモノになりたい』(求龍堂)など。 1947年生。

第10回土門拳賞作品

第9回(1990年)

宮崎 学

「フクロウ」(平凡社)

自然と人間との関わりをテーマにハイテクを駆使した斬新な手法で、動物写真に新しい分野を開拓した。代表作に『けもの道』(共立出版)『死』(平凡社)『アニマル黙示録』(講談社)など。1949年生。

第9回土門拳賞作品

第8回(1989年)

津田一郎

「無名地帯・奥の細道」(ニッコールクラブ)

『奥の細道』を現代風に解釈した映像技法がたたえられた。代表作に個展「無明地帯ー伝来の地」(ニコンサロン)「虚空巡礼ー平家物語』(下関・赤間神宮)など。1942年生。

第8回土門拳賞作品

第7回(1988年)

西川 孟

「ひと・もの・こころ」(天理教道友社)

真摯(しんし)かつ情熱的な撮影姿勢と完璧な表現技巧が認められた。代表作に『桂離宮』(講談社インターナショナル)『角屋』(中央公論社)『殉教』(主婦の友社)など。1925年生、2012年没 。

第7回土門拳賞作品

第6回(1987年)

管 洋志

「バリ・超夢幻界」(旺文社)

精力的にアジアの民族を写真取材。生活や風土といった民族学的な価値も高い。代表作に『魔界・天界・不思議界・バリ』『大日光』(ともに講談社)『ミャンマー黄金』(東方出版)など。1945年生。2013年没。

第6回土門拳賞作品

第5回(1986年)

新正 卓

「遥かなる祖国」(朝日新聞社)

写真集及び写真展

『奥の細道』を現代風に解釈した映像技法がたたえられた。代表作に個展「無明地帯ー伝来の地」(ニコンサロン)「虚空巡礼ー平家物語』(下関・赤間神宮)など。1942年生。

第5回土門拳賞作品

第4回(1985年)

江成常夫

「シャオハイの満州」(集英社)

「百肖像」(毎日グラフ)

力強いドキュメントと粘り強い写真活動が評価された。代表作に『花嫁のアメリカ』(講談社)『まぼろし国・満洲』『記憶の光景・十人のヒロシマ』(ともに新潮社)など。1936年生。

第4回土門拳賞作品

第3回(1984年)

野町和嘉

「バハル」(集英社)

サハラ、エチオピア、中東など厳しい自然の中で生きる人々をスケールの大きい視点でとらえた。代表作に『ナイル』(情報センター出版局)『サハラ20年』(講談社)『メッカ巡礼』(集英社)など。1946年生。

第3回土門拳賞作品

第2回(1983年)

内藤正敏

「出羽三山と修験」(佼正出版社)

民間信仰の根付いた土地で、あの世とこの世の間に存在する人達と風景を長年にわたっての撮影。代表作に写真集『東京 都市の闇を幻視する』(名著出版)著書『日本のミイラ信仰』(法蔵館)など。1938年生。

第2回土門拳賞作品

第1回(1982年)

三留理男

「ケニア飢餓前線」(毎日新聞に発表)

「アコロ」「国境を越えた子供たち」(ともに集英社)

第三世界の国境線上の人たちを意欲的に取材。代表作に『辺境の民︱アジアの近代数民族』(化と少弘文堂)『地雷 1億1000万の悪魔』(草の根出版)『飢餓』(光文社)など。1938年生。

第1回土門拳賞作品

 

 

 

 

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