《一般部門》優秀賞・要旨 毎日農業記録賞①
「生きててよかった」–飛田裕子さん(45)
農業の経験も体力もないまま農家に嫁ぎ、死にたいと考えもしたが「生きているだけでいい」との夫の言葉で思い直した。特産の干し芋は中国産の輸入などで一時はどん底に。しかし夫婦で始めた「いい芋」作りが地域に広まったり、登校拒否の少年が畑を手伝ううち学校に通う姿に接するうちに「農業はすばらしいと誇りを持てるように」なった。
とびた・ゆうこ
1963年、水戸市生まれ。幼稚園保育士を経て、23歳の時、農業経験ゼロで干しいも農家に嫁ぐ。夫とおいしいいも作りに励む傍ら1男2女を育てる。8年前に自宅庭先に干しいも直売店をオープン。地域ぐるみの品質向上にも取り組む。
「子供達への手紙としての”農”~我が農園『雨読晴耕村舎』の取り組み–後藤雅浩さん(43)
阪神大震災の現地調査を機に会社を辞め、「自給的・循環型農業の実現」を目指す。就農4年後に倒れたことで「無理せずに」と考え直し、農産物加工所「糧工房」を作って必要な作物だけ育てるように改めた。レンゲを植え、肥料や機械を使わずに自家用の稲作を実現。「経験や機械が乏しくても農業は可能」と”農”ある暮らしを提案する。
ごとう・まさひろ
阪神大震災で都市の脆弱さを実感、埼玉で建築業との兼業で就農した。持続可能な循環型農業を目指す。
HP「雨読晴耕村舎のスローフード」 (http://www.cam.hi-ho.ne.jp/masa-goto)
プログ(http://udokuseikousonnsya.seesaa.net/)
「農は地球を救う!!」–松本伊代さん(22)
子供のころ見た、飢えた外国人と食べ物を残す日本人のニュースをきっかけに「食べ物は生きる基本」「国際貢献」を考えた。短大卒業と同時にIターンし稲作に取り組む農業法人へ。祭りなどを通じて見知らぬ地に受け入れられ、地域の資金支援でアフリカに援助米を送った。「今度は私が農業の大切さ、人とのつながりのすばらしさを発信したい」
まつもと・いよ
1986年、福島市の会社員家庭に生まれる。宮城県立農業短期大学(当時)を卒業後、おじの経営する新潟県上越市の農業生産法人「グリーンファーム清里」(http://greenfarm-kiyosato.com)に就職。海外に援助米を送る活動にも取り組んでいる。
「『挑戦と工夫』私の農業」–堀口美幸(よしゆき)さん(63)
57歳で会社を辞め、家庭菜園の延長程度の農業をしていた。農協に頼まれて地域で担い手の減ってきたスイートコーン「甘々娘(かんかんむすめ)」の作付けを開始。経費削減を工夫しながら作付面積を拡大させた。農協の農産物直販所でも運営の中心に。すべてに満足ではなく農機具の導入に費用もかかるが「今後も『安全・安心』の作物作りを頑張って行いたい」。
ほりぐち・よしゆき
1945年、山梨県上野村(現・市川三郷町)の農家に生まれた。県立甲府工業高校卒業後、大手マスコミに勤務。02年7月に退職した後、妻の勝美さんと農業を始める。「今後も挑戦と工夫を座右の銘に頑張りたい」という。