第43回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞・中央審査委員長賞


シングルマザーの新規就農奮闘記

篠崎 祭

シングルマザーの新規就農奮闘記 篠崎 祭

「まさか! 私が農家になるなんて!!」

10年前、埼玉県のある街で小学生の息子と2人暮らしをしていた私は、自分が農業を始めるとは夢にも思っていませんでした。

私は美術短期大学卒業後、約15年間クリスタルガラスの成型職人をしていましたが、当時勤めていたガラス工場に不況の風が吹き、遂には工場が売却される事になってしまいました。

「これからどうやって生活していこう?」

女手ひとつで子供を育てていて困ってしまいました。次の仕事を考えた時、私はふと父の実家に30年放ったらかしの畑がある事を思い出しました。そこは埼玉県北部にある旧岡部町(現:深谷市)で、かつては養蚕が盛んな桑畑が広がる農村地帯でした。父は若い頃東京での生活に憧れ、上京してからは実家の畑を管理する事もなく、かねてから私は「あの畑はどうなってしまうのだろう?」と気になっていました。畑の使い道についてまず最初に思い付いたのが、レンゲやクローバーなど花畑を作っての養蜂でした。里山の風景として花畑をイメージしたのです。そこで養蜂を始めるためにはどうしたら良いのか、埼玉県で行っていた新規就農相談に行きました。すると意外にも畑のある旧岡部町は今やブロッコリーとトウモロコシの一大産地という現状を知り、「こんなにも恵まれた地で農業をやらない手はない!」私は燃え上がるモノを感じました。とは言っても東京生まれで家庭菜園さえやった事がない私は、農業がどんな仕事か全く想像が出来ず、埼玉県農業大学校で1年間勉強する事にしたのです。39才の時でした。

久しぶりの学生生活は若い子達に混じり楽しい日々でした。農作業だけでなく植物生理学や農業簿記などの授業もあり、「農業をやるにはこんなに勉強しないとダメなんだ」と驚かされました。あっという間に1年が過ぎ、先生方の丁寧なご指導のもと、面積約150aの畑で『女ひとり農業』をする決心をしました。子供の為にもあとは頑張るしかない!女の底力は凄いんだぞ!!私は父が出来なかった分、私の世代で畑を何とかしなければならない責任感に駆られ、とにかく前に進む事しか考えませんでした。

農業を始めるにあたって、代々続く農家なら先代から受け継ぐ設備や農業機械もあったでしょうが、全く何もない状況から就農したので、トラクターや管理機など農業機械を買ったり、それを格納する倉庫、育苗ハウス、、、その他水や電気を引くために多くの初期投資が必要でした。作業場は業者に頼む資金がなかったので、仕方なく自分で単管パイプを組んで屋根を掛ける事にしました。もともと工場で働いていたので工具を使うのは慣れているし、趣味は女だてらに日曜大工です。何とか雨風を凌げる程度の作業場が完成しました。父は金銭的な援助や手伝いをしてくれませんでしたが、幸い口も出さなかったので、自分がやりたい様に進める事が出来ました。

平成18年3月末、岡部のアパートに引っ越すと、翌日からトウモロコシ(60a)の播種を始め本格的に農業がスタートしました。トラクターでの耕うんから苗の植え付け云々、作業には終わりがなく、夜明けから日没までこれでもか、、、という程働きました。当時の私は希望に溢れていて、疲れを疲れとも感じず、無我夢中で作業に明け暮れていました。それを見ていて、小6の息子が農作業を手伝ってくれる様になりました。トウモロコシの収穫期には「一緒に収穫したい」と言ってくれたのです。朝早い時間から畑に連れて行くのはどうかとも思いましたが、子供ながらお母さんの役に立ちたかったのでしょう。その気持ちを有り難く受け止め手伝ってもらうと、息子は本当に頼りになりました。運搬車で両側のトウモロコシをもぎとっていくのですが、それの早いこと、早いこと! 大人は腰を屈めて1本ずつとるのに対し、子供にはちょうど良い位置に実が付いていて、両手で2本ずつもいでいくのです。朝までにとり切れないかと思われたトウモロコシも、子供の協力を得て順調に収穫する事が出来ました。

ところが夏も近づいたある日、岡部周辺に夕立が襲いました。たった30分ほどの雷雨でトウモロコシはなぎ倒され、バラバラと雹が降り大変な被害になりました。収穫目前の実があちこち潰れ、出荷停止になってしまったのです。これから農家として頑張って行こうと思っていたのに、、、。自然相手に太刀打ち出来ない私は悔しさで涙が出てきました。

残念な結果に終わったトウモロコシですが、いつまでも悪夢を引きずっていられません。次の秋冬どりブロッコリー(80a)に向け全力で作業に明け暮れました。真夏の定植作業はキツイ仕事でした。日本で1・2番を争う暑さになる熊谷の隣町で、炎天下の中農作業をしていると何度も倒れそうになりました。この時私は気力だけでは付いて行けず、つくづく強靭な肉体が欲しい!と思いました。女一人で農業をやっていると、体力には自信があったつもりですが、限界を感じる事が多々あります。肥料は1袋20kgもあり、トラックに乗せるだけでも一苦労。また管理機でのさく切りは機械を抑え切れずヨロヨロと曲がっていってしまうなんて事も。そこで私は筋力を付けるためジム通いを始めました。腕力だけでなく、精神力の鍛錬も目指していました。

当初地元の方々は、私を好奇の眼で見ていたと思います。時々珍しいからと声を掛けられ励まされる事もありました。ここは埼玉と言えど旧家が多く、未だ隣組の精神でお付き合いがある地域です。中には私の祖父母をよくご存じの方々がいらっしゃって、農業でわからない事があると親切に教えて下さいました。時には見ていられなかった様で、「こうやるんだよ。ちょっとクワを貸してみろ」とお隣の80才になるおじいちゃんにお手本を見せてもらった事もありました。いくら農業大学校で勉強したとは言え実際自分でやってみるとわからない事だらけで、またそれぞれの地域に合った栽培方法があるので1から勉強です。なのでこうして教えて頂ける事は非常に嬉しく今でも感謝しています。

ブロッコリーの収穫の忙しさは想像以上でした。種まきを数日おきにずらしながら植えていったのに、恐ろしい事が起きました。生育が早過ぎて収穫が追い付かなくなったのです。ブロッコリーは出荷時に既定の大きさがあるので、収穫を明日に持ち越しは出来ません。午前0時からヘッドライトを灯しながら畑一面とらなければならない事態に陥りました。10時間かけて収穫し、5時間で箱詰めし、締め切り時間ぎりぎりに出荷場へ駆け込む毎日でした。その後畑のブロッコリーを防除したり翌日の箱作りをするので、ご飯を食べる時間もなく、ボロボロに疲れて寝るためだけに家に帰る日々が続きました。でもこんな状態で仕事をしているのは私だけではありません。親戚のおじさん達も「ブロッコリーに殺される~!」と悲鳴を上げながら作業に追われていました。しかしこの年は空前の安値になってしまい、トラック満載で出荷しても大した売り上げにならず、農業の厳しさを突きつけられました。子供と一緒に生活をする為に農業をやっているのに、食べていく事もままならない状態でした。

また50aほどの田んぼを引き受け、見よう見まねでやってみたもののトラブルに直面!慣れない湿田にトラクターが埋まってしまい身動き出来なくなってしまいました。どうにもこうにもならない中、泣きながら半日以上重たい土をスコップで掘り続け、救出できた時には完全にグロッキー状態。しばらく土手の上でノビてしまいました。

この様にこれまで数々の辛い事がありましたが、農業をやってみて後悔の念に駆られた事は今まで一度もありませんでした。何故なら私は畑の管理は先祖からのリレーの様なものだと考えていて、そのバトンを受け取ってしまった以上、「私がやらなくてどうするんだ」という気持ちでいたからです。この思いは困難にぶち当たった時、私をいつでも強くしてくれました。父が手を出さなかった30年のブランクは並大抵の努力で埋められるものではありません。それを覚悟の上やろうと決めたので、ここで引き下がるワケにはいかなかったのです。

またシングルマザーとして頑張っている姿を子供に示すのも教育だと思っていました。子供の存在が私のエネルギー源になっていたし、何としても育てあげなくては、と意気込んでいたので、へこたれている場合ではありませんでした。将来子供がどんな仕事を選択しても構いませんが、もしかしたら「農業をやりたい」と言い出すかも知れません。畑の管理の仕方を見せておけば、いざという時役に立つのでは。私は子供が次のバトンをスムーズに受け取れるよう出来るだけの事はしてあげたいと思いました。

農家になって約10年。現在の私は3年前に再婚をし、47才で第二子が生まれました。人生の転機を迎え今後のライフスタイルを考えた時、私はやはり一人で農業をする道を選びました。公務員の夫は休みが少なく、あまりあてにはなりません。耕作面積は200a近くに拡大し、農繁期にはアルバイトを雇うまでになりました。相変わらず収穫の時期はドタバタで、作業場に泊まり込みになる時もあります。でもこんな生活の中に、工場勤めの時には感じられなかった充実感を感じています。やはり自然相手の仕事は楽しいし、どうしたら美味しくて見栄えの良い野菜が作れるだろうか、その目標には終わりはありません。

最近日々のトレーニングの成果かだいぶ力瘤が盛り上がるようになってきました。私はこれからも、大きいトラクターを颯爽と走らせ農業をしているカッコイイお母さんでありたいと思っています。いつか子供がその道を一緒に歩いてくれる事を願って、今日もまた力瘤をさすりながら農業に励むのでした。

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