第49回毎日農業記録賞《一般部門》 優秀賞


東京で土に触れる

福原美保(73)=東京都日野市

 農家の草取りなどを手伝う「援農ボランティア」を始めて10年目になる。岡山から日野市の息子家族の近くに来て10年。同市の農業ボランティアに応募。「農の学校」で研修し、援農の会に所属。ボランティアは70人を超し、40農家を支援している。野菜の出荷には多くの手がかかることに驚いた。田舎では義務感だけでやっていた畑の草取りも、今は達成感がある。同世代の人と話が弾む。楽しい東京生活を送ることが一番の願いだ。

農からうまれた豊かなつながり

石原修(73)=山梨県市川三郷町

 北海道出身で、40年前に妻の実家に移住。18年前に義父母の農地を継いだ。落葉樹で漢方になる木を植えた。自然農法の田畑にはたくさんの生き物がすむ。地元の幼稚園児が農業体験をしている。関心を持った人たちが田植え体験に来てくれる。初対面の人たちのチームワークが、豊かな気持ちにさせてくれる。人の手で作り出す農業は、人とのつながりを生み出した。6年前からは長女夫婦が農業をやってみたいと移り住んできた。

非農家出身・コメ研究者が目指す世界への挑戦

細谷啓太(33)=長野県伊那市

 大学生になって人生に迷った。青森の祖母の家を訪ねた。美しい田んぼが風になびいていた。「農業を一生の仕事にしよう」と決めた。国立大農学部へ編入。フィリピンの国際稲研究所に留学した。国立研究開発法人の研究員としてベトナムで温室効果ガス軽減農業のプロジェクトに関わる。今は博士論文のテーマだった無肥料無農薬農業の稲作に取り組む会社で働く。経験を活用し、第三者に伝えられる稲作技術に高めていきたい。

コロナ禍のピンチを転機に

高利充(50)=石川県七尾市

 コロナ禍。作物はほとんど売れない。脱サラし、2000年から能登島で農業を始めた。販路は首都圏のホテルやレストランなど。苦境の中、販売サイトを立ち上げると、取引のあるシェフらがフェイスブックで紹介してくれた。客は残った。大卒後、建材会社に就職、大分の道の駅の建設に関わった経験から農業に将来性を感じた。顧客のニーズに応じて野菜を作ることに真剣になった。18年には、日本初のテロワール賞を受けた。

あばん達の活気ある地域づくり弁当作り奮闘記

小谷清美(69)=福井県小浜市

 築120年の民家が人生を思わぬ方向に導いてくれた。人に貸していたが空き家になり、再利用を考えていた。2008年に弁当宅配を開業。店名「あばん亭」。「あばん」は方言で「おばさん」の意味。イタリア語の「アバンティ(前進)」の意味も込めた。14人が協力に来てくれた。11年には農家レストランも開業。従業員の平均年齢75歳。孫の世話との両立などライフスタイルに合った働き方をしている。仲良く楽しい職場だ。

農に生きる

松浦弘美(66)=滋賀県竜王町

 夫の定年退職を機に、夫婦で就農した。夫は農業大学校で技術を学ぶ。その本気度に動かされた。人気のあるイチゴに特化した。初収穫の前に、がんの宣告を受けた。ステージ4。小さな植物の生命力がエネルギーを与えてくれた。近所の仲間たちが毎朝、作業を手伝ってくれた。心の温かさを心底感じた。体調は奇跡的に回復。コロナ禍でも夫は新しいブドウの露地栽培に取り組む。夫婦で何度も立ち上がりチャレンジする日々だ。

ニンニクがつないだもの

福田俊紀(30)=大阪府吹田市

 「ニンニクやらん?」。22歳の夏、A君から声をかけられた。「ああ、やろう」。彼の伯父さんがニンニク農家だ。完全無農薬、除草剤不使用を強みにした。手製のニンニクキャラクターを描いて直売所に飾った。これが当たったが、10カ月かけて得た賃金は「時給137円」。でも、予想外のものも得られた。人とのつながりだ。畑で米作りが再開されることになり、栽培は2年で終わった。ニンニクは強い。また場所を変えて再開したい。

清水家に嫁いだはずが、高野地に嫁いでました

清水香代子(60)=愛媛県八幡浜市

 嫁いだのは23歳の時。嫁ぎ先の八幡浜市高野地は標高350㍍でミカン、ブドウなどを栽培する地域だった。女性陣でキズが付いた果物を加工する活動を始め、「高野地フルーツ俱楽部」を結成した。2019年、市内で初開催されたマーマレードの世界大会に出品、金賞を受けた。廃校の一角に新しい加工場を作り生産を拡大。6種類に増えたマーマレードは今年、金賞四つと銀賞二つを受賞した。

牛と出逢(であ)い~死亡事故ゼロを目指して~

大石恵子(48)=長崎県松浦市

 結婚6年の時、夫は会社を退職。黒毛和種の繁殖経営を継いだ。家畜の人工授精師資格を得ていた夫は、島内の全飼育牛320頭の授精を引き受けた。自分は役に立たず情けない思いをしていると、「恵子の名前で人工授精師資格講習会申し込んだよ」と夫。「やるしかない」。島内初の女性人工授精師になった。子牛の衛生プログラムで感染病を防止した。あの時「私がやらねば」と踏み出さなければ、情けない自分のままだった。

農業でなにが出来るのか

仲宗根工(38)=沖縄市

 実家は農家だった。パミスサンドという養液栽培で葉物野菜を始めた。低カリウム野菜の栽培を思いつく。腎機能低下の人向けに販売しているもので、需要は確実だ。何か武器がないと農業生活者は闘いきれない。保育園の食育にも大いに貢献できた。野菜の原価計算まで子供にさせる。「単価」というモノを見る目が変わってくる。農業には魔力がある。「やってみるか」的な。日本の食は農家が責任を持って守っていく。

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