第50回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞 中央審査委員長賞 農林水産大臣賞 新規就農大賞


愛媛県で柑橘農家始めました!

愛媛県伊方町 大久保 玲香(33)

一般部門・最優秀賞 中央審査委員長賞 農林水産大臣賞 新規就農大賞 大久保玲香さん(左・右は夫の聡俊さん)

◇おおくぼ・れいか
 1989年、三重県鈴鹿市生まれ。運送会社事務員だった28歳の時、同僚でトラック運転手の夫聡俊さんと結婚。1カ月後の2017年8月、夫から就農を提案され、18年3月に2人で愛媛県伊方町に移住。約2ヘクタールの園地で9種の柑橘を栽培する。町の地域おこし協力隊員を2年半務め、狩猟免許を取得して獣害対策も担った。

 三重県生まれ三重県育ち、二十八歳で三重県人と結婚。旦那はトラックドライバー、私はOLという普通の夫婦でした。

 「なぁ、農業しないか?」。入籍一カ月での衝撃告白。閃光を伴う落雷のごとく私の頭を直撃した二〇一七年八月の告白。

第1幕 協議開始

 「やったこともないのに、なぜ農業なの? 今の経験を生かした仕事じゃダメなの?」の問いに、「将来性のある仕事として、農業に興味を持った」。更に「自分自身で何かを始めたい。起業したい。夫婦2人で始められる仕事が農業だ」と旦那。不安は山積みでしたが、根っから楽天家の私。「何か作るのは面白そうだし、始めるなら少しでも若い方がいい」と旦那より積極的に「農業」「就農」のネット検索を始めた二〇一七年九月。

第2幕 移住就農

 就農に向け、まず県内の就農相談機関へ。就農へ向けて動き出したはずなのに、時間がたつほど問題点があらわになりました。そもそも、私たちは、栽培作物未定! 土地なし! 知識も技術もなし! そのうえ営農開始までの費用も不明、所得が得られるまでの期間も見えず、楽天家の私も、さすがに不安な気持ちになっていきました。悶々としている時、テレビに映る同年代の移住夫婦の姿があり、「これだ! 三重に拘らず移住就農しよう!」と勢いよく提案をしたのは私でした。そして、これが、愛媛県で柑橘農家になる第一歩となりました。

 その後は検索キーワードに「移住」を加え、東京の「ふるさと回帰支援センター」のサイトに辿り着き、週末には二人で上京しました。相談員の「移住先のイメージは?」の問いに、「雪が降らなくて、海が近いところで農業がしたいです」とお伝えしたら、「夫婦で移住して農業するなら、どの県も大歓迎ですよ」と言われ、たくさんの移住就農情報を紹介してもらいました。そんな中、愛媛の柑橘農家の話とオレンジ色に染まったみかん山は印象的で、「次は現地視察だ! 新婚旅行ついでに愛媛に行こう!」と前向きな気持ちになりました。帰りの新幹線で二人、シュウマイ弁当を食べた二〇一七年十月。

第3幕 愛媛県民

 東京に行った二週間後には愛媛にいました。二人とも人生初愛媛。役場の案内でみかん山や空き家も見せていただきました。また、農家として独り立ちするまでの研修制度の話で、具体的な就農までのイメージが湧きました。その日のうちに、ここで柑橘農家を目指そうという気持ちになっていました。その後も連絡を取り続け、一年間の研修制度を受けられることになり、三重のアパートを引き払い、必要最低限の荷物だけで引っ越しました。旦那の衝撃告白から約半年、愛媛県民になった二〇一八年三月。

第4幕 大江集落

 移住先は佐田岬半島中央部の伊方町大江集落。最初に農業体験で訪れた集落で地域の温和な風土や人柄に触れ、この地に決めました。「なんで大江なん?」と地元の人にも言われる不便な集落です。四十戸ほどの集落には店はなく、お金が使えるのは自動販売機。(それも移住一年後に撤去)。コンビニまでは車で三十分。「大江は不便だよ」と便利の良い地域での就農や生活を勧めてくれた方もいました。

 ただ、私自身は農業をするために来たし、便利の良い生活をしたかったわけでもなく、いわゆる田舎暮らしを楽しもう!と、ここを選んだこともあり不便生活にも満足していました。

 何より、柑橘農業をしていく上で、大江の環境に魅力を感じていました。みかん山は段々畑ですが、園内道が整備されていて、体に負担も少なく、年を取っても仕事ができると考えたからです。もう一つは、大好きな海まで徒歩三分という立地。目指す農業をしながら大好きな海の近くで生活する、ここが「私のアナザースカイ」だったのです。旦那は農業研修生、私は町の地域おこし協力隊の農業振興担当に着任し狩猟免許取得を目指した二〇一八年四月。

第5幕 田舎生活

 移住してわかった「田舎あるある」があります。玄関に野菜や魚、時には手作りのお総菜等が置いてあります。まるでリアル【ごんぎつね】。また、旅行のお土産が畑の野菜に変わり、その野菜がお肉に変わる、物々交換で【わらしべ長者】にもなります。

 ただ、田舎の醍醐味である大自然が近いのは良いことなのですが、野生動物とも距離が近いのは悩みの種。地域の方と獣害対策の広域柵を設置したり、罠ガールのごとく狩猟免許を取得し、取得後は柑橘畑を荒らす害獣を捕獲したり。地域の方と一緒に赤いベストを着用して獣害対策をしたことで、頼りにされ、感謝されることも増え、地域の一員に認めてもらえたようなうれしさも感じました。

 そして、移住後に一番驚いたのは、知らない人が、私たちのことを知っていることです。突然車越しに「大久保さん!」と話しかけられることもしばしば。いつかの移住者はいつの間にか人気タレント並みに顔が知れ渡っていました。そんな楽しい田舎暮らしの毎日をSNSに投稿。「たくさんの人に田舎暮らしの良さやリアルな現実を知ってもらい、こんな地域があるんだということを少しでも知ってほしい!」と思い投稿していた二〇一八年八月。

第6幕 祖母「元子83歳」

 移住に関して予想外の話がひとつ。夫婦二人の移住に二年目の夏、一人移住者が増えました。私の祖母元子83歳です。三重のアパートで独り暮らしをしていた祖母に「愛媛にきて手伝ってくれたらうれしいな」と話したことがきっかけで、生まれ育った三重から愛媛に移住したのです。幸い、ご近所さんは、祖母と同世代の方が多く、老人クラブに誘われ友達もでき、週二回の移動販売車で買い物をし、井戸端会議も楽しそうです。何より、愛媛の生活が合っているのか、移住後は風邪をひくことや体調を崩すことがなくなり、健康に生活しています。家族が増えた二〇一九年初夏。

第7幕 四苦八苦

 農業に関してはゼロスタートで、苦労もたくさんありました。剪定講習会は最前列で参加。しかし、自分の園地でいざやってみると、木の形が違っていて指導されたように枝が切れないことが度々ありました。夏の防除作業は、かっぱの中を流れる汗に気分が悪くなり、持っているホースを投げ出したこともありました。「さぁ、収穫だ!」と山に行くと動物たちが収穫前の柑橘を食事した後で、涙が出たことも。

 まだまだ技術不足と経験不足で、思うような大きさの果実が作れなかったり、防除タイミングがわからず黒点病がたくさんついてしまったり、突然木が枯れてしまったり。そんな時には大先輩に「どうしたらいいですか?」とアドバイスを求めます。そのアドバイスを基に軌道修正しています。

 就農初年度に初収穫のみかんを試食してきたところ、思っていた味とは程遠く、「このみかんが本当にお金になるのだろうか?」と心配になったこともありました。色づく柑橘に一喜一憂していた二〇一九年秋。

第8幕 二人三脚

 移住して五年。二人で管理する園地には、温州みかん、伊予柑、不知火、ポンカン、愛媛果試第28号、清見タンゴール、せとか、サンフルーツ、甘平と九種類の柑橘が実るようになりました。営農面積は約2ヘクタール。農繁期は想像を超える忙しさで、夜中まで選別作業が終わらなかったり、計画通りに作業が進まず二人で言い合いになったりと、考えが甘かったと思うこともあります。そんな時は地域の大先輩の「農業は夫婦二人が元気でできる産業」という言葉が胸に刺さります。二人だから移住したし、農業を始められたのだと思います。毎日一緒に作業していると腹が立つこともありますが、これからも思いやりをもって、自分たちが選んだこの土地で、いつまでも二人で農業をしていきたいと思っています。

 改めて、この地域での農業や生活は三重県での生活とは全く違いますが、今の愛媛暮らしのほうが自分たちにしっくりきています。それは、私たち夫婦と祖母を受け入れてくれた集落の方々、移住後に関わってくださった愛媛の方のおかげだと感じています。

 愛媛に移住して、良かったー!と思う二〇二二年八月。

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