第50回毎日農業記録賞《一般部門》 最優秀賞


農業人生九十年をふりかえる

森山洋(90)=山形県尾花沢市、川魚養魚業兼農業

 満州事変の年に生まれた。「15年戦争」の時代と幼少期が完全に重なる。戦争の愚かさを記録しておかねばならない。国民学校児童だった終戦の年とその前年は、防空壕(ごう)掘りや松根油工場の建設に明け暮れた。叔父3人が戦死。父の2歳上の兄は7人目の子を妻の胎内に残して出征し、遺骨になって帰ってきた。終戦。戦争は飢えとの闘いに変わった。強制供出制度の下、モミを隠していないか、農家同士が貯蔵を見て回った。担任は自分に教職の道を勧めたが、農業に就いた。「米は命」だ。結婚し、長女は「稲子」と名付けた。水田酪農に挑戦した。酪農家の娘だった妻の経験が力強かった。水田を売って畑を買い、さらに養蚕に切り替えた。減反の時代を迎え、養魚に転じた。2006年にはコイヘルペスによる全量処分を経験、調理場の火災にも遭遇した。人のやらない事ばかりやって必死に生きた。未知への挑戦は常に勉強だ。命と同格だった「米」を、今ではコイの餌にしている。

農業の未来

川合久利子(56)=福井県坂井市、農業・飲食店経営

 稲作専業農家の長女だ。「農業だけは絶対にいやだ」と、東京で念願のデザインの仕事についた。結婚後、福井に戻る。父の影響で、夫は20代前半で脱サラし、就農。夫の野菜作りに芸術性を感じ、その真剣な姿勢を誇らしく思った。子育て仲間から、「川合さんのおとーちゃんが作った野菜を子供に食べさせたい」という声をもらい、子供をワゴン車に乗せて移動八百屋をスタート。週3日、決まったエリアを回るスタイルは21年たった今も変わっていない。子供がママになり、親子2代の利用者もいる。60歳だった人は80歳になり、健康長寿のための役割を担っているとも感じている。スタートから16年後、自宅にカフェを併設。デザインで培った「映え感」を意識し、「生きる力」につなげることを考えている。子供のそばでママたちが穏やかにくつろいでいるのがうれしい。小規模だからこそ可能になる持続可能な農業に、必要性とやりがいを感じている。来春、大学を卒業する息子が夫の後継として就農する。彼と「農業の未来」の意見を交わすのが楽しみだ。

地域の味は地域の食材から『究極の地場産うどんの実現』

大倉秀千代(70)=岡山県瀬戸内市、農業・飲食業

 1993年に東京でのサラリーマン生活を終えてUターン。家業のうどん店と農業を継ぎ、2代目社長になった。当初は輸入小麦を使った。友人に「輸入でしょう」と言われ、「小麦など作れるわけない」と怒ったが、頭を冷やすと確かに「なぜ」と疑問がわいた。うどんのプロたちは「国産小麦は向かない」と笑ったが、製粉会社から取り寄せて使い続けた。隣の岡山市西大寺では、うどんに最適といわれる「シラサギコムギ」が栽培されていた。95年に種を分けてもらい自家栽培し、現在237㌃に広げている。石臼製粉器を購入。2008年には収穫の多い新品種「ふくほのか」に切り替えた。近くに大手セルフうどんチェーン店ができると客は3割も流出した。味の再研究に着手、製粉方法の改善で、なめらかなうどんができるようになった。料理のプロは地域の食材を求めている。持続可能な地域づくりの一つの方法として、「地域農業と結びついた食の展開」がある。

やってみなくちゃわからない~センパイ農業女子に憧れて~

福島恵美(45)=富山県入善町、農業

 「グループを作るんやけど、一緒にやらんけ」。元気な農業女子の先輩からの声がけが、ターニングポイントだった。長男がアトピーになり、効くものを探したところ、野菜ソムリエのブログを発見。エゴマがよいことが分かった。「これだ!」と、義両親の畑で栽培を始めた。誘われたグループは「百笑一喜」。廃棄される芋や値段がつかない規格外品などを使ってサトイモコロッケを作ろうというもので、ほとんどが「初めまして」の顔ぶれだった。学校給食で扱ってもらい、子供たちからも「おいしい」の声が上がった。翌年には家族と「経営協定」を結んで、新規就農した。山間部の耕作放棄地に農福連携でエゴマを植える取り組みも開始。エゴママイスター取得、栽培を5㌃に増やし新商品を開発している。活動で知り合った人たちと2021年に「にゅうぜんつなぐプロジェクト」を設立した。人と人とのつながりは、不思議なとても大きな力を持っている。

滋賀で一番小さな町『豊郷』から世界へ

市川健治(47)=滋賀県豊郷町、農業

 結婚式場の営業職から、古里で新規就農したのは11年あまり前。両親の後押しがあった。今はイチゴを使った6次産品「いちごバター」が海外でも販売される。イチゴを作るのは難しい。少量土壌培地耕は滋賀独自の栽培法で、栽培槽に水田の土を入れ液肥で育てる。イチゴが好む酸性度を保つため、微細な作業が要る。2015年ごろからはICTによるデータ収集で、光合成に必要な環境を作り出した。光量が減る厳寒期の収量確保も課題だった。面白いのは、栽培に関する要素を数値化するとグラフ管理が可能で、工夫の成果が確認できることだ。商社を通じてアジア各地へ販路が広がり、売り上げは初年度の300万円から20年はイチゴだけで1800万円に伸びた。娘がパンにバターとイチゴジャムを一緒に塗っているのを見て、「いちごバター」を着想。2年後の19年に商品化すると、新聞やネット効果で大ヒット。アジアや米国に輸出し、1個3000円もする北米でも大きく販売量が伸びる。マイペースで働ける。町のライフスタイルの一環に、イチゴ農家の仕事を提供できないかと考えている。

農業・農村が持つリベラルアーツとしての価値~その探求と実践~

大津愛梨(48)=熊本県南阿蘇村、農業

 「リベラルアーツ」。「人間の精神を豊かにして、より良い人格を育てていく努力や成果をさす」と定義されている。就農以来、農業や農村での暮らしには、その意義や価値があるのではないかと考えている。大学4年の冬、今の夫の故郷の南阿蘇の農村風景を見た。結婚、就農した。20年間ブログやSNSを通じて農業や農村の魅力や価値を発信している。農園への来訪者は年間数百人に上る。小学生の長男を連れて田んぼを見回していた時のこと。田んぼに水がたまっていなかった。考えられる理由はモグラ穴だ。長男が田んぼの一角を指さし「あの辺じゃない」と言った。本当にそこに穴があった。息子の感覚に「これこそリベラルアーツだ!」と叫びたくなった。福島原発事故以来、関東などの子供たちを受け入れている。今夏、慶応大が村の廃校でオープンキャンパスをした。全国の高校生たちが五感をフル回転させ、里山で体験したことを言語化しようとひたむきに努力した。就農当初の思いは、今、確信のようなものに変わった。

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