第51回毎日農業記録賞《一般部門》 優秀賞


農活でわくわく人生

山端一雄(68)=青森県十和田市、農業

 両親は国策の開拓事業に夢をもって入植した。両親と家業を継いで溺愛された兄は他界。自分は中卒後、家を出て夜間定時制高校、専門学校、車屋に勤めながら通信大学に進み、定年まで福祉分野で働いた。その現場で両親を見届けた。その後に発覚した借財と父母が残した古い牛舎や小屋。中古のトラクターを購入して毎日コツコツと作業した。5年かかったが、両親がクワ一つで開墾した苦労を励みに、チューリップなどの花畑にした。地力のない土地だったが、ジャガイモを栽培。今年初めてポテトスープにして、地元の道の駅で販売した。不慣れでサツマイモを腐らせた苦労もあったが、保育園児らと育てる体験の畑づくりや子ども食堂への食材提供などにつないでいる。畑のひと畝を地域に開放し、障がい者の就労継続支援に利用してもらっている。地域の皆さんの笑顔を見ることがなによりの楽しみだ。

食の安心・安全、グローバルな畜産への挑戦

永田聡(41)=栃木県鹿沼市、農業

 和牛280頭を、妻と父母の4人で世話している。東京の大学は工学部電気科。卒業後は大学院でプラズマや雷の研究をしていた。食品会社に就職したが1年で退職。その悔しさが牛飼いのモチベーションにつながった。就農当初は交雑種450頭を肥育し、全国肉用牛枝肉共励会で最優秀賞を獲得したが、低迷する相場と高騰する子牛価格から、和牛に切り替えた。純血種の和牛は体質が弱く、風邪に苦労した。子牛の購入には経験と年数が必要で失敗の連続だったが、相性の良い血統と繁殖農家を見つけ、データベースにして成績を上げた。輸出の話が来て、年間100頭を出荷している。法人化も実現した。会社員時代の経験をいかし、農場HACCP(ハザード分析重要管理点)や農場管理の基準であるJGAPの認証も取得した。就農から15年。牛のことはまだまだ勉強中だ。

農業が変えてくれたもの

世古口実侑(みゆ)(22)=三重県伊賀市、高校教師

 春から農業科の教師として働いている。中3で進路に迷う自分に「実習がある農業科とか楽しいと思うよ」と担任の先生が声をかけてくれた。何もかもが新鮮だった。「植物は自由に動くことができやんからちゃんと世話しやんと枯れてしまう」。先生の一言で、野菜栽培に責任感を持った。収穫前のトウモロコシをカラスに全て食べられてしまった。防鳥線を放置していたためで、少しの油断が命取りになることを体験し、挑戦の気持ちも芽生えた。「自分の畑を持ちたい」と言う自分に両親が驚いた表情を見せた。曽祖父の代までの畑を耕すと、近所の人が声をかけてくれた。農業と人とのつながりの大切さを知った。「地元三重で農業高校の教師になり地域農業を活性化させ、恩返しする」。農業は人生、性格、農業の価値観と、多くのものを覆してくれた。

俺の人生「七転び八起き」

谷渡亮二(58)=長崎県諫早市、農業・農事組合代表

 普通高校を1年で中退、暴走族になった。18歳で東京の運送会社に就職し、24歳で川崎市出身の妻と結婚。弟の自殺というショッキングな事件から、両親を支えなければという思いが募り、28歳で家族を連れて帰郷した。もつ鍋ブームにのってニラ栽培を始めたが、ブーム後は採算がとれず、借金返済もできなかった。「なにくそ、挽回してやる」と拳を握りしめ、アスパラガス栽培で立て直しに成功。地域の高齢者のために水田防除作業を引き受けるヘリ防除組織を設立した。最初は事故も起きるなど経営は悲惨だったが、他地区の情報を集めて費用対効果を考え、好転させた。農業ではゴーヤーへの転換に挑戦。「販売目標1億円」を公言し、「1億500万円」を達成した。70歳の目標はマンションを購入して街の生活を楽しむこと。都会育ちの妻へのプレゼントだ。

農業なんて大嫌いだったのに

佐藤梨紗(26)=宮城県名取市、宮城県農業大学校1年

 実家が専業農家だったことがずっとコンプレックスだった。今は仕事を辞め、自らの希望で農業大学校に通っている。実家は山形県の水稲農家。3Kのイメージで、誇りを持てなかった。大学で建築を専攻。転機は、都会暮らしの経験だった。朝、草刈りの音と刈られた草の青々しい匂いで起きる田舎娘は、けんそうになじめなかった。就農したいと思うと同時に、やるからには規模拡大でもうかる農業をしたい。宮城では震災後、ほ場整備と水稲の直播(ちょくは)栽培が進む。乾田直播の技術に圧倒され、今秋、これを行っている農業法人へ研修にいく。法人化で、両親を可能な限り早く引退させることをもくろんでいる。旅を楽しんでほしい。仕事を辞めて大阪を離れる時、友人は「お米、待ってんで!」と言ってくれた。農業ができる私は幸せ者だ。

「トウキョウサンショウウオ米」ブランド化への挑戦

岩澤裕来(ゆら)(21)=千葉県富里市、県立農業大学校研究科1年

 全国で唯一病害虫にフォーカスした病害虫専攻教室に在籍し、病害虫スクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)の研究をしている。千葉県東金市や九十九里平野を中心に被害が広がっており、現在の駆除の主流は化成農薬だが、農薬を使用しない駆除トラップを2021年に開発した。ほ場10アール当たり15個のトラップを設置し、稲への被害を0.2%程度に抑えることができた。東金市の水路は県の絶滅危惧種「トウキョウサンショウウオ」の生息地であり、教室が主体の「トウキョウサンショウウオ米栽培研究会」を設立。減農薬栽培に協力してもらった農家から、通常の2倍の1俵2万円で買い上げ、「トウキョウサンショウウオ米」という名前で大学校の社稷祭(しゃしょくさい)で販売した。売り上げの一部は保護活動に役立てられ、消費者が社会貢献に結びつく新しい価値を提案することができた。

米作り~48歳からの始まり~

矢次祐子(52)=山口県萩市、会社員

 「日本人は、米だ! 米がなくなったら日本が駄目になる」。何の正義感からか、夫の頭の中は一気に米作りモードになった。荒れた田んぼを前に、「俺が、何とかしてやる」と。米作りの本を買いあさり、「役所に行って契約してきたよ」と事後報告。道具は一からそろえ、家計は火どころか炎の車だ。48歳の夫の本業は長距離乗務員。ただただ突っ走る。初めての収穫に米の大切さと自然に感謝した。作って、作って、という高齢者の依頼を断らず、昼夜運転のタフさでクリア。病害虫で収量が半減したこともあったが、6年目の今は、60カ所の田んぼを管理している。ずっと赤字で「何でこんな思いをしてまで?」とストレスをぶちまけることも多々あったが、「うまいねー」で帳消しになる魔法の言葉をたくさん頂いた。「キツイ・汚い・危険」の三大法則も、夫にはキラキラ光る宝石のように見えているのだろう。

「ランドスケープ農業」というカテゴリー創出の提案

大津愛梨(えり)(49)=熊本県南阿蘇村、農業

 夫の郷里で就農した。「この景観を残したいんだ」という夫の一言がきっかけで、景観を残すことを目標にできることを続けてきた。20年目の昨年、「ランドスケープ農業」という造語を世に出した。環境保全型農業のサブカテゴリー。面的な農地を維持し、環境への負荷が少ない方法で土地利用型の作物を育てることで生態系を育み、国土の保全にもつなげる。自分と夫はドイツの大学院でランドスケーププランニングを学んだ。私たちの就農で、叔父は人手不足で中断していた肉牛の飼育を再開した。阿蘇のあか牛の放牧で牛糞堆肥(ぎゅうふんたいひ)をつくり、田んぼにまく。コメとウシの組み合わせで、草原や田畑を含む阿蘇固有のランドスケープを維持・創造する。2013年に阿蘇地域が世界農業遺産に認定された。土地利用型の農業は薄利な割にリスクが高い。それを続けることの意義が国際社会に認められた。

バジルで広がる「すまいるライフ」

鈴木悟(69)=宮城県登米市、大学非常勤講師

 農家の長男。バジルの種をまいたのは6年前。イタリア料理店シェフの「おいしいバジルつくってよ」のひと言がきっかけだ。94歳の父の畑を借りて育てたバジルがディナーに登場した。「これだ!」。料理店を切り盛りする夫妻は高校の教え子だ。教員になり定年を迎え、父が畑を分けてくれた。登米市は東日本大震災の津波にあった南三陸町に隣接。同町の高校の社会科教員を10年したことがあり、教え子たちがボランティア団体を立ち上げて12年間、交流が続いた。バジルを袋詰めして保育所を回り、「ハイ・バジル」で写真撮影。これを「すまいるバジル」と命名、「バジル俱楽部」が誕生した。南三陸の活動の支援者の厚意を得て、朝とれのバジルをクール便で届けるサービスも始めた。人との見える関係が、バジルに水をやる気持ちを奮いたたせる。おやじは笑って見ている。

みつばちが繫(つな)ぐ地域の環~第2の人生は養蜂業で決まり~

蜂須賀加苗(39)=愛知県岡崎市、養蜂・蜂蜜販売業

 生まれも育ちも京都。農業に関わる機会はなかったが、結婚を機に夫の実家の畜産をお手伝いしたのが始まりだった。義母の「自分で何か始めたらいいんじゃない」という言葉がきっかけで企業を見学し、休耕田で試験的に飼育した。念願の蜂蜜も1年目で採取できたが、試練はすぐにきた。難しい冬越しだ。水田を吹く北風で巣箱のミツバチが減り、卵を育てる温度も維持できなくなって、生き残ったのは2群だけに。「最初はそんなものだから」と義母。冬越し対策として断熱材保温箱と鉄筋ハウスを建設した。家族全員で取り組んだ。夏に30箱に増えたミツバチは一箱も全滅せず越冬できた。義父の一言で蜂蜜店の出店を計画。ハチは5年で100群に成長し、昨年オープンした。農業高校からコラボの申し入れがあり、「岡崎おうはん生はちみつプリン」を開発、「家康公スイーツ」に選定された。

農業をフィットネスと捉えるアグリフィットネスの提言

生西聖治(46)=高松市、パーソナルトレーナー兼セラピスト

 東京から戻った地元は、伸びっぱなしの果樹や雑木で景観が損なわれており、本当に人がいなくなっていることを実感した。問題は商業に適さない農地や小規模農地の放置だ。放棄地の開拓から始めたが、地元の人間のマンパワーだけでは難しい。一方で、都心周辺の貸し農園は順番待ちなほど需要が高い。農作業の大変さが分かると、食への感謝が増し、過疎地域との交流にもつながる。全日空などは、地方からイノベーションを生む仕組み作りの一環として、アグリスマートシティーの実証実験をしている。農業をエクササイズと捉えて、フィットネスの一環、体と心を整える方法の一つとして発信するのはどうだろうか。荒れ地の開拓はまさにエクササイズ。耕作放棄地を1反年間1万円で借り、開拓と土や畝作りをアグリフィットネスで進める。観光農園として管理し、引き継いでくれる人が見つかれば譲渡するというスキームだ。

 

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