第47回毎日農業記録賞《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞


牛と共に…

川井 つむぎさん = 宮城県農業高校3年

 

飼育している仔牛とたわむれる

憧れの農業高校へ

 「いくよ。せーのっ!」。母牛から出た仔牛の細い足首にロープを巻き付けて一気に引きました。初めて目にする命の誕生。しかし、鳴き声はおろか、動く気配もありませんでした。

 中学生の時に、農業高校を舞台とした『銀の匙 Silver Spoon』という漫画を読みました。動物の生死と関わりながら成長する主人公に強い憧れを抱くようになり、「牛を育てたいから農業高校行きたい」と両親に伝えました。父は難しい顔をしながら「昔、おじいさんは家畜商をやっていた。動物は臭いもあるしつらい仕事だ。やめたほうがいい」と一蹴されました。しかし、どうしても諦めきれず、必死に説得して宮城県農業高等学校を受験することができました。

 入学して酪農部門へ足を運ぶと、ツナギに着替えた先輩たちが楽しそうに搾乳する姿がありました。彼らは『牛部』に所属し、搾乳や仔牛へのほ乳、除糞等を部活として活動していたのです。365日、授業が始まる前に徐糞と給餌を行い、放課後は搾乳を行うというものです。私は入部を決意し、普通の女子高生とかけ離れた毎日を日が沈むまで牛たちと過ごしてきました。

 朝から牛の管理をすると、着替えても髪の毛に臭いが付きます。授業中に友達から「つむぎ、くっさー」とばかにされて悔しい思いもしましたが、今ではこの臭いは私の誇りです。

初めて経験した死産

 ある日、生まれた時から世話をしてきたサニコの出産が近付いてきました。サニコは性格が特に穏やかで優しい牛です。「どうか無事に生まれてきてほしい」と心から願い、牛床や給餌を常に清潔にして愛情を込めて毎日ブラッシングしました。

 待ちに待った出産予定日。心躍らせながら牛舎に向かうと、慌ただしく助産の準備が進められていました。胸騒ぎを感じ「どうしたんですか?」と聞くと「仔牛が出てこなくて」と先生の焦った顔から難産ということが分かりました。急いで仔牛の足にロープを巻き付け「いくよ。せーのっ!」と引くと、ズルリと体が出てきましたが、口からは舌がダラリと出て息をしていません。必死にワラを鼻に入れて刺激を与え、心臓マッサージを施しましたが息を吹き返すことはありませんでした。

 死産の理由は胎児が大きく産道で詰まり窒息していたのです。せめて親牛のサニコだけでも生き残ってくれて良かったと思う半面、もっと早く助産をしていれば仔牛は死んでなかったと自分を責めました。初めて経験した出産と死産。つらい現実を前に何もできなかった自分が許せず泣き続け、「こんな死は二度と見たくない」と決心しました。

 翌日から私は酪農をもっと学びたいと思うようになりました。そこで、JRAが主催するニュージーランド酪農研修に自ら応募すると、奇跡的に合格することができました。

ニュージーランドで研修

 飛行機から降りると、体の大きなトーマスさんが私を出迎えてくれました。彼は数百頭を超える大酪農家です。非農家の私に飼育法を事細かに教えてくれました。牧場では全てのスケールが大きく日本との違いに驚きを覚えました。ある日、仔牛の死産について私の経験を話すと、「ここでは出産時の死産率は2%以下だ」と教えてくれました。日本は倍の4%に当る19000頭の仔牛が毎年命を落としています。

 なぜ、国によって死産率に大きな差があるのでしょうか? その理由は牛の改良にありました。日本では牛乳の量に応じて販売金額が変わるため、体が大きく牛乳が多く搾れるホルスタイン種が主流です。それに比べ、ニュージーランドでは乳脂肪分に応じて販売金額が変わるため、脂肪分の高いジャージー種とホルスタイン種を交配させたキウイクロスを育てていました。この牛の体は小さいので、サニコのような出産事故が圧倒的に少ないことが分かりました。

体が小さい牛で死産防止

 そこで、日本でも乳脂肪分に応じた買い取り方法を取り入れる必要があると考えました。そうすればキウイクロスを育てる酪農家が増え、死産率は減るはずです。

 もちろん、たった一人で乳脂肪分の高い牛乳を出荷しても何も変わりません。安定した出荷量を確保するために、地域や企業と連携して町全体で取り組めば品質は一定になります。チーズやヨーグルト等の濃厚な加工品を作る販路を見つけ、付加価値をつけて販売することができるでしょう。

濃厚なアイスができた

 この話をトーマスさんに話すと「Good idea.Let’s try」と言われました。

 そこで私は地元のジェラートショップに「学校の牛乳を使用して濃厚なアイスを作ってくれませんか?」とお願いすると、快く了解してくました。その日を境にコンセプト、ターゲット、ネーミング、分量、味、パッケージング、値段を一つ一つ決めていきました。もちろん、毎日の搾乳等の管理も休むことなく続けました。気が付くと開発から1年の月日が流れ、やっと脂肪分が高く濃厚な「もう蜜」というジェラートが完成しました。

 今年の5月、名取市の市長と共にメディアやバイヤーに向けて記者会見を行うと「ミルクが濃厚でおいしい」と高評価を得ました。私の父にも振る舞うと「おいしいな」と喜んでくれて安堵しました。

 「もう蜜」は今年のアイス万博にも選ばれて、全国主要都市において1個380円で販売し、牛乳の所得は通常よりも22%以上高くなりました。これならば酪農家がキウイクロスを導入しても十分収入が得られることを証明できました。

 更にこの牛乳はA2遺伝子を持ち、おなかがゴロゴロしにくく、日本では1リットル360円で取引しています。これを学校給食で提供できれば、牛乳を飲める子供たちも増えるはずです。将来的にもキウイクロスを育てる農家さんは確実に増えてくるでしょう。

 もちろん、日本で現在の餌や飼育方法でキウイクロスを育てても、すぐに乳量が増えず収入に結び付きません。日本の環境に適応した飼育法を確立することが必要です。

そこで、私は酪農が盛んな北海道の大学に進学してニュージーランドのトーマスさんと連携して、育種についての研究をしたいと考えています。この想いを父に話すと「お前の決意はよく分かった。頑張れ。進路は自分の好きな道を選びなさい」と背中を押してくれるようになりました。

逆子を発見すぐに助産

 それから数日後、チヅルという牛の出産が近付いてきました。チヅルのおなかにいる仔牛は体が大きい種のため、サニコと同じ事故が起こる可能性がありました。私はあの日の失敗をしないために、毎日朝夕と観察を続けました。更に、出産の兆候を見逃さないように「昼間分娩法」を取り入れました。これは朝だけ給餌を行うことで、出産のタイミングを昼間に誘導する給餌法です。

 出産予定日になるとチヅルが後ろ脚を何回も蹴っている様子がうかがえました。今までの経験にはない初めて見る行動です。その姿に違和感を覚えて手袋をして直腸検査をすると、足がクロス状態になっていることに気が付きました。すぐに獣医さんを呼び診察をしてもらうと「これは逆子だ」と言われ、すぐに助産する必要がありました。私の頭に仔牛の死がフラッシュバックします。恐怖に耐えながら獣医さんの手を借りて仔牛を取り出すと、ゆっくり動き出し、生きていることを実感できました。「これは自力では助からなかった。よく気が付いたね」と獣医さんから言われ、確実に自分が酪農家として成長していることを実感しました。今考えれば、チヅルが脚を上げていたのは逆子を必死に直そうとする行動だったと確信しています。

 このように牛たちは糞、臭い、鳴き声、行動、五感全てを通して私に語り掛けてきます。少しずつですが、牛たちと心通わせることができるようになりました。仔牛の死を無駄にしないために、新たな事に挑戦し続ける大切さをサニコが教えてくれました。将来は、死産率1%以下を目指しキウイクロスの牛群を育てます。そして、新たな乳製品を作り、6次産業化を成功させることが私の夢。

 今日も私は牛舎に向かい、牛と共に歩いて行こう。サニコと私とお客様の笑顔を紡ぐために。

 

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