第36回毎日経済人賞


第36回毎日経済人賞が富士重工業の吉永泰之社長、アウトドア用品大手・モンベルの辰野勇会長に決まり、東京都文京区のホテル椿山荘東京で賞を贈呈しました。

両氏の座右の銘は「莫妄想」(吉永社長)、「馬なり道なり」(辰野会長)。毎日書道会理事の船本芳雲氏(毎日芸術賞受賞者)が揮毫し、贈りました。

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辰野勇会長と吉永泰之社長
左から辰野勇会長、吉永泰之社長=東京都文京区のホテル椿山荘で(2月9日)

富士重工業・吉永泰之社長

強みをブランドに

――大胆な選択と集中に踏み切ったのはなぜですか。

吉永泰之社長 若いころから「この会社は、いつか詰んでしまうのでは」という思いを持っていました。富士重工業は、前身の「中島飛行機」以来の技術者の集団で、いいものを作ろうとの思いがとても強く、その分、高コスト体質でした。ところが、主力商品はコスト競争の激しい軽自動車。富士重工業の特徴と主力商品との組み合わせに無理があると思っていました。低価格車で新興国に攻勢をかけるのが自動車業界の常識ですが、富士重工業はコスト競争が苦手で、多くの車種をそろえる経営資源もありません。軽自動車の開発に携わっている設計陣を全部、付加価値の高い車に持っていく道しかなかったのです。

富士重工業・吉永泰之社長

――北米で成功しました。

吉永氏 富士重工業の規模では全世界まんべんなく展開するのは無理です。「利益が出る可能性はどこが一番高いか」と考えると、市場が大きく、ディーラー網もある米国だとなりました。そこで利益を出せれば、よそへの投資に回せます。環境の時代が来るのは確実だったので、試験研究費も増やさなければなりません。当時の富士重工業の年間の試験研究費は約500億円でしたが、今年は倍の約1000億円です。それでもやっと道が開けるかどうかですから、その意味でもほかに選択肢はありませんでした。

――衝突回避システム「アイサイト」も大ヒットしました。

吉永氏 20年間以上、地道に研究を続けてきた技術陣のおかげです。「がんばり続けたのはなぜ」と聞くと「事故を減らしたいから」。名誉心も出世欲もなく、ただ、技術陣としての良心がありました。アイサイトに着目して、ヒットさせたと言っても、長年の研究の蓄積がなければ着目のしようがありません。

――強みを引き出す秘訣(ひけつ)は。

吉永氏 かつては自分たちの強みの議論が社内でなかったという感じでした。コスト競争力が弱いとか、コスト低減をもっとやらなきゃいけないとか、常に弱点の話にしかなりませんでした。そうではなくて、「ここだけはすごいよね」という議論をすれば、雰囲気は変わります。自分たちの強みやお客様に提供できる価値は何かを改めて議論し、たどり着いた答えが「安心と愉(たの)しさ」という言葉でした。

――選択と集中への不満もあったのでは。

吉永氏 経営は結果です。結果が出始めたことで支えられました。アイサイトは、国内ディーラーの再編など、販売体制の立て直しに取り組んでいた時期に導入しました。この活動は長くは引っ張れないと思っていた中、アイサイトのヒットで空気がいっぺんに前向きになりました。ディーラーの損益分岐点が下がったので、がんばればがんばるほどもうかる好循環になり、全国すべてのディーラーが黒字になりました。

――次の経営課題は。

吉永氏 環境対応です。各国の規制はどんどん厳しくなっています。それぞれに時期や内容の異なる規制に対応していくことは、技術的にも、コスト的にもとても大変ですが、力を結集して乗り越えなくてはなりません。そして、世界の各地でスバルの車を望んでいただいているお客様にお届けしたいと思っています。お客様に少し高くても選びたいと思っていただけるまで、スバルブランドを高めることができれば、環境技術のコストは吸収していけるのではないかとみています。【聞き手・東京本社経済部長、塚田健太】

◇SUBARU  2011年の社長就任時に1兆5800億円だった売上高を、15年3月期に2兆8700億円まで伸ばすなど、「スバル」を大きく飛躍させた。経営手法の最大の特徴は「弱みを補うことよりも強みを最大限に生かす」やり方だ。  主に国内営業畑を歩んできたが、直面したのが「コスト高」という課題。しかし、その背景には、前身の航空機メーカーから続く社員の技術と安全に対するこだわりが強いことがあった。  技術力や安全性の追求といった強みを生かすことと、コスト高という課題を克服するため、軽自動車の生産から撤退する一方、北米市場でスポーツタイプ多目的車(SUV)に注力。他メーカーが低価格商品で展開する新興国市場とは距離を置いた。さらに、衝突回避システム「アイサイト」を前面に押し出すことで、スバルファンを拡大させた。売上高に対する本業のもうけの割合を示す連結営業利益率は、16年3月期に17%と業界最高水準となる見通しだ。【永井大介】

モンベル・辰野勇会長

登山で得た決断力

モンベル・辰野勇会長

――モンベルを設立したきっかけを教えてください。

辰野勇会長 16歳から将来は山に関連した仕事に就こうと思っていました。父親も商売をしていて、サラリーマンはイメージできなかった。高校卒業後は小売店などで働いた後、商社の繊維部門で勤務する機会を得ました。その商社で防弾チョッキ用や不燃性の高機能繊維と出合いました。当時の登山装備はお粗末なもので、僕も凍傷を負ったことがありました。「この繊維を使えば安全な登山ができる」と思い立ち、28歳で雑居ビルの一室でモンベルを始めました。

――山登りで得た経験をビジネスでどう生かしていますか。

辰野氏 大事なのは決断力です。雨が降れば天気が悪いと判断はできるが、じゃあ山を下りるのか。瞬時に決断をする行動基準が山登りで身につきました。登山家は蛮勇と思われているが、非常に怖がりなんです。雨が降ったらどうしよう、風が吹いたらどうしようと先を考える。それがビジネスでのリスクマネジメントですね。僕の中に「失敗」という思考概念はありません。「不都合」と考えています。失敗なら終わってしまうが、不都合なら是正していけばいい。歩きながら考え、対応していくことが大事です。

――有料会員制度「モンベルクラブ」の会員は60万人を超えました。

辰野氏 11年前は7万人でしたが、そこから53万人増えました。11年前の創業30周年時、社員に言ったのは「これから30年間のモンベルをみんなで考えてくれ」ということでした。30年後もモンベルが社会に必要とされているかどうか。それは「消費者に喜ばれるものづくりをしているか」と、CSR(企業の社会的責任)です。社会が必要とする事業をし、かつ採算をとる。このバランスが必要です。

――東日本大震災直後に現地に駆けつけるなど、社会貢献活動にも取り組まれています。

辰野氏 ほかの企業と違うのは、アウトドア集団である自分たちが汗をかいて、手を汚してやっているところです。東日本大震災でも3月11日の翌日から現地で物資を配った。「現場は混乱していて迷惑をかける」という声もありましたが、全くあたっていません。行かない理由を言っているだけです。日本の文化には、扶助の精神があったはず。多くの児童が犠牲になった大川小学校(宮城県)の現場で痛感したのは、なぜライフジャケットが用意されていなかったのか。すぐにライフジャケット「浮くっしょん」をデザインし、南海トラフ巨大地震が危惧されている高知、三重、和歌山の知事に持って行きました。川遊びでもライフジャケット着用を徹底するような教育をしてほしいと願っています。

――今後、力を入れたいテーマを教えてください。

辰野氏 僕が今、力を入れているのは地方創生です。東京の一極集中のひずみを肌で感じている。登山道具を買うのは都会ですが、使うのは地方の山です。そういう地域が元気にならないと、日本に将来はない。8年前に鳥取県の大山にフィールド1号店を出しました。大山の登山口に隣接し、冬は店の前に2メートルの雪が積もります。我々も疑心暗鬼で出店しましたが、地元住民も「町が変わった」と大きなインパクトがありました。大山は全国区になり、自然の循環を体感する環境スポーツイベント「シー・トゥ・サミット」も開いています。ものづくりを超え、地方のまちづくりにも参画していきたいと思っています。【聞き手・大阪本社経済部長、藤好陽太郎】

◇mont-bell  経営者、冒険家の両面から日本のアウトドア業界をけん引してきた。  ユーザー視点を生かし、創業初期から米デュポン社の高機能素材を使った寝袋やレインウエアを製作。多くの登山家の支持を得た。その後、独自の新素材を開発し、オリジナルカタログ製作や通信販売をはじめ、モンベルブランドの確立を図る。1991年、より多くの商品をユーザーに見てもらおうと、大阪駅構内の商業施設に初の直営店をオープン。同時に、売れ残った商品を安く販売するアウトレットビジネスも始めた。  冒険家としては、ヨーロッパアルプス3大北壁の一つ、アイガー北壁に世界最年少、日本人として2人目の登頂を果たす。黒部川源流から河口までのカヤック初下降を果たし、北米グランドキャニオンなど世界中の川に足跡を残した。  阪神大震災(95年)発生直後には、被災地で寝袋やテントを配って支援。業界全体にも支援を呼びかけ、「アウトドア義援隊」を組織した。【小坂剛志】

人物略歴

◇よしなが・やすゆき
東京都出身。1977年成蹊大経済学部卒、同年富士重工業入社。経営企画部長、戦略本部長、専務執行役員スバル国内営業本部長などを経て、2011年から現職。61歳。

◇たつの・いさむ
大阪府出身。高校卒業後、小売店や商社での勤務を経て1975年モンベル設立。95年、日本ニュービジネス大賞通商産業大臣賞受賞。著書に「社長室はアウトドア」(山と渓谷社)など。2007年から現職。68歳。

推薦・選考者と委員

毎日経済人賞は、毎日新聞の経済部記者、支局長、週刊「エコノミスト」編集部からの推薦を基に、論説委員長、東京・大阪経済部長らが審査。さらに経済専門家らによる最終審査で決定しました。最終選考委員は次の通りです。

福川伸次・東洋大理事長(座長)▽岩井克人・国際基督教大客員教授▽佐々木かをり・イー・ウーマン社長▽中村利雄・日本商工会議所顧問▽柳沢伯夫・城西国際大学長▽伊藤芳明・毎日新聞社主筆

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