《一般部門》最優秀賞・中央審査委員長賞・全文 毎日農業記録賞


天地自然界から学ぶみかんづくり46年–吉本百合夫さん(66)

農業こそ我が仕事  20歳でUターン

私は8人兄弟の末っ子ですが、兄や姉たちが次々に家を出て行ったため、高校を卒業するころには、自分が家を継ぐ覚悟を決めていました。しかし、一度は都会の空気を吸ってみたいという思いに駆られ、4、5年したら必ず帰って来ると約束して、私は神戸のある会社に就職しました。

みかんづくりをする吉本百合夫さん

そこで思ったことは、戦中戦後の困難な時代に大勢の子供を抱え、苦労し続けた両親を早く楽にしてあげたい。そのためにも、自分の能力を思いのまま発揮でき、努力すればしただけ報われるような仕事に就きたいということでした。それは何かと考えた時、ひそかに思っていたものが噴き出しました。「そうだ、農業だ。農業こそ自分の求めていた仕事だ。実家に戻って、一日も早くその準備を始めなければ」

勢い込んで田舎に帰ったのは、神戸に行って2年もたたない20歳の正月のことでした。折しも東京の次兄が里帰りをしていました。「自分はこれからみかんづくりをしたい」と切り出すと、あまりにも唐突な私の言葉に、兄と両親はびっくりし、「畑もお金もない裸一貫のお前がどう農業ができるのか」と猛反対。それから三日三晩、私たちは徹夜で話し合いをしました。そしてどんな苦しいことがあっても絶対やり抜くと約束し、ようやく皆の理解と協力を得ることができたのです。

その年、雑木林が生い茂る山林を約1ヘクタール購入して家族皆で開墾をし、1200本の温州(うんしゅう)みかんを植えました。そのような状態でしたから立派な園地は買えませんでしたが、「農業をするなら買ってほしい」という話が相次ぎ、願ったり叶(かな)ったりで次第にまとまった土地を手に入れていくことができたのです。植え付けの時は、地域の方々や友人が手伝ってくれて、本当に有り難く思いました。

翌年から生活費を稼ぐため、畑仕事は家族に頼んで東シナ海で漁をする中型トロール船に乗ることにしました。この他にも、製材所に原木を運ぶ運転手をしたり、長距離トラックに乗って全国を走り回ったこともありました。今でも思うのは東シナ海への航海中のこと。出航して数カ月後、家から1通の手紙が届きました。「農地取得資金の件、保証人を引き受けてくれた人から、船底1枚、明日の生命が分からぬ人の保証はできない、と言ってきたけど、どうすればいいか」ということでした。その時、丁度(ちょうど)腰を痛めていたので船を下り、下関から家に帰るまでいろいろ考えました。その結果、買った畑を全部担保に入れて、全く関係のない人にお願いすることにしました。

後で振り返れば、それらすべてが社会の情勢や人間性を学んだり、さまざまな技術を習得する貴重な機会であり、後々農業経営にも大いに生かされることになったのです。

長距離トラックを運転していたころ、西宮から小枚まで名神高速が、さらに東京まで東名高速が開通し、世はみるみるうちに高速時代になっていきました。その一方で、我が家の畑は不便極まりないものでした。畑の位置は湾を隔てた対岸の山の上です。当時は海岸の道もなく、山の登り口は櫓櫂(ろかい)船で約1時間かかりました。そこから歩いて登っていくと、途中からほとんど道らしい道もありません。畑にたどり着いたころには、汗だくになっていました。

機械を使う吉本百合夫さん

反対に植え付けた苗木は、我が子のように大切に育てるうちに実をつけ始め、2000キロ、4000キロ、8000キロと毎年倍々に収量が増えていきました。それは同時に運搬の苦労が増えることでもありました。当時は海抜100㍍くらいの所から、天秤(てんびん)棒で担いだり、背負子(しょいこ)に背負ったりして降ろしていたのです。

労力と時間のかかる農作業を何とか合理化し、時代に即した経営を目指さなければならない。そのためには輸送手段の改善が第一の課題だと、私は切実に感じていました。

まず手がけたのは、索道の取り付けでした。これは製材所で運転手をしていたころの経験が役に立ちました。ワイヤの扱い方を習っていたので、250㍍の索道を簡単に自作することができたのです。その後、海岸線に道路が開通しました。その時のうれしさは言葉では表しようがありません。潮の満ち引きを気にしての荷物の上げ下げは大変でした。潮の引いた日は、夜中でもみかん運びに船を走らせたものです。天秤棒から索道へ、索道から船へ、船からリヤカーへと何度もみかんを積み替える作業時間が随分省け、楽になりました。そのころからモノラックの設置にも力を入れ、さらに農作業の省力化を進めていきました。

苦節11年目に  念願の専業農家に

兼業を続けながら28歳で結婚し、農業を始めて11年目になる31歳の時、ようやく専業農家になることができました。そして稼いだ資金と融資を受けてさらに規模拡大を進め、現在、温州みかん150アール、デコポン55アール、せとか他雑柑55アールを栽培しています。

46年間農業を続けて、今振り返ってみるといろいろなことがあり、その一つ一つがドラマのようです。失敗したこと、苦しかったこともありましたが、今ではそれがすべて喜びに変わってきました。農業をするという目標に向かって、がむしゃらに突っ走ってきましたが、計画したことは必ず実行してきました。私が、将来ここがほしいとにらんだ園地は、すべて手に入れました。海岸線の索道の基地だった80坪くらいの倉庫もそうです。以前私が勤めていた真珠工場ですが、新婚旅行先に電話がかかり、即座に買ったところです。そこを建てた大工さんが「吉本さんがまだ学生のころだったかなあ。ここは将来僕が買うから、しゃんと建てとってよ、と言われたが、本当に買いなはったなあ」と笑い話をしたことがありました。確かに、強い願いを辛抱強く持ち続けたことが目標の実現につながったのでしょう。

長年の夢だった農道も13年前に完成し、家から園まで10分足らずで行けるようになりました。園の入り口に160平方㍍の倉庫を建て、全園スプリンクラーと25メートル以内で運べるモノラックをつけ、経営の基盤は完成したと自負していますが、次世代のために魅力のある新品種を更新し、若木を植栽することが私に残された仕事だと思っています。

実習生を受け入れ  後継者育成にも熱

我が家では8年前から宇和高校、沖縄農大、愛媛農大の実習生を受け入れています。高校生は5日間、農大生は約2カ月間、家族の一員となって共に生活します。農繁期の収穫作業を手伝ってもらいながら、技術の説明をする傍ら、人生観を語り合ったり、我が家のみかんづくりのビデオを見せたり、温泉に魚釣りにと、時には先生、親、兄貴になり、裸のつきあいを通して農の楽しさ、素晴らしさを伝えています。

宇和高校A君は農家の後継者でした。彼はおっとりして、いつもニコニコ笑顔でした。家庭訪問に来られた先生は「A君、学校では笑顔を見たことがないのに、ここではニコニコしているね」と驚かれました。その彼に「卒業までに何か一つ好きなことを見つけて頑張りなさい。好きなことができると面白くなり、努力次第で何事も成就するよ」と言っていたら、バドミントン部で努力を重ね、負けるばかりだった彼が県大会で勝利をつかんだそうです。

みかんを持つ吉本百合夫さん

春休みには先生と一緒に剪定(せんてい)を教えてくれとやって来たので、1日中剪定の指導をしました。その数カ月後、彼の作文が県の農業コンクールの最優秀賞に選ばれたと聞き、大変うれしく思ったものです。その彼に私は農大進学を勧めていましたが、家庭の事情で進学を断念。でも、みかん研究所で研修を兼ねて就職をし、そこでみかんの勉強をしている彼を時々訪ね、励ましています。

2006(平成18)年、宇和高で「天地自然から学ぶ人生」という題で講演をしましたら、生徒からの感想文が寄せられ、皆それぞれ真剣に受け止めてくれていたのに驚きました。学生のほとんどは何かを学ぼうと心がけています。その何かを受け止めれば学生との関係はうまくいきます。学生の個性を引き出し、自分なりにその何かを感じ指導しています。

仲間と切磋琢磨  伸びる未知数に挑む

1998(平成10)年11月26日、保内町で6家族が「家族経営協定」を結び、以来月1回、夫婦で研修会をしています。剪定・摘果講習、立木品評会、優秀園視察研修等、幅広い内容の研修会に私たち夫婦も参加しています。心が強く結ばれ、和気藹々(あいあい)と活動をし、次の会合が待ち遠しくさえ思います。地道な活動でも計画をしたことは皆で盛り上げ、必ず実行していくうち、県内各地をはじめ県外からも保内町へ家族経営協定の研修にみえるようになりました。

締結後のメリットはと聞かれると、私は「一人ではない、仲間と共に夢と希望のある生き生きとした農業ができること。そして柑橘(かんきつ)産業が低迷している時代にあって、各農家の収益が向上していること。それはお互いが切磋琢磨(せっさたくま)して技術を高めあい、真剣に農業に立ち向かっていること。複数の家族が力を合わせることによって、一家族では決してできなかったことが実現します」と答えました。この私たちの活動は八西地区へも輪を広げ、協定締結農家も現在181戸に増え、新しいネットワークもできました。

私は農業の素晴らしさや習得した技術を多くの人に伝え、前向きな農家になってもらいたいと願っています。農業の魅力は伸びる未知数にあると思います。いろいろなことにチャレンジすることです。結果は後から必ずついてきます。

みかんづくりを通した多くの人との出会いが、私を力強く支えてくれています。この喜びを自分だけにとどめることなく、後継者の育成のため、地域農業の発展のためにできる限りの力を尽くしていきたいと思っています。

よしもと・ゆりお

愛媛県保内町(現・八幡浜市)出身。20歳の時、関西の会社を辞めて帰郷。同町内の雑木が茂る山林1ヘクタールを購入し、開墾した。11年目に専業農家になり、温州(うんしゅう)みかんや雑柑(かん)類など計2.6ヘクタールを栽培するまでに拡大した。

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