《一般部門》最優秀賞・要旨 毎日農業記録賞


「一期一会~40人の酪農への志~」–八木啓太さん(27)

八木啓太さん

高校の普通科教諭から酪農経営科の担任に。酪農の「ら」の字も知らないままクラスの全員と寮生活を始めた。「少しずつ知識を得ていった」2年目、朝の牛舎当番から戻った生徒に「お疲れ様」と声をかけたところ「社交辞令だろ」と言われた。自己満足の世界にいたのかもしれない、と朝の牛舎作業に出るようにした。3年時の学校祭。生徒の手作り劇は、牛を扱う彼らのすごさを再認識した私と、自分たちを理解する努力をしていると知った彼らとの距離が縮まるという3年間の歩みをたどるストーリー。わき上がる熱いものを感じた。彼らが夢を実現できるよう後押しできる存在でありたい、そう強く思う。

やぎ・けいた

北海道函館市出身。弘前学院大日本文学科を卒業後、03年4月から江別市のとわの森三愛高校(http://www.san-ai.ed.jp/)で国語を教える。05年4月から3年間、酪農経営科の担任を経験し、現在は普通科担任。野球部の監督も務める。

「本州最北で藍栽培と藍染めの普及を求めて」–舩澤陸郎さん(64)

舩澤陸郎さん

二十数年前、講演会場で見た古い藍(あい)染め布。この色を自分で出せないかと本をあさることから始めた。後に津軽でも明治期までは染料の原料、蓼(たで)藍を栽培していたと知ったが、藍染めをする人さえ既にいなかった。蓼藍の種をほんの一つまみ、産地・徳島から入手、育てた。ある年、「怠慢で」収穫が遅れて葉が霜で凍ったのをヒントにようやく思い通りの色を出す方法にたどり着く。青森市の新規特産品となり、農業指導センターで栽培、リンゴの木のせんてい灰を使うなど他の特産品の活用にもつながった。工房を作り多くの人に藍のある生活を楽しんでもらいたいと研さんを重ねる。

ふなざわ・ろくろう

青森県むつ市生まれ。弘前大学に就職し、04年3月、農学生命科学部事務長で定年退職。同年4月からは青森市ふれあい農園園長 あおもり藍工房参与。「含藍植物の生葉を原料とする藍染めの天然染料およびその製造方法」が08年、特許登録。

「自然と人の和をモットーに養鶏と食育活動」–佐々江良一さん(53)

佐々江良一さん

サラリーマンをしながら陸上選手として全国大会に出場していた。「トレーニングだけでなく、栄養バランスが大事」と実感し、料理学校に通った。やがて養鶏と食育を兼ねた仕事をしたいと考え、45歳で退職。妻の実家の棚田を借りて、「たまご農園」を作った。広い運動場を設け、くず米などを発酵させた餌で、150羽から始めた養鶏。卵販売だけでは食べていけず、料理教室やケーキ販売、さらに鶏肉や鶏糞(ふん)肥料も出荷するようになった。鳥インフルエンザの影響で夢だった体験農園への客足が遠のいた時期もあったが、今後は農園を「食育セミナーハウス」と名付け、食育の拠点として活動を広げたい。

ささえ・りょういち

関西電力の陸上選手として活躍後、脱サラして福井県敦賀市に「ささえたまご農園」(http://www1.rcn.ne.jp/~sasae/)をオープン、自然卵が評判を呼ぶ。住民を対象に料理教室や卵拾いの体験教室も始め、食育の拠点としての活動を広げる。

「妻に感謝の農業人生」–安岡賢之さん(73)

安岡賢之さん

1966年、温室ミカンの研究発表をした。出席者のほとんどに笑われたが、めげなかったのは「こんなおいしくできるのだから」と妻に励まされたからだった。室温管理や病害虫対策など難問ばかりだったが、市場では破格の高値で売れた。次に取り組んだのは「人ができないというから作る価値がある」と妻が言う、水晶文旦(ぶんたん)の栽培。成功まで15年を超える戦いの日々だった。妻が60歳になった時「これからは自分のやりたいことを」と言うと「花好きだから」とガーデン付きカフェ、イングリッシュガーデンハウスの経営を始めた。満開のバラ園で開いた金婚式。ウエディングドレスを来た妻は、なお初々しかった。

やすおか・けんじ

1935年生まれ。高知農高卒業後、祖父の代からのみかん農家を継ぐ。温室みかんをはじめ15種の柑橘を栽培。友人は「高知県一のロマンチスト」と評する。イングリッシュガーデンハウス(http://wwwi.netwave.or.jp/~e-garden)

「脱サラ百姓奮闘記~夫婦それぞれが社長として~」–市丸初美さん(49)

市丸初美さん

夫が会社を辞め家業のブロイラー飼育の経営を継いだのを機会に、農業を職業として選んだ。負債返済やトラクターの練習からのスタートだった。夫婦間の分担で受け持った花木経営は出荷減から花苗生産に切り替えた。ようやく作ったハウスで販売を伸ばしたころ、大雨で被災。家族や仲間の励ましで試練を超えた。「なぜ農業では女はいつも男の付属品みたいな扱いなのか」と農業簿記の講習会を開いたり、伊万里市の男女共同参画懇談会のメンバーに入った。息子と娘も農業の道を選び、自分名義で資金を借りた花の直販所もオープン。「女性も農業に自信と誇りを持ち、これからも楽しみながらチャレンジしたい」

いちまる・はつみ

1959年、佐賀県唐津市のサラリーマン家庭に生まれる。ブロイラー飼育農家に嫁ぎ、94年に夫の脱サラを機会に共に就農した。一家でブロイラー飼育と花苗生産、農産物直売所を経営し、各自が責任を持つよう役割分担を明確にしている。

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