《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞、東京農業大学賞、全国農業高等学校長協会賞


「幸せりんご」への挑戦

工藤直也さん(17)弘前実業高校藤崎校舎2年


りんごをひとつもぎ取り、まず目に入ってくるのは赤や黄色の鮮やかな果実の色、半分に割ると今度は輝くような果肉の黄色い色。同時に、気品に満ちた甘い香りが広がり、食欲がそそられる。そして口を大きく開けてほおばると、サックサクという音、食感とともに、口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がる。「五感で食べられるりんご」、私はこれが本当のおいしい食べ方だと思います。私は将来、父の後を継ぎ「一口食べると幸せを感じるりんごを作りたい」という夢を持っています。
りんご生産量日本一の青森県のなかでも、津軽平野はその大半を占め、秋にはたわわに実った色とりどりのりんごが辺り一面に広がります。我が家は、津軽平野にそびえる岩木山のふもとに父、母、祖母の3人でりんご園を営む専業農家です。我が家のりんご園は約3ヘクタールあり、9月に収穫される「つがる」「きおう」といった早生(わせ)種から、11月に収穫される主力品種の「ふじ」「王林」まで約10品種を栽培しています。

私は、幼稚園のころから手伝いをしていたせいか、農作業を辛(つら)いと思ったことはなく、いつでもりんご作り、農業のことで頭がいっぱいでした。中学校では、りんご農家の同級生たちと農業チームを結成し、先生の許可をもらい、敷地内で「枝豆」や「スイカ」を栽培し、休日は家の手伝いをする日々でした。おかげで今では、大抵のりんごの作業はできるようになり、3ヘクタールの園地の草刈作業は全て担当しています。

将来、りんご農家の4代目になるという夢をかなえるため、日本で唯一の「りんご科」をもつ弘前実業高校藤崎校舎に進学しました。高校には全国の高校で初めて「JGAP認証」を取得したりんご園があります。JGAPとは、農産物作りの安全性が確保され、環境への配慮がされた農場に与えられる審査機関による第三者認証で、現在日本には約560の農場があります。実質的な世界基準の「GLOBALGAP」と同じなので、世界基準レベルの農場であると言えます。授業ではりんごの歴史から、栽培、経営を実践的に学び、現在は、2009(平成21)年12月に修学旅行先の京都で行うりんご販売実習に向けての準備を進めています。

父の経営ポリシーは「食べておいしく、売れるりんごを作る」ということです。中学生だったころの私は、なぜわざわざ「食べておいしく、売れるりんご」なのかよくわかりませんでした。これまで同様に、誰が作っても「青森りんご」として市場へ出荷するのだから、農家は「売れるりんご」を作った方が得だと思います。しかし、学校でりんごのことを勉強し、消費者のことが目に入りだした今は、「安心しておいしく食べられるりんご」を作ることが大切だと知りました。父の言う「食べておいしいりんご」の意味が、やっとわかったのです。

父のもう一つの信念は「新しいことへ挑戦する」ということです。普段から「新しいことをやらねば,農家として生きていかれねぇ」と言っています。父は研究熱心で、正しいと思えば、新しい技術を積極的に導入し、品種更新にも力を入れてきました。高校に入ってからは、学校で学んだこと、研究しているプロジェクトの内容のほか、経営方法、販売手段などさまざまな話題について父と議論するようになりました。私なりの我が農園の課題を話すと、今では父は私の意見に対し真剣に耳を傾けてくれます。私の考える課題は大きく三つあります。

一つ目は品種の販売力についての課題です。我がりんご園の一画(20アール)には曽祖父が植えた「ジョナゴールド」の老木がたくさんあります。年々、木の幹が腐り、周辺の木まで広がる「腐らん病」という重病が広がり対処が難しくなってきました。そのせいで実が小さく、収穫量も減り、さらには、品種自体の市場の評価が低いことも加わって、りんご園を経営する上で重荷となっていました。高校のりんご園には、近年開発された有望な品種などが数多くあり、調べて検討した結果、市場評価の高い早生の新品種「つがる姫」への更新を提案しました。

二つ目は作業効率についての課題です。現在、我が家のりんご園は、早生種が3割、中生種が2割、晩生種が5割で、秋の収穫時期になると品種が重なり、かなりの労働力が必要となります。私は、晩生種の割合を減らすのが必要と考え、極早生種の「夏緑」や中生種の早生ふじ系をもっと増やして、収穫時期の分散化を図ることで作業の効率が良くなるのではと考えています。また、面積当たりの収量が多く、作業効率の向上が期待できる、と青森県が推奨する「わい化栽培」を現在の4割からさらに増やすことで、はしごを使わない園地作りを進めたいと提案しました。


三つ目はりんごの品質向上についての課題です。傾斜地に位置する我がりんご園は寒暖の差が大きく、品質の良いりんごがとれる地域ですが、年々、気温の変化が大きくなり、温暖化による着色不良、日焼け果の増大といった今まで見られなかった現象が起きてきました。今まで以上にりんごの品質を高く維持する努力が必要ではないかと感じていました。何かよい方法はないかと学校で調べたりしましたが、三つ目の課題については、私には良いアイデアはなかなか浮かんできません。

そんな私の意見のいくつかを、父はりんご園に取り入れてくれました。私の提案した新品種の「つがる姫」の苗木約150本を育成し、08年の春「ジョナゴールド」を伐採、「つがる姫」へ改植してくれたのです。同年は、ひとつ残らず全てりんごの花を取り、暑い日が続き、雨が降らない日には灌水をし、木に負担をかけないようにしました。そのおかげもあって、09年はたわわに赤い果実が実り始めました。父も将来のことを考えて作業効率の良い園地づくりに賛成し、それ以降、新しく導入する品種を全て「わい化栽培」でおこなうことになりました。未来に向けた園地づくりがスタートしたのです。

また、りんごの品質向上への対策として、試験的に散布していた「木酢液」に効果が見られ始めたので、父は、散布面積を思い切って広げることを決断しました。効果は絶大で、葉の色が濃くなり、厚みが出始め、果実の色づきも一段と輝くようになりました。さらには、果肉が引き締まり、濃厚で鮮度もよく、サクサク感が向上し、今までよりも高品質なりんごが取れるようになったのです。そんな父の姿がたくましく見え、私もいつかは追いつきたいと思いを新たにしました。まだ、取り組みは始まったばかりですが、私は父とりんご園の課題を共有できたのが嬉しく、私を経営者の一人として扱ってくれているような気がしました。

高校1年生の夏、りんごと環境について書いた作文が入賞し、ドイツのりんご園を見学できるチャンスを得ました。初めて海外の農業を見て触れる機会ということで、膨らむ期待とともに訪れました。そこには私の知らない世界が待っていました。農場の責任者の人からは、日本とはやや異なる農業に対する考え方や、自分たちが工夫していることなどを数多く教えてもらいましたが、特に強く印象に残ったのは園地の様子でした。

我が家のりんご園の「わい化栽培」では、縦2㍍横6㍍の間隔で栽培していますが、そこで見たりんご園は、縦1㍍横3㍍と、更に狭い間隔でりんごの木が整然と並んでおり、樹高も1.6㍍と、私の身長とほぼ同じくらいの高さでした。まさに私の目指すりんご園がそこにあるようでした。これなら作業効率の面でもはしごが不要で、とても楽に作業ができると感じました。将来は、ドイツのわい化栽培のように樹高を低くし、はしごを使わなくても家族みんなが楽に作業ができるような園地を作りたいという夢がもっとふくらんできました。

さらにそこでは「グローカル」という言葉を耳にしました。「グローバルシンク・ローカルアクト」が語源のようで、地球規模で考え、地域で行動することだと聞きました。農業という産業全体の視点で環境のことを大切に考え、同時に、地域という視点では、地産地消がどの地域でも日常化されているという様子を見て、グローカルの世界を肌で感じてきました。

私は将来、大学へ進学し、将来のりんご経営に役立てるため、栽培技術はもちろんのこと、今後さらに重要となってくる土や水といった環境、流通の分野も含めて、広い視野を身につけたいと考えています。

大学を卒業した後は、父とともにりんご園を経営し、将来は、お客さんの顔が常に見えるように、りんご園の一角に観光農園を開設したいと考えています。安全・安心でしっかりと管理されたりんご園で、人と人とのコミュニケーションを大事にしながら、ここでなければ味わえない、幸せを感じていただけるりんごを地域はもちろん全国に提供する、これが私の目指すりんご経営です。

高校1年の冬、私は父から初めて剪定(せんてい)作業を任され、20本の木の枝を剪定しました。冬の剪定作業は、1年間のりんごの生育を左右するとても大切な作業で、一人前になるまでにはとても多くの時間がかかります。今までは、なんとなく見よう見まねで好きなように切っていましたが、一気に20本も任されると、家族の生活がかかっていることが気になってしまい、なかなか枝を切ることができず、自分の剪定ができなくなってしまいました。そこには精神面が弱い自分がいました。もっと強い意志を持ち、何事にも挑戦できるようになりたい。そういう気持ちから、今まで以上に学校の授業に集中し、りんごの木を観察するようになりました。我が家のりんご園はもちろんのこと、通学で通りかかる他人の園地の木も見るようになりました。

りんごは、作っている人が愛情をかけ大切に育てた時に見えないメッセージを発しているような気がします。教科書や本で、りんごのことを調べるだけではなく、自分の目や身体でりんごを感じ、考えることが大切だと思えるようになりました。まだまだ、りんご経営者への道は長く厳しいと感じましたが、また一つ、新しい課題が見えてきました。

私は「あの日、あの時、あの場所で食べたりんごが忘れられない」と「五感」の記憶に残るようなりんごを作りたい。夢実現のためには、たとえ困難な道であっても、着実に一歩ずつ進み、「一口食べると幸せを感じるりんご」を作るために、これからも精一杯努力していきたいと思います。

くどう・なおや

青森県弘前市生まれ。弘前実業高藤崎校舎(http://www.chunan-w.asn.ed.jp/~ah/)に通い、家でもリンゴ作りに励む。

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