第38回毎日農業記録賞 《一般部門》最優秀賞・新規就農大賞、農林水産大臣賞、全国農業協同組合中央会会長賞


農業で祖父母の地、瀬戸内海の「豊島(香川県小豆郡)」に活力を

多田初さん(46)=香川県、農業

クリスマスを前に、収穫に忙しい
クリスマスを前に、収穫に忙しい

東京からⅠターン 祖父母の地で就農

私は瀬戸内海の東部、小豆島の西3・7キロメートルに位置し、面積14・5平方キロメートル、周囲18キロメートルの小さな島である豊島(てしま)でイチゴ栽培をしています。豊島は、大量の産業廃棄物が不法投棄された問題をきっかけに日本最大の産業廃棄物の島として、日本中に不本意な名を知らしめることになりましたが、2010(平成22)年の6月6日で県と住民の間で公害調停が成立してから10年の節目を迎えました。

私が豊島で農業に取り組み始めてから12年が経ちました。「昔のように豊島が一次産業で成り立ち、雇用も生み出せるようにならなければ…」との思いで、農業の復興に期待を掛け、99年から高設イチゴ栽培を4軒の農家が始め、今では、販売額で島一番の農産物になりました。

私はIターン就農者です。農業を始めるまでは、東京で飲食関連企業に勤めていました。特に営業、流通、消費者ニーズに関わる部署に携わり、農産物の産地や価格の動向を注視し、消費者が欲しいと思う商品をいかにして提供し、企業の発展をめざすかということに尽力しました。この経験は、現在の私にとっては貴重であり、良い糧となっています。

収穫したイチゴを詰める
収穫したイチゴを詰める

私は小学生の頃、喘息(ぜんそく)がひどく、療養のため、小学校6年生の1年間、祖父母が住む豊島に両親から離れ、滞在することになりました。当時、祖父母は農民福音学校の指導者として立体農業に取り組み、農家の生活向上を目指していました。立体農業とは、牛を飼い、その糞を堆肥にし、この堆肥を基にさまざまな農作物を栽培する循環型農業です。その収入の一部を社会活動に還元し、農業者が社会貢献できる道筋を説いていました。

療養しながら、祖父母の教えを肌で感じ、農作業の手伝いや循環する自然の営みを実感したことは、今でも農業を考える上での基礎になっています。酪農を中心とした農業経営は私の目標とする農業でした。豊島のすばらしい自然に囲まれて過ごした1年間は、埼玉県で暮らしていた私にとっては、将来像を描くことができるくらい新鮮で、良い体験となりました。「豊島で農業をする」これが私の将来の夢になったのです。

酪農経営への夢を描いて、私は北海道の酪農学園大学へ進学しました。小学6年生の時に祖父母から学んだ立体農業を実践するための第一歩とするためです。

大学に通いながら、生活費を稼ぐために飲食店でバイトを始めました。農産物(食材)を料理して消費者へ提供し、「おいしい!」という満足感に浸ってもらい、笑顔を返していただく。この飲食店での仕事がとても自分の性に合い、卒業してから後の就職先にもなりました。この体験は、今振り返ると、現在の農業経営をする上で、とても大きな役割を担っていたと実感しています。

「食に通じる仕事を」  青年時代も貫く

妻とイチゴのコンポートを作る
妻とイチゴのコンポートを作る

卒業後、就農を全く考えなかった訳ではありません。何よりも子供の頃からの夢をかなえるために酪農学園大学に進学したのですから・・・。

しかし、農地を持っていない自分が就農するためには、土地代、牛代、施設代等々、大変な資金が必要でした。自己資金が無い中での就農は、やはり考えがたく、「今は時期ではない。資金を貯めてからでも遅くはない」との思いで、まずは農業外での就職を決めました。しかし、唯一、「食に通じる仕事をしたい!」との思いだけは貫き、飲食関連企業に決めたのでした。

飲食関連企業では、まずはコックとして就職しました。さまざまな経験を積み重ね、後に経営側として飲食店を切り盛りする仕事になりました。この飲食店は、東京でサラダバーの店を展開していたので、新鮮な野菜をいかに消費者に提供するかが経営上のカギでした。私は取引先の農家を一軒一軒訪ね、思いを聞いたり提案をしたりしていく中で、農業が抱える問題を理解し、今後の流通や販売の方向性が少し見えてきたように思いました。

その中で「規格外や虫食いのある農産物だと市場は買ってくれない。販売側がこのような農産物をうまく生かしてあげなければ、農家がうかばれない」との思いが、強く私の心に残りました。

消費者にとっても企業にとっても、農家にとっても好条件で、三者に利益をもたらすということは当然のことながら難しいことでした。しかし、試行錯誤の結果、料理として出す農産物の使い方を工夫することで、この問題の解決に役立てたことは、「農業の苦難に立ち向かう今の自分のあり方」に非常に役立っていると感じています。

私は97年に妻と結婚しました。妻は、サラダバーのファンで私の思いを理解してくれる消費者の一人でした。結婚を機に将来について考えた時、「自分の夢であった農業に取り組みたい!」との思いが再度あふれてきました。

小学校6年生の時に1年間過ごした「豊島」での思い出と「父母の故郷、祖父母の開拓地」としての思い入れが、豊島の美しい自然の中で土に親しむ家庭生活を営み、子育てをし、子どもと共に生きていきたいとの思いを強く引き出し、農業に取り組む決意をさせてくれました。

いちご家で家族全員と
いちご家で家族全員と

県やJAの支援で イチゴ栽培に挑戦

就農するにあたり、岡山県笠岡市の酪農家で研修をさせてもらいました。繁殖から肥育まで牛飼いの仕事に魅力はありましたが、当時、BSE(牛海綿状脳症)の影響で、収益は期待できるものではありませんでした。

自分の夢であった畜産業は難しい・・・何で生計を立てるか悩んでいる時に、ゴミの不法投棄が一躍有名になりました。風評被害に立ち向かい、島の活性化を取り戻すためには、豊島に住み、豊島で農業を営む自分たちがどうにかするしかないと強く感じました。

かつての豊島の産業であった農業の復興と住民が誇れる特産品づくり、若者が輝きながら働くことのできる場づくりを目標に、香川県やJAの支援を受けてイチゴ栽培をスタートさせたのが私のイチゴ農家としての始まりです。

ハウスの準備やイチゴの育苗等、資金も栽培技術も乏しかった当時、毎週のように島外のイチゴ農家を視察しながら技術習得に努め、どうにかイチゴを出荷することができました。資金調達のため、漁業者のもとで半年間働いたこともありました。

イチゴの生産で生計を立てるため、ハウスの増設に取り組んだ時、豊島という地域の厳しさを実感しました。祖父母の地元である豊島でも島外からやってきた私はよそ者でした。「どこの馬の骨かも分からない者に、先祖代々の大事な土地を貸せるか!」と怒鳴られ、1年かけて粘り強く交渉し、やっとの思いで土地を借りることができたのです。

六次産業化目指し 新たな取り組み

就農者が減少する中、農業をしたいと思う人たちの受け入れ支援に行政が取り組んでいることをよく聞きますが、農地を持たないものにとっては容易に農業経営は始められません。「農地の確保」「資金の借入」「農協や地域の支援」等、本当に多くの苦労がありました。

できることならば、大きなリスクを背負うことなく、地域にも農業にも入っていくことができるような、少しでも就農しやすい環境を整備してもらいたいと感じています。

収穫期を前に、手入れに余念がない
収穫期を前に、手入れに余念がない

「一次産業の復興」のため、今、自分がするべきことを悩んだ結果、イチゴ農家としての基盤を十分に構築することが、今、必要なことだと感じました。

現在、私は2640平方メートルのハウスでイチゴを栽培し、妻が主に担当するデザートショップ「いちご家」を経営しています。価格が低迷しているイチゴの出荷だけでは、子ども3人を抱え、家族5人が生活していくことは大変だからです。

農業だけで生活し、後に続く若い世代に希望という財産を残すことが、現在、農業に従事している私の果たす役目だと考えています。

農産物の生産・出荷だけでなく、加工から販売、消費者交流まで幅広い部門を展開し、農業の六次産業化を目指していくというのが私の新たな目標です。

いちご家は09年の7月20日にオープンしました。島内で新鮮な地場のイチゴを食べてもらうためにイチゴを使ったかき氷やクレープ、ソフトクリームを中心に販売しています。地元の方からの要望でランチや弁当の配達も始め、地元の高齢者が栽培した野菜の直売所も担っていて、地域の情報や人々の交流の場となっています。

オープン1年を迎えた10年7月19日から、豊島を中心とした瀬戸内国際芸術祭が始まりました。島外の多くの来客者に豊島の良さや特産品を知ってもらうために、さまざまなアイデアで奮闘しています。

お店には、自家栽培イチゴを原料とした自家製のイチゴジャム、菓子製造業者と共同で開発したイチゴのダグワーズ、フロマージュ、ロールケーキ等お土産となる商品も充実させました。

「豊島で農業をしたい」という子どもの頃からの夢を現実にし、生産だけでない多角的な経営に取り組み始め、少しずつ農業で生活できる基盤を作り始めているところです。

現在は、2棟ある内の1棟のイチゴハウスを島外から来た若者に任せ、独り立ちできるまでの間の支援を行っています。地域の手助け無しでは、土地も資金もない者は、希望を持って農業に取り組むことはできないと実感しているからです。

地元の小学生の地域学習での農業体験として、イチゴの生産過程で週2回の体験学習の受け入れを行っています。「豊島の特産品であるイチゴの栽培に興味を持ってもらいたい。少しでも、将来、豊島で農業をしたいと思う子どもが残れば良い…」と思って取り組んでいます。

できることならば、私の子どもたちが私のように豊島を愛し、豊島で生きていくことを選び、彼らが生活していける経済基盤が整備された豊島になることを願っています。

ただ・はじめ

1964年、東京都生まれ。96年に豊島に移住し、99年からイチゴ栽培に取り組む。09年に「いちご家」(http://teshima158.com)をオープン。ランチや出前もする。妻、長男、次男、長女の5人暮らし。

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