第38回毎日農業記録賞 《一般部門》 最優秀賞


養蚕(天の虫)が教えてくれた農業

保泉(ほずみ)光子さん(64)=埼玉県寄居町、農業

できあがった繭を毛羽取り機にかける
できあがった繭を毛羽取り機にかける

養蚕は、その頃の中山間地の多くがそうであったように、嫁ぎ先で営まれていた。初めて蚕を見たときは世間の女性が芋虫を見て抱くのと同じ感情を抱いた。それでもチャレンジの精神で飼育に励むと、姑(しゅうとめ)が仕事を積極的に任せてくれ、会議や研修など当時の嫁としては大変珍しい場にも参加できた。

蚕は本当に可愛い。そして、小さな体で1キロにも及ぶ糸を3日間吐き出し続ける姿には感動する。全国の農家が養蚕をやめても、この感動が忘れられなくて頑張り続けている。

毎年冬に、地元の小学校で蚕を囲んだ交流会を続けている。伝統ある産業は、たとえ養蚕業には直接結びつかなくても、文化としてさまざまな形で伝えなければと思う。

ほずみ・みつこ

農家に嫁いでから農業一筋。野菜を作るのも食べるのも好きで、気がつくと、米や小麦などをどのように育てたらいいだろう、どのように食べたらおいしいだろうかと考えている。

「お帰りなさい」で始まる日本一小さな直売所からのチャレンジ

芦田恵子さん(56)=千葉県白井市、農業

駅の直売所では客との会話が続く
駅の直売所では客との会話が続く

露地野菜の専業農家だったが、輸入増で経営は悪化。無人直売所を作って徐々に市場出荷から切り替えたが、後発店と安売り競争に。参加した直売所組織は他人が売ることに方向性の違いを感じた。

「お客さんがいる所に行けばいい。一番集まるのは駅だ」と北総鉄道白井駅にお願いすると、1週間後に駅構内の直売所ができた。6平方メートルの売り場で毎週3回午後4時から3時間、家族3人で作った朝採り野菜を売る。

「お帰りなさい」と声をかけると「ただいまー」。野菜ソムリエの資格を取り食べ方を伝えると「こうして作ったらおいしかった」と報告も。店が縁で東京都内のレストランのスタッフが農作業に来るようになった。忙しいが、やりがいを感じる。

あしだ・けいこ

結婚し、実家の農業を継いだ。自宅の畑は約2ヘクタール。00年に自宅前で無人直売所を始めた。06年から北総鉄道北総線白井駅構内で週3回臨時直売店を開く。野菜ソムリエ、千葉県指導農業士。

夢の向こう

松本トシコさん(59)=長崎県松浦市、農業

美しい海の近くで親牛と
美しい海の近くで親牛と

長崎県の島育ちの私にとって農業は遠ざけたいもので、東京で社会人生活を始めた。そこで出会ったのは同県出身の長男。24歳で兼業農家の嫁になった。

結婚10年目、義父から突然牛の世話を任された。福井県で人工授精をしている畜産家の女性と出会い、約10年かかったが授精師資格を取る決意をした。

資格取得の勉強で出会った農家が自分の倍の価格で子牛を同じ市場で売ったことから経営を再考。9年ほどかかったが、市価の平均以上での販売、1年1産に近づくなど私なりの経営が見えてきた。

出会いに導かれてきた私は7月、初めて地域の小学生と大豆の種をまいた。地域の子やお年寄りと何かしたい。新たな出会いは夢の第一歩のスタートだ。

まつもと・としこ

長崎県平戸市出身。24歳で、結婚を機に農家の長男だった夫の実家にUターン、85年から肉牛の繁殖農家を始める。自宅正面の景勝地・いろは島を見るのが毎日の楽しみ。義母と夫、次男の4人暮らし。

教えを受け継いで

芳竹作知(さち)さん(29)=宮崎県えびの市(現香川県さぬき市)、農業

えびの市の実家で、飼育する豚と
えびの市の実家で、飼育する豚と

東京農大を出て、実家の宮崎県の養豚農家に戻り、やる以上は規模拡大をと思った。一方、両親の教えは「楽しみながら仕事をする」「勉強を通じて、自分の人生を追求する」。グリーンツーリズムや食育の体験学習にも熱心だった。初め「豚の管理がおろそかになる」と反発したが、多くの人と触れ合えば多くの発見があると思い直した。

口蹄疫(こうていえき)で家畜移動制限区域に入った。出荷できず、収入源もない。見えないウイルスの恐怖。両親とも感畜した際の埋め場所や廃業後のような話ばかり。全国からの励ましでまた頑張ろうと思った。

7月に結婚し、香川県で肥育牛農家としての生活が始まった。両親の教えを心に、どんな困難にも挑戦したい。

よしたけ・さち

2人姉妹の長女。東京農業大学で野菜栽培や畜産を学び、03年に実家に戻って就農。両親と3人で養豚業に励み、九州沖縄地区農業青年クラブ連絡協議会会長などを務めた。10年7月に香川県の肥育牛農家に嫁いだ。

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