第38回毎日農業記録賞 《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞
和牛生産への道
田崎勇樹さん(17)=宮崎・高鍋農業高3年
中学時代に夢見た 日本一の牛飼いに
早朝の静けさに包まれた中、父と私の牛舎に向かう足音だけが響きます。足音に気づいた牛たちが、一斉に起き上がり早くエサをもらおうと「モ-、モ-」と次から次に鳴き始めます。「今日もみんな元気そうだ」。ひと安心してエサの給与を始めると、牛たちは待ってましたとばかりに大きな口をいそがしく動かしおいしそうにエサを食べます。小学校5年生から、学校が休みの日には欠かさず朝から牛舎に向かうようになった私には、牛のいる生活が当たり前でわが家の牛飼いを継ぐことが将来の夢でした。
中学校3年生の時、牛飼いを目指す私や畜産の盛んな地元にビッグニュースが飛び込んできました。それは、5年に1度の和牛のオリンピック「第9回全国和牛能力共進会」が鳥取県で行われ、地元から出場した代表牛が日本一の栄誉を獲得したのです。このニュースを父から聞かされた時は、自分のことのように喜びがわき上がり、何か誇らしい気持ちでいっぱいになりました。そして、将来は自分の手で育てた牛をぜひ出品し、全国の牛飼いの皆さんと勝負してみたいと思ったことを今でも鮮明に覚えています。
そして、その年県内で開かれた「宮崎県畜産共進会」での出来事が、私の牛飼いへの思いをより強いものにしました。高鍋農業高校の生徒が育てあげた牛が、グランドチャンピオンに選ばれたのです。本当にビックリするとともに、すでに高鍋農業高校への進学を決めていた私の決意はより強くなり、農業高校での生活に期待は大きく膨らみました。
私の故郷である高千穂町は、宮崎県の最北端に位置し、天孫降臨の神話と伝説が息づく町として知られ、四季折々の美しい景観とともに全国でも有名な観光地となっています。周囲を山々に囲まれた高千穂町では、基幹産業である農業が盛んで、高冷地野菜や花の栽培、和牛の飼育などが小規模ながら行われています。
私の家も、和牛を飼育する専業農家で、父が中心となり和牛繁殖経営を行っています。兼業農家だったわが家は、父が就農したことをきっかけに飼育規模を徐々に拡大し、5年前に新しい牛舎を建て今の経営を行うようになりました。現在の経営規模は、和牛繁殖牛22頭、育成牛2頭、子牛13頭の計37頭を飼育しながら水稲・露地野菜栽培も行っており、父に加え祖父母がわが家の経営を支えています。
私も幼い頃から手伝いをするうちに牛が好きになり、農家の長男としてわが家の後継者になりたいと自然に考えるようになりました。高校進学も希望通り高鍋農業高校畜産科に決まり、これまで畜産に関する専門的な学習に取り組んできました。本校での学習は期待していたとおり、大規模な農場で多くの牛や豚を相手に実践的な学習に取り組むことができ、何もかもがわが家の経営を上回る規模で大変刺激的でした。
本校は、農業経営者育成高校の指定を国から受け、3年間寮生活をしながら農業学習を学ぶ全国でも唯一の学校です。私を含め多くの校友が、将来の農業後継者を夢見て寝食をともにしながら、他の高校では味わえない体験をしてきました。親元を離れて送る高校生活に、時にはくじけそうになることもありましたが、同じ志をもつ友がいつも身近にいることで、互いに支え合ってくることができました。夢を語り合える友人達の存在が、私の高校生活の大きな財産の一つになり、夢実現のために高校卒業後も欠かせない存在になると確信しています。
自家飼料の利用で 安全で健康な牛を
寮生活を行う私は、週末帰省し、わが家の畜産業に家族とともに取り組む生活を繰り返してきました。朝6時には牛舎に向かい、牛の観察・飼料給与・牛舎の清掃など一般的な管理を行います。粗飼料の作付け・収穫時期などは、朝から慌ただしい1日になります。
時には友人達と遊びたいという気持ちになりますが、学校での学習を実践する場として取り組むわが家の畜産が今は楽しくてしかたありません。家族との会話も、種牛の交配パターンや飼料の給与方法・セリの結果など畜産の話を中心に盛り上がり、家族みんなが笑顔で話すひとときは何とも言えません。そんな家族とともに行う牛飼いを、将来は繁殖牛50頭規模に拡大し、年間粗収益1500万~2000万円を和牛子牛生産一本で実践したいと考えています。父の築いた経営基盤を大切に守りながら、地元高千穂ならではの和牛生産を必ず実現したいと思います。
規模拡大のためには、解決しなければならない課題もいくつかあります。一つは粗飼料の確保です。地元高千穂町は傾斜地が多く、畑地を十分確保することが容易ではありません。わが家も粗飼料確保には苦労している現状です。
そこで、父が行う飼料イネ栽培の面積を増やすことや高齢化で離農した方々の遊休地の利用、そして自然環境を生かした林間放牧の導入などにも挑戦したいと考えています。そのための学習を、高校卒業後に農業大学校へ進学し学びたいと考えています。
また、高齢化の進む地域の農地活用を低下させないため、水稲栽培の作業を請け負い収穫後の稲わらを利用させてもらうつもりです。幸いわが家には必要な機械がそろっており、その強みを生かし経営に役立てるとともに、地域の自然環境の維持にもつながればと考えています。そして、地元高千穂ならではの牛飼いを実践するため、昔ながらの方法で刈干し(野草)の生産を行い、自然の恵みを十分に生かした牛づくりに取り組み、自家飼料の利用で安心・安全で健康な牛を育てていきたいと思います。
将来の牛飼いの目標には、もう一つ大きな夢があります。中学生の時に抱いた日本一の牛づくりです。地元高千穂牛は、前回実施された全国和牛能力共進会で、出品した牛すべてが優等賞を受賞し、そのうち2部門で首席を獲得する名誉を与えられました。高校でも、継続してこだわりの牛づくりに取り組んでいます。学んできた知識や技術をもとに、これからさらに牛を見る目や系統・血統などの知識を身につけ、将来の牛づくりに役立てたいと思います。
口蹄疫疑似患畜に 高校の牛豚も殺処分
2010(平成22)年4月に起こった宮崎県の口蹄疫(こうていえき)発生は、畜産を学ぶ私達農業高校生にとっては大きな悲しみと不安を抱く出来事になりました。10年ぶりに発生が確認され、最初はそんなに深刻な問題になるとは考えてもみませんでした。そして5月、感染は拡大し続けついに本校の牧場にも疑似患畜が見つかり、飼育していたすべての牛・豚が殺処分されました。本当にやりきれない気分と悲しみを味わいました。
最初の発生が確認されてから1週間後には私達生徒は牧場への出入りを制限され、育てていた牛たちと会うこともできないままの別れになりました。家畜の移動などが制限された3カ月程、私は地元にも帰れない期間を過ごしました。地元高千穂は、畜産の盛んな地域。大切な牛を病気から守るため、人の行き来に慎重な対応が取られ、帰省ができない状態になったのです。
畜産を行う農家出身である私も、当然のことと思いながらも本当につらい期間を体験しました。何とか8月には終息を迎え、地元高千穂での発生は見られないまま終えることができて今は本当に良かったと思っています。学校の牛・豚を失ったつらさと、地元の牛が守られた喜びの両極端を体験して、これから牛飼いになるうえで防疫に対する心構えや対策強化に高い意識をもって取り組まなければならないと強く実感しました。
高千穂・夜神楽の伝承者としての活動も
牛飼いを夢見る私にとって、地元高千穂町での生活でもう一つ楽しみにしている活動があります。それは、神話の里として知られる高千穂の伝統芸能「夜神楽」を舞うことです。小学校5年の時に、地元の夜神楽で舞い手としてデビューして以来、毎年神楽を舞っています。始めた頃は舞を覚えるのが大変で、ようやく一番覚えて人前で舞った時には、本当に緊張したものでした。
高千穂の神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定され、古くから秋の実りへの感謝と翌年の五穀豊穣(ほうじょう)を祈願し、11月の末から2月上旬にかけて各地区で奉納されています。夜神楽は、三十三番の番付があり、氏神様を神楽宿に迎える夕方から翌日の昼前まで舞い続けられます。伝統を守り続けるため、地区民あげて取り組む姿は本当に活気があり、この時期のワクワク感は今も昔も変わりません。
私は将来地元に帰り、家業の畜産を行うとともに、高千穂の夜神楽を伝承する後継者としても活動するつもりです。もともと高千穂の神楽は、地元の農家の方々が中心となり守り続けてきた伝統芸能です。農村地帯で繰り広げられる高千穂の夜神楽が地域の元気の源になるよう、神楽の舞い手として幅広く活動していくつもりです。観光客のために定期的に舞われる神楽や、全国各地で開催される行事への参加などに積極的に加わり、高千穂の伝統芸能を多くの方に堪能してもらいたいと考えています。そして、地元の夜神楽を大切に守りながら、高齢化の進む町でお年寄りから認められる立派な舞い手になり、貴重な農村風景を守る役割を果たしたいと思います。
畜産業界は厳しい状況が続いていますが、父の手がけた和牛経営を絶やすわけにはいきません。口蹄疫という甚大な被害を受け、今再生に向け歩み始めた宮崎県の畜産。先の見えない状況ではありますが、牛飼いへの思いは変わることはありません。今こそ若い私達の力が必要になると確信しています。家族の温もりを感じながら、立派な畜産人になって家族とともに地元高千穂町で生きていきたいと思います。そして、必ず将来日本一の牛を育てたいと思います。
たさき・ゆうき
宮崎県立高鍋農業高校畜産科3年で、寮生活しながら畜産を学ぶ。高千穂町の和牛生産農家の長男で、実家では両親、祖父母、弟の6人暮らし。高校ではバレー部に所属している。