第39回毎日農業記録賞 《一般部門》最優秀賞
農業一筋六十年の歩んだ私のあしあと
渡辺光子さん(81)=山形県河北町
農家に嫁いで60年。減反政策が打ち出された後、他の3組の夫婦と共同作業を始め「おしどり会」と名付けた。大型機械を導入し、病気の時も会に助けられた。
75年には「河北育苗センター」を設立し早苗の販売を始めた。母ちゃんたちにはボーナスも支給。農作業が終わると1泊2日の旅行もした。
出稼ぎしなくても済むように酪農も採り入れ、牛乳が現金収入になっていた。夏秋キュウリにも取り組み、転作した枝豆も市場に持ち込んでいる。
こうして牛馬のごとく、夫と共に働いた人生。「よう頑張ったな」。今日もまた夫と顔を見合わせ思いにふけっている。
わたなべ・みつこ
山形県村山市出身。俳句を詠み、地元紙に100回以上投稿。身辺の出来事を文章にするのが趣味。
夫と共に夢を追いかけて
野口弘子さん(57)=栃木県小山市
10代のころ、広大な牧場に憧れた。20代半ばで念願が叶い、地元の酪農家に嫁いだ。放牧場さえない水田酪農家だったが、充実した毎日だった。
50代になり、地元に建設される「道の駅」内のアイス工房に出店する酪農家の募集があった。酪農仲間の温かい応援もあり出店の運びとなった。
材料は地元産にこだわった。「はとむぎジェラート」は人気で道の駅の名物になった。地場野菜のモロヘイヤや、地元加工品の納豆なども活用してジェラートにしている。
「ジェラート屋さん」ではなく「酪農家のジェラート屋さん」として酪農情報を発信しながら、皆が元気の出るジェラートを作っていきたい。
のぐち・ひろこ
夫・晃作さんと酪農牛舎とアイス工房(http://www.it-service.co.jp/a/cowbell/)を運営。アイスが大好きで毎日食べる。
人の輪と和を育む『さくら農園』
桜井勝子さん(69)=千葉県習志野市
66年に結婚し9人家族の嫁として一生懸命働いた。98年ごろから、輸入野菜が増え、収入が厳しくなったころ、義父が亡くなった。都市農業の相続税問題に直面し、税金を払うため一番良い所を売って農地は半分になった。
64歳で体験農園の開設を決断。「都市農業で生き残るのはこの方法しかない」と無我夢中で走り続けた。今は、人との触れあいで感謝され、気持が豊かになって、こんなに素晴らしい仕事はないと思える自信に満ちた毎日だ。
野菜の本当のおいしさを少しでも多くの方々に伝え、消費者ときちんと結びつくことができる都市農業の発展のためこれからも頑張っていきたい。
さくらい・かつこ
「農業はサービス業」をモットーに消費者交流を図る。雑誌などに論文を投稿。講演依頼も多数。
田舎の底力を信じて
田中滋子さん(52)=福井県越前市
金沢生まれで大阪育ち。福井県旧今立町の兼業農家に嫁ぎ、町役場に勤めて農政の仕事に携わった。
「米粉パン開発を町でやってほしい」と、転作に反対する声が寄せられ、担当として市民公募の米粉料理研究グループを発足させた。グリーン・ツーリズムも担当になった。
しかし、市町合併の相手先は、そんな取り組みに興味を示さなかった。そこで、役場を辞め、米粉パンのパン工房と、グリーン・ツーリズム組織に専念するようになった。
思ったほど取り組みは広がらないが、東日本大震災で東北の「田舎の底力」を見た。そんな田舎に関わる仕事をする幸せをかみ締め、人と人、人とものをつなぎ続けていきたい。
たなか・しげこ
金沢大在学中に学生結婚して夫の実家がある旧今立町(現越前市)へ。他県のグリーンツーリズムの講演会に招かれることもしばしば。
地域の人達とともに歩んだ私の農業人生
三原典子さん(62)=香川県丸亀市
米農家の長男と結婚し、私の農業が始まった。19歳だった。
84年に両親が相次いで亡くなり、サラリーマンの夫に代わり私が一人で農地を守っていくことになった。女性が大型農業機械に乗っているのは珍しい時代だったが、運転免許を取得。機械でできる米・麦・大豆へと切り替えていった。
農業経営も次第に拡大。近くのお年寄りの田やブドウ栽培を引き受け、気心の知れた仲間で栽培している。私達が頑張って農業をすることが、農地を守るだけでなく、地域の方の元気にもつながっていると感じている。
これからも地域の人と助け合いながら、農業に取り組んで行きたい。
みはら・のりこ
69年、稜雄(いつお)さんと結婚し、農業に携わる。稲作の他、ブドウ栽培を手がける。