第39回毎日農業記録賞 《高校生部門》優秀賞・特別賞


一笑懸命 ~ゼロからのスタート~

佐藤駿(はやま)さん(16)=酪農学園とわの森三愛高校1年

一笑懸命 ~ゼロからのスタート~ 佐藤駿(はやま)さん(16)=酪農学園とわの森三愛高校1年

父親と2人で奇麗な牛を飼い多くの人と触れ合うことができる観光牧場を経営することが小さい頃からの夢です。農業高校を卒業した父が畑担当で、動物が好きな私が牛を担当したいと思っています。酪農のよいところは、家族でできる仕事であることと、適正な頭数と畑の面積があれば環境に負荷をかけない農業ができることです。また、人は動物に触れたり、農作物を収穫するときには嫌な顔をしません。だから、私は観光牧場でなら、小さい子供からお年寄りまでたくさんの笑顔に出会えると思っています。しかし、私は実家が酪農ではないので、一からの勉強を始め酪農家への道に一歩近づくために北海道にある酪農学園大学の附属高校である「とわの森三愛高等学校」に入学を決めていました。

佐藤駿(はやま)さん

私の出身地の陸前高田市は、リアス式海岸で有名な三陸海岸の南部に位置し、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の奥にある小さな平野が広がる街です。私が卒業した気仙中学校は教室の窓から海が見えます。休み時間にはよく眺めたものです。地域の人はとても温かく家族同然の付き合いがあり、近所の人たちとよくバーべキューをしたり、地元のお祭りの「けんか七夕」では太鼓の練習をしたりと、人とのつながりがとても強い地域です。

3月11日、轟音とともに実家は津波に飲み込まれ、すべての財産を失いました。高校の入学を断念しようと思いましたが、両親をはじめ地域の人たちも私が北海道へ行くことを応援してくれました。

制服はなんとかそろえることはできましたが、普段着る服や下着などがないまま北海道にやって来ました。入学後間もないある日、2年生の先輩から「夕飯食い終わったら、集会室に来い」と言われました。夕食後、集会室に行くと2年生の先輩たちが全員そろっていました。「これ、お前にやるから使え」と先輩たちがダンボール3箱に衣類、洗剤や日用品を集めてくれました。今着ている普段着は先輩たちからいただいたものです。突然のことで、驚きと先輩たちへの感謝の気持ちから自然と涙が出ました。

「ありがとうございます。先輩方になんてお礼を言っていいのか、感謝の気持ちをどう表していいのか、わかりません。とにかくありがとうございます」
と涙ながらに伝えると、
「お礼なんていい。お前は、将来なりたい自分に向かってがんばればいい。お前は陸前高田の代表だ。地元の父さん母さんの期待に応えることが俺たちへのお礼だ」
と言ってくれました。

寮に入ったことで成長し、2年生のような立派な先輩になるよう私自身も努力しようと思いました。

ゴールデンウイークは同級生の全員がいったん帰省しましたが、帰るところのない私は同級生の家に宿泊させてもらい酪農実習をしました。同級生の家族に大変よくしてもらいました。家族の人たちと一緒に作業をしていて、酪農の素晴らしさや楽しさを教えてもらいました。また、子牛の出産に初めて立ち会い、元気な子牛の誕生に感動しました。家族みんなで酪農の仕事を楽しくやっている姿を見て、やはり酪農を経営したいという気持ちがさらに大きくなりました。

私が入学した「アグリクリエイト科機農コース」は酪農を中心に勉強する全国各地から仲間が集まる全寮制のクラスです。実家が酪農家の仲間もいれば、私のように酪農家でない仲間もいます。全国各地から集まっているために出身地域の話題が飛び交い楽しい学校生活を送っています。

牛の世話をする佐藤駿(はやま)さん

高校の牛舎実習は、ほとんどが手仕事です。牛の寝床つくりや、ふんや汚れた寝わらを一輪車に乗せて、堆肥(たいひ)場まで運ぶことも手仕事です。また飼料計算の際も、牛の健康状態や生育ステージによって種類や量が一頭一頭異なるため、はかりを用いてグラム単位まで計量して給餌しています。唯一機械を使うのは搾乳のときだけです。はじめての実習のときにどうして機械を使わないのだろうか、と疑問に思い牛舎の先生に質問しました。先生からは、
「確かに、現在の酪農は機械作業が多いけど、みんなには機械操作の”技術”を身につけるのではなく、”手仕事”を通して牛を身近に感じ、牛と心を通わせる姿勢を身につけてほしい。牛舎での実習は牛一頭一頭が主役だから、牛が食べやすい餌のあげ方、牛が寝たくなるような寝床の作り方、牛が嫌がらないミルカーの掛け方、すべては牛のためにある。そのことを忘れないで」
と言われ、すべての実習内容に意味があるのだと気づきました。今では、牛が主役の毎日を意識して実習に取り組んでいます。一日の餌の摂取量には目を配り、飼槽に食べ残しはないか、体温の計測、毛並みのツヤ、ふんの状態に異常がないか、毎日毎日牛を観察しています。自分が搾った牛乳が出荷され、日本の誰かが飲んでくれていると思うとすごくうれしいし、自分が搾る牛の乳量が増えてもっとたくさんの人に飲んでもらいたい。そう考えると毎日の実習が楽しいです。

私は高校に入学したら野球部に入りたいと思っていました。しかし津波で野球道具や練習着をすべて失ったので野球を続けることは諦めました。部活には入らないと決めた矢先、共進会に興味を抱くきっかけとなる出来事がありました。牛舎実習で一緒になった2年生の先輩の仕事ぶりを見ていて、その手際の良さ、仕事の正確さから「先輩は酪農家の子供だから、仕事が早いのですか」と質問したところ、「俺、非農家だよ。共進会班に入ったら、普通にこのレベルになるよ」と言われました。私はたった1年でここまで成長するのかと驚きました。そこで共進会に興味を持ちましたが、実際のところ何も知りません。そこで、共進会班のリーダーである3年生の先輩に話を聞くことにしました。共進会について熱く語る先輩の姿から、是非、私も共進会班に入って酪農の仕事ができるようになりたい。牛のことをもっと知りたいと思いました。

先輩たちは、毎日牛の世話をしています。牛の洗浄、ブラッシング、調教を大会当日まで毎日行い、牛を常に奇麗な状態に保っています。牛のことを何も知らない私に先輩は牛の洗い方を教えてくれました。牛の洗い方は背中から水を流し、汚れは上から下にかけてブラシを使って落としていきます。牛の毛についた水の切り方にもコツがあり、勉強になることが多いです。共進会当日は、自分たちの出品する牛の出番がくるまで気が抜けません。牛を汚さないように最高の状態で牛とともに大会に臨みます。そのためにも、常に牛を汚さないようにすること、効率よく奇麗に洗うことを徹底しないといけません。

次に牛の調教については、牛の欠点をいかに見せないか、頭を上げ過ぎないことや逆に下げないように、常に牛が奇麗に見える頭の位置を維持して歩かせるのが難しいです。牛の個体ごとに奇麗に見える頭の位置が異なるために、私自身が牛を見る目を鍛えないといけないと思いました。

佐藤駿(はやま)さんと先輩たち

牛を見る目を鍛えるためには、奇麗な牛を見ることが一番だとアドバイスを受けて、春に開催された地域の共進会では全国でも有名な酪農家の手伝いに入りました。手伝いに入った酪農家の牛がチャンピオンになり、他の牛とどこが違うのかを自分なりに分析しました。確かに肋骨の方向や乳房の大きさや付き方がチャンピオンになる牛となれない牛には決定的な違いを見出せました。また、ジャッジングコンテスト(6頭の牛の序列をよい順に並べ、審査員と同じ解答ができた人が優勝するコンテスト)では、見事優勝することができたことで牛の見方についての手応えを感じ、大きな自信となりました。これは、毎日牛に触れていることの結果だと思います。

また7月に開催された地元の江別共進会では、出場した牛が1等賞を獲得しました。その後の道央地域の共進会では全道共進会への出場の推薦をいただきました。私たちが育ててきた牛が共進会のリングで最高のコンディションで出場できたことが何よりもうれしかったです。もっと、牛を見る目を養いたいので、全道や全国レベルの牛をより多く見たいと思います。10月には近郊の酪農家で校外実習があるので、とても楽しみです。

酪農学園には「酪農讃歌」という校歌があります。歌詞に次のような一節があります。

  • 黒土よ みどりなす草
    身につけて
    地上をかざる日のもとに
    牛追う若人はぐくめよ
    窮乏の底に沈める国興せ
    乳房持つ神 我とともなり
    同胞よ 手に手をとりて
    村まもり
    弱きを助け 貧しきを
    いたわるために 勇みたて
    窮乏の底に沈める国興せ
    乳房持つ神 我とともなり
    みひかりに 恵はつきず
    つまずく日
    倒るる時も 見捨てずに
    我をはげます 神の愛
    窮乏の底に沈める国興こせ
    乳房持つ神 我とともなり

まさに、歌詞のとおり私の故郷は窮乏の底にあります。先日、この歌をCD化するという企画がありました。録音に参加した先生が「酪農讃歌を歌っていると、今回の東日本大震災の光景が思い出され涙が出てきた」と話をしてくれました。私も音源を聴かせてもらいましたが、3月11日の地震、津波の凄惨(せいさん)な光景を思い出し、思わず泣き崩れてしまいました。

復興への道のりは長く平坦ではありませんが、平坦ではないからこそ、一歩先に進むために私自身が「地の塩 世の光」となって故郷の陸前高田を元気にしたい、盛り上げていく存在になることが重要であると考えています。

震災後数カ月がたった現在も家族や地域の人々は避難生活を送っています。私は故郷の陸前高田を離れ、寮生活を通して、人は人とのつながりの中で多くの人に支えられて生きているということを実感しました。かたちあるものは津波に流されましたが、人とのつながりは流されない。人とのつながりを基盤とした元気な故郷を取り戻すために、未来を引き継ぐ人間として生きていこうと考えています。

さとう・はやま

東京都生まれ。1歳の時に父の仕事の関係で岩手県陸前高田市へ。小学3年から野球を始め、中学では捕手として県大会に出場。

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