第40回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞・中央審査委員長賞


夢があるから がんばれる

黒岩真由美さん(53)=大分県佐伯市

夢があるから がんばれる 黒岩真由美さん(53)=大分県佐伯市

「あっつぅい」「暑ちぃなぁ」

世界が、銀色に見えてしまう猛暑の夏。流れ落ちる汗か涙か分からないものを肩の辺りでぬぐう。鼻の穴まで土ぼこりで真っ黒になりながら、留夫君が動くから、私が動く。私が動くから留夫君が動く。振り幅のちがいから、振り子は止まらずに加速し動き続ける。「愛してる」とか「大好き」とかの熱情は、汗と涙で流れ落ちてしまった。今は、互いの存在だけで前に進んでいる感じがする。二人が25歳の時「俺の夢は、鉄骨ハウスでバラを育てることじゃ」夕焼けの海を背景に熱く語る姿に惚れて、三姉妹の長女である私は、養子取りのレッテルをはがし嫁いできた。

夢のバラ栽培への挑戦

農協の営農指導員で花き担当をしていた留夫君のバラ栽培の夢は、1991(平成3)年=32歳=、農協のリース事業にのってやってきた。「人間万事塞翁(さいおう)が馬」と留夫君は専業農家になった。どんな事があっても死に物狂いで家族は守るという約束をして…。

バラ団地として7軒が参入し、夢が実現した嬉しさと希望に燃えていた。高設ベンチ、養液栽培でバラを育てる方法を選び、関東・西日本を視察して回った。その先々で、バラ御殿を見せられ「バラ10本で灯油をドラム缶1本買える」とうまい話が咲き乱れた。今思えば、バラ色の未来を想うばかりで、私たちには問題意識が欠けていた。
だから、栽培が始まったら、技術は未熟な上に、部会では方針がまとまらずケンカばかり、収穫量は予定本数の半分以下、価格も低迷と最悪の展開となった。結局、所得率は10%にも満たない有様で「こんなはずじゃなかった」と5軒が退いた。

当時は所得税の申告も留夫君が担当していたので、作るほどに赤字を生む理屈は、農協の請求だけでは私には漠然とした不安でしかなかった。私は、パートさん8人と「夢を叶える楽園」で子育てしながら楽しく作業していた。ある朝、高設ベンチが倒れていた。20アールのハウスは部分的に80センチ以上も地盤沈下していた。ハウスの下には、区画整理した時の木々が埋まっていたのだ。ハウスにひずみが出た。農協にかけあって、再工事が始まった。2年間、25アールのハウスで45アール分の返済をしなければならなくなった。

普及員のKさんと黒岩真由美さん

こうした折、普及員のKさんに「パソコンで青色申告しよう」と誘われて、私は苺農家の新妻ゆうちゃんと受講することにした。楽園とパソコン。流行の先端をきどって女性農業経営士会の一員になった。Kさんにつきっきりで指導を受け、その年から私が申告担当となった。税務署に呼ばれて「この低い所得では、専従者給与は認められない」と言われた。「それでも、私の労働の対価です」とねばって認めてもらい、高額納税者になってやる!!と誓った。私は申告書の総収入の高額な数字に有頂天になり、「そのうちバーンと返済完了できるさ」と大赤字も字づらだけの事と錯覚していた。

こうした中、Kさんは私をたしなめるかのように、経営分析をし、金銭感覚・金額の量感を伴った経営の本質を説いてくれた。足りない知識と未熟な技術で確証のない見切り発車をしてしまったことに気づいた時は、家一軒建つほどの負債を負っていた。高すぎる人生の授業料になった。

苦境の時こそ もう一押し

トルコギキョウの土耕栽培

2002(平成14)年11月、すべての負債を一つにまとめ証書貸付にした。同時にバラの高設ベンチを撤去し45アールすべてのハウスをトルコギキョウの土耕栽培にした。表土を購入する資金などなく、土を使っていなかったハウスの中は、ちょっと掘っても石がゴロゴロ湧いて出る状態だった。開墾・開拓者のごとく、石を拾い続けた。

次は、有機物の補給だ。土建業の友人に、除草作業後の草をトラックで搬入してもらった。認定農業者仲間の牛糞をもらえた。スクラップ同然のパワーショベルも、苺ハウスの廃ビニールももらった。どん底では、いただける物も言葉も情けのすべてに感謝せずにはおれなかった。本当にありがたい絆だ。まるで、新規就農者のようだと、友人たちと笑い合う夕暮れ時、笑える内はまだやれる!!と力をもらった。私にとって、農業は宗教のように寄り添ってくれて、哲学のように悟してくれる有り難いなりわいだと思っている。

苗の不作、ロゼットした花、重油の高騰と、その後も試練は続いた。作業と並行して農協との経営改善の話し合いも進められた。「経営破綻した農家だ」と言われた時は、留夫君とハウスで泣いた。窮極のどん底。「死のうか」思わず口をついて出た言葉に私自身が驚いた。「俺たちにあるのは、農業人としての誇りと死ぬ気の労働だ。土と汗にまみれて行きつく所までやろう。支えてくれた人たちの事を考えたら、死ぬのは今じゃねぇぞ」と留夫君に諭された。そうだ。私たちは生きてゆかねばならない。握りこぶしに力がこもった。

そんな時、普及所にHさんが、農協にY君が花の担当でやってきた。この巡り合わせが経営改善に拍車をかけてくれた。それまで畝間灌水で除草作業に追われていた私たちに、Hさんは点滴チューブの導入を促してくれた。

おかげで除草回数が2回に減り、出荷調整に細部にわたり手を入れられるようになり規格・品質が向上した。Y君は市場開拓に努力してくれ、市場との連携が密にとれるようになり、東京・大阪・長野へ出荷してくれた。平均単価が上がった。農業の技術や環境は、固定観念にとらわれず改善すべき点が多々ある事に気づいた。こだわりはいるけれど、流動的に物事を受けとれる柔軟な思考はもっと必要だとわかった。留夫君は「貧しさは必要の父、必要は発明の母」などと言いながら、重油ボイラーを薪ボイラーに改造し、燃料費の削減を図った。手間取っていた播種作業にも、掃除機利用の播種機を作り、時間短縮ができた。こういう所は、頼もしい留夫君だ。こうして、5年分の返済を2年で終え窮鼠は生きる事を許された。苦しかった。

希望の風、グリーンツーリズム

お地蔵様と黒岩真由美さん

私の住む木立(きたち)には、お地蔵様が多い。家の入り口・庭の奥・辻・道端、あらゆる所に、大小さまざまのお地蔵様が、ちょこんと鎮座ましましている。素朴な信仰の厚さが伺える。お地蔵様は子どもたちを守ってくれるという。そのお地蔵様をおとなが手厚く守って、木立のディフェンスラインは力強く引き継がれてきたのだ。

子育て期に子どもたちと散歩の度、田畑にいる勤勉な木立のおいさん、おばさんたちに呼びとめられた。そして、一休みのきっかけに差し出された「煮付け」「焼きモチ」など、家庭固有の味がする品々を遠慮なくいただいた。椎茸の煮付けを食べると、両親とコマ打ちに行った事、かぶと虫の幼虫をみつけ大喜びした事、木の枝を組んで住処を作った事、山肌をすべり台にした事、山の匂い、土の感触まで蘇る。「こびる」だった焼きモチ。麦畑の霜柱、麦ふみ、麦ワラで編んだ虫かご、麦秋の風まで思い出していた。

幼い頃は、めんどうくさくて汚くて臭くて嫌いだった農業。そいつから、逃げて逃げて逃げ回って忘れていたのに、360度回って農村に戻っていた。農業が、ふるさとが私の細胞の一つ一つに染み付いていた。ふるさとに私が育てられたように子どもたちを育てたいと思った。

02年、県内の安心院町で起こったグリーンツーリズムの風は、佐伯にも吹き始めた。当時、恩師の石上先生と「木立が好き」という点で意気投合した。大好きな木立、愛すべきおいさん・おばさんを世に紹介したい。木立の先祖伝来の食と技を受け継がなくては消滅してしまう。木立らしさを形づけられたら、生きることに自信と誇りを持てると思い、グリーンツーリズム活動に希望をたくした

設立準備委員会、安心院の会長を招いての講演会を再三にわたり開いた。こうして、「星降る木立グリーンツーリズム研究会」が石上先生、苺農家のゆうちゃんなど17名で誕生した。「竹の子掘(ホリ)デー」「苺摘み体験」「星空観察会」、おすそわけ気分で「朝市」などを催した。人と人とがつながるエネルギーの感触は、いつも私の支えになった。

新たな一歩

12年、農業委員になった黒岩真由美さん

12年、私は農業委員になった。

東日本大震災で、津波がさらっていった大地に、あったはずの豊かな土と畔に思いを馳せたら、数百年にわたる先祖の生命をかけた願いや祈りが私をつらぬいて、土の一粒さえもが、愛しくて土を噛みたい衝動にかられた。放射能汚染でふるさとの里山は輪廻転生の場ではなくなった。心は、どこへ還るのか。その土地に執着する思いを誰が絶ち切れるだろうか。幾星霜「農」をつみかさねても「0」に帰すものなのに!!田畑は存在の内に慈しみ甦らせる努力をしなくてはいけないという思いで、農業委員会の末席に座している。

留夫君も私も53歳になった。人生の半分以上苦労の連続だった。けれど、その分たくさんの人に出会い、支えられて、生かされてる。感謝せずにはいられない。父親を早くに亡くした留夫君は、同世代の3倍は働いた。留夫君が元気なうちに、次世代に伝えたい事は山ほどある。一人では、くじけてしまう。二人でも限界がある。組織ぐるみ、地域ぐるみで命を育む農業を伝えてつなげていくことが、これからの私の使命かもしれない。

『これが私のふるさとだ/さやかに風が吹いている/ああ、おまえは何をしてきたのだと/吹きくる風が私に言う』

中原中也の詩を私は愛している。どんづまりになった時、この詩を口ずさむと、大自然の前に謙虚な自分になれる。そうすると、また一歩踏み出せる私がいる。

くろいわ・まゆみ

夫・留夫さんとの間に3男1女。長男・拓朗さんは社会人野球のJR東海の投手。自身も地域のソフトボールチームの要。

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