第41回毎日農業記録賞《一般部門》 優秀賞
農業は地球を救う
北田 晴男さん(59)=盛岡市
農家の長男に産まれ、夫婦共働きを20年続けた後、脱サラしてリンゴ園と水田経営の農家を引き継いだ。化学農薬、化学肥料の使用量を減らした「特別栽培りんご」に家族で取り組み、顧客の支持を受けて収益は順調に拡大した。
一方で若者の新規就農者を地域で増やすため、「若者があこがれる農業」の実践を家族経営協定の目標に掲げた。海外視察の成果を生かし、都市住民に農業を体験してもらう「グリーンツーリズム」を実践する民宿の開設に踏み切った。
きただ・はるお
盛岡市生まれ。両親と妻、長女、長男夫婦の7人家族。ふじなど約20品種を育てている。岩手県指定無形民俗文化財「黒川さんさ踊り」の保存にも熱心に取り組み、月2回指導にあたる。
被災農地の復耕
竹沢 一敏さん(49)=福島県相馬市
福島県相馬市の飯豊地区は市内でも有数の穀倉地帯だった。しかし東日本大震災の大津波で地区全域が甚大な被害に遭った。
住民は一時途方に暮れたが、市が立案した純国産大豆生産の復興プロジェクトに取り組む農業法人を地区の農業者ら3人と発足させた。農地を集約し、地域に就労の場を作ることも狙いだった。2年目の今年は初年度の約4倍、43ヘクタールを作付けした。課題は多いが、今後も緩やかに作付面積を増やし、できるだけ多くの農地を荒廃から守りたい。
たけざわ・かずとし
合同会社「飯豊ファーム」役員。両親と3人暮らし。2009年に建築会社を退職して専業農家に。震災で地元の景勝地・松川浦は松林が流され「以前のような景色に戻ってほしい」と願う。
農業に生きる
川岸 美恵子さん(60)=富山県氷見市
職業として農業を選んだのは中3の時。父が事故で大手術を受け、家族そろって仕事をしたいという希望を抱いたのがきっかけだった。非農家の夫と結婚したが、結婚後も実家で農業を続けた。
売り上げ拡大を目指して地域ぐるみで生産物の直売活動に取り組む中、会社員だった夫も脱サラして農業経営に参画。2005年には自前の農産加工施設を開設。08年にはパン工房も増設した。今後も施設を生かして消費者と交流し、本当の農業を理解してもらえるよう努力したい。
かわぎし・みえこ
「パン工房 粒々」(氷見市余川)の周辺に加工場を集約し、畑地も広げるのが夢。家族連れなどに自然と一体になった農業体験をしてもらい、「農業を理解してほしい」と意気込む。
『苦楽(くるたの)しい』田舎暮らし
長尾 真樹さん(48)=福井県池田町
初めて池田町を訪れたのは21年前。長男がアトピーで、安全な食べ物を自作できる田舎暮らしを希望していた際、夫が見つけた「移住者募集」記事がきっかけだった。
その後何度も現地を訪問する間に農村風景の魅力にとりつかれ、移住を実現したのは1995年。地域の支えを頼りに夫婦で一生懸命、農業に向かい合った。今では夫も、町が推進する循環型農業の一翼を担う存在となった。池田の地に感謝しつつ、まだまだ夢を追い続けていきたい。
ながお・まき
大阪府生まれ。23歳で結婚後、30歳の時に福井県池田町に移住。夫、息子2人の4人家族だが、現在は夫と2人暮らし。池田町の自然豊かな風景や野菜などをカメラに収めるのが楽しみ。
生きる力をくれたぶどう
渡部 摩耶さん(30)=山梨県韮崎市
会社での激務がたたりうつ病を患い、調子の悪いときは寝たきりにもなる生活だったが、移り住んだ山梨の地で出会った「穂坂のぶどう」が、人生を劇的に変えた。
そのおいしさに驚き、生産者の男性の経営するぶどう園で栽培の手伝いを始めた。ぶどう園に通ううちに少しずつ元気になっていった。縁あってその男性は今、大切なパートナーに。専門学校でも学び、本格的に農業の道に進むと決意した。生きる力をくれた、穂坂のぶどう生産を廃れさせはしない。
わたべ・まや
大阪府出身。2011年から山梨県で未経験だった農業に携わる。農園「穂坂ぶどうファクトリー」(韮崎市穂坂町)では、生食用と醸造用のぶどうを栽培している。同農園のアドレスはhttp://r-area.com/budo/
飼料からソーセージまで『MADE IN 岐阜』を目ざして
山川 房子さん(61)=岐阜県揖斐川町
夫婦で養豚経営を営み、消費者に安心して食べてもらえる豚肉生産を目指して、県の銘柄豚「飛騨けんとん、美濃けんとん」を導入。ソーセージ作りなど加工・販売にも乗り出すことにした。
小学校や農業高校などで食育活動にも熱心に取り組んでいる。その中で、消費者に「地元産の豚というが、どこの餌を食べさせていますか」との質問を受け、輸入飼料からの脱却、県内産飼料100%達成を目指す取り組みを始めた。
やまかわ・ふさこ
岐阜県平田町(現海津市平田町)生まれ。6人家族で畑仕事と養豚、加工を分担している。地元の小学生に、安全でおいしいものを食べることの大切さと感謝の気持ちを持つことを教えている。
『食える農業』の鍵は商品の魅力 『甘くて美味しい栗』作りに挑む
林 雅広さん(63)=岐阜県中津川市
教職を定年退職し、妻と二人でクリと落花生を栽培する農業生活に入った。両親から引き継いだクリ畑は退職前から整備し直し、単価アップのため加工施設も用意した。
しかし作った焼きグリは甘さが足りず、不評だった。生クリを冷蔵すると糖度が上がることを知り、大型冷蔵庫を設置。甘さを引き出すことに成功した。販路拡大にも知恵を絞り、消費者の辛口の感想を「天の声」と受けとめ、商品改良に取り組んでいる。
はやし・まさひろ
岐阜県中津川市生まれ。大卒後教壇に立ち、市立中津川南小学校の校長を最後に定年退職。両親の畑を受け継ぎ、妻とクリの生産や直売、ネット販売などを展開する。
『やればできる』柑橘で宝の島〝釣島〟に
山岡 建夫さん(61)=松山市
松山市の沖合に位置する釣島(つるしま)と興居島(ごごしま)でミカン栽培を手がけている。規模拡大に乗り出した矢先、1991に台風被害で甚大な被害をうけたが、家族で危機を乗り切った。 98年ごろからは主力品種の伊予柑の価格が低迷し始め、高付加価値化や新品種栽培の取り組みも本格化させた。
いま最も期待している品種は「紅まどんな」。島全体の活気を取り戻し、子どもがいなくなった釣島を、再び子どもの声が聞こえる島にしたいと考えている。
やまおか・たてお
松山市生まれ。兄のミカン栽培を手伝い、1985年に義父の畑を継いだ。釣島と興居島の間は自家用小型漁船で行き来している。計6人の孫に恵まれ、週末に一緒に釣りをするのが楽しみ。
東京で描いた『農業の夢』の先には
藤倉 啓輔さん(34)=高知県いの町
東京でインターネット販売業を手がけていた28歳の時、流行を追いかける生活に嫌気がさし、一生売っていける物を作ろうと、茨城県の原木シイタケ生産者に弟子入りした。
東日本大震災の発生で関東での独立は困難になったが、高知県いの町が原木シイタケ生産の担い手を探していることを知り、応募した。地域に溶け込む努力を重ね、さまざまな好意を得て、栽培を始動させた。地域が直面する過疎化を克服するためにも、成功させたいと考えている。
ふじくら・けいすけ
いの町地域おこし協力隊員として2012年7月、高知県に妻と移住。シイタケ農家として就農し、原木と菌床栽培に取り組んでいる。13年8月に長女が生まれ3人暮らし。
農業を大切に思う心
川田とも子さん(58)=長崎県南島原市
23歳の時に島原で夫と知り合った。結婚し、子供は3人生まれたものの、農家の生活に息苦しさが募っていた。「もう限界かな」と思った1991年、雲仙普賢岳の噴火災害が発生した。
危険区域の家や畑には入れず、鹿児島の自分の実家で1年近く避難生活を送った。島原に戻れた時には、農業の良さを理解し、再び農業に従事できることに心から感謝するようになっていた。いまは農村に嫁ぐ女性のための環境作り、女性農業者の育成に熱意を持って取り組んでいる。
かわた・ともこ
鹿児島市出身。同県南島原市の農家に嫁ぎ、雲仙・普賢岳災害で1991年から1年、農業を中断するが再開。2男1女を育て、今は夫、長男とイチゴ、メロンなどを作る。