第41回毎日農業記録賞《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞
一頭に注ぐ(新規就農を目指して)
渡邊 賢也さん(18)=宮城県小牛田農林高校3年
農林高校を選んで人生が180度変わる
私が小牛田農林高校に入学し、早2年の月日が流れた。私の家は非農家であるが、家からも近く、多くの先輩方が活躍していることを知っていたため、この高校を選んだ。この選択が私の人生を180度変えるきっかけとなった。
私が在学している農業科学コースには、野菜・草花・作物・畜産の4部門がある。私は幼い頃から動物の世話をすることが得意だったため、専攻班を選ぶ際、真っ先に畜産を選択した。私は畜産について全くの素人で何もかもが手さぐり状態であった。実習中に起こる出来事一つ一つが私にとって初めてのことばかりで、その場その場の対応をとることが精一杯であった。しかし、私は周囲の畜産農家出身者たちにライバル心を抱いていた。彼らに負けたくない一心でがむしゃらに取り組んだ。その結果がだんだんと成績に表れてくるようになり私は畜産農家を目指していきたいと思うようになっていた。
学年が上がり専攻も正式に決まり、本格的に畜産を学ぶことができるようになり実習においても少しずつ自分で考え行動できるようになってきた。そこで、私は一日一日の記録を付け始めた。本当に自分が感じたことを書けば徐々にそのことを知り、より深められると思ったからである。また毎日牛を見ることでその個体の体調、食い込みを自分の目で確かめた。より詳しくなるために私は、毎日畜舎に通うことを決意した。
初めの頃はただ行くだけという感じだったが、徐々に「糞の状態を見て飼料の量を調節する」ということができるようになり、牛の状態を見ただけでその牛の体調の変化なども分かるようになってきた。毎日畜舎に通っていると分娩や種付けなど実習以外で立ち会う機会が多くなった。牛の分娩の際には、休日の代行員のおんちゃんと2人で助産を行ったこともあった。この時、私は食に繫がる命の誕生をこの目で見て感じたことがある。
たとえ経済動物であったとしても、と畜されるまでの数カ月、数年の間、どのような環境で、どのようにして育てていくかによって、家畜達が人にとって「本当に役に立つものとなるか、そうでないものとなるか」が決まってくると思った。つまり、生産者のやり方一つで良くも悪くもなるということであり、私は生産者としての責任の重さを深く感じたのであった。
育てている子牛に風邪をひかせた!
2012(平成24)年7月29日、1頭の子牛が誕生した。生後体重29㌔㌘、母親は代々農林高校の血を受け継ぐ「くにてつ」、父親は家畜改良事業団の「安茂勝(やすしげかつ)」。子牛の名前は先輩により決められ「來羽(くう)」となった。ある時、「この子牛を出荷まで誰か面倒をみてくれんか」と先生の一言を聞き、一瞬「非農家だから無理」という思いが強かったが、「自分が出荷まで育て、一連の流れを自分で管理したい」との思いから、「やらせてください」と名乗り出た。
しかし、私の道を立ち塞ぐ二つの壁があった。和牛は一般的に10カ月で出荷となる。そのため來羽の出荷予定は5月。12年のみやぎ総合家畜市場の市場価格は最下位。過去10年間の平均価格を調べると45万2125円。愕然とした。また、12年の本校の平均市場価格は45万793円。13年の目標価格を50万と定め、出荷までの管理を始めた。
來羽はとても活発で厩舎の中を走りまわっては、壁にぶつかる程のやんちゃ坊主であった。活発だから病気にかからないという保証はなく、私は病気一つさせまいと、衛生管理に気を配り念入りに石灰を撒くなど、予防策を講じていた。ある時、ぐったりしている來羽の姿を見た。8月なのに大量の鼻水。飼育担当として失望した。「ごめんな來羽」。その時、体が勝手に動いていた。「なにやってんだ賢也」。私のとった驚愕の行動に血相を変える先生。私は來羽の鼻水を思いっきり口で吸い出した。味は人と変わらなかったが、ほのかに乳と草の香りがした。その後、先生にはしかられたが、大切なことを來羽に気付かされた。「牛を深く愛すること」。1頭に愛情を注ぎ、市場で高い評価を得ること。これを私の経営理念とし、今まで以上に気を引き締め、管理を行った。
愛情を注ぐというのは感情論ではない。牛と毎日触れ合い、よく観察し的確な飼育管理を行うこと。そして最良の生育環境をつくるのである。今回風邪をひかせた原因を調べていた時、業界誌で「畜舎環境の悪化が生育に影響を及ぼす」という記事を見て、本校の状態を考えた。本校の牛舎は風通しが悪く、糞尿から出るアンモニアが溜まりやすい構造。アンモニアは家畜の呼吸器系に影響するため、体調不良に関係している。來羽に風邪をひかせた原因もその可能性があった。
牛舎を二重に清掃寒くても換気行う
今の私に注げる愛情は、牛舎をくまなくきれいにすること。スコップの後にほうきで掃く二重の清掃。そして愛情とは過保護であってもいけない。何より多少寒くても換気を行うことを忘れなかった。
飼養管理にも重点をおき、胃の絨毛発達を促すため、早期の高タンパク質飼料の給与、さらに乳酸菌などが含まれる発酵飼料を給与し下痢の予防を行った。また飼養管理において便の状態を見ながら、軟便気味の時には飼料の量を微調整するなどしながら下痢を一度もさせなかった。また、良質な粗飼料を給与するため、乾草づくりにこだわる酪農家・笹木さんの家で時間を見つけては研修をさせてもらった。笹木さんから「良質な乾草づくりは雨に当てないことが重要で、天気との勝負ではあるが牛達に良質な乾草を与えるため、この時期は朝から晩まで大変だがそれは生産者にしかできないことだ」と教えていただいた。
あと2カ月で出荷を迎えるため、カッティング・ブラッシングと引き運動を朝晩に分け行うことにした。私は初めてのカッティングのため不安だった。そのため、和牛改良組合の安住さんにご指導いただいた。専用の剃刀を用いて刈っては毛の先端に目線を合わせ毛の密度や長さを整えていく。神経を集中させ、作業は1時間を超えた。じっと黙っている來羽の姿を見て目標に向かっている気がした。
朝7時牛舎。ブラッシングと引き運動、給餌を行う。8時から部活の朝練があり、1時間という限られた時間で行わなければならず、大変だったが、目標を達成すべく、時間ギリギリまで行った。夕方は授業が終わる3時半から5時まで行う。先生に2時間前から繫いでいてもらい、繫ぎ運動は終了。続いてブラッシングを行う。ブラッシングは体表の汚れを落とし、毛並みを整えるために行う。顔から始まり、牛の手の届かない股や腹底を念入りに行う。來羽はリラックスしているのか、尾を上げてくれた。1日トータル2時間半、土日も試合がない限り同じ管理をした。
來羽の出荷前日となった。目標50万と言っていたが、なんだかさみしくなってきた。しかし市場では良くも悪くも評価される。自分と來羽がどのような評価を受けるか、そんなことを考えながらいつものように管理をした。
出荷当日、体高も胸囲もよく出ている。余計な皮下脂肪もなく毛艶は最高。毛並みも整った。最高の状態に來羽を仕上げることができた。しかし、來羽はいつもと違うことを察知したのかそわそわしていた。運搬車に乗せる際、引き運動の効果もあって、スムーズに乗せることができた。私も市場に向かい來羽を待った。運搬車が到着し、來羽を下ろした。なんか目が違う。興奮していた。初めての場所で何をされるか分からないという恐怖感から落ち着かなくなっている。このままではほかの牛に迷惑をかけてしまう。私は優しく「バ〜ヨ、ヨシヨシ」と声をかけ、ブラッシングを行った。なんとか落ち着きを取り戻してきた。
來羽の番号が迫ってきた。繫ぎ場から連れ出し、競り場へ入場させた。思いのほか、購買者は多く、「これはいけるかも…」と思ったが、「21万円から」競り人の第一声は厳しい評価だった。競り値はどんどん上がっていく。しかし、値段の勢いも40万を過ぎたあたりから落ち始め、値段が決まるのも目の前であった。私は目を閉じ願った。ブザーが聞こえた。目を開けると52万4000円の表示。すぐには状況が呑み込めなかった。伝票をもらいやっと信じることができた。
しかし、値段が決まったということは來羽との別れを意味している。だが悲しいことだけではない。値段=評価と考えると高い評価を受けたということを値段から読み取ることができた。今回、來羽は町内の肥育農家さんに買っていただいた。今後は來羽の成長の様子を見学すると共にアドバイスをいただきたいと考えている。
「和牛繁殖経営」で地域を担っていく
私の夢。年間2500万の粗収益を目指す和牛繁殖経営。その実現に向け、私は1頭に注ぐ理念を胸に北海道に渡った。研修先は、新規就農から18年で80頭規模まで築いた日高の和牛繁殖農家、春木さん。何もかもが学校の経営を上回る規模で刺激を受けた。広大な土地に放たれた牛1頭1頭をすべて把握していたことに驚いた。1頭に注ぐ経営と多頭化。それぞれ相反する経営。その二つがうまく結び付くための条件をこの研修で私は学んだ。
一つは自家繁殖を基盤とした平均的な牛群管理を行うこと。そうすることで個体の条件が揃うため管理がしやすくなる。もう一つは牛がストレスを感じることなく過ごせる環境をつくり、免疫力の高い牛群を作ること。1頭に注ぐ理念とこの二つの条件が融合し、私の夢は現実へと近づいた。
「人を働かせ、牛を働かせる」。日高の春木さんの言葉である。人が1日しっかりと働く、そうすることで牛1頭が誕生から出荷までに能力を最大限に出し切る。私の取り組みが実践に活用できるものであったことを肯定してくれた。
私は農業大学校に進み、牛群管理に向け育種や繁殖学について学び、人工授精や受精卵移植技術を身につけたい。その後はさまざまな基金を活用し、用地、素牛の取得、牛舎建設を考えている。高校で自ら実践し、体得した理念を忘れず、足腰の強い和牛繁殖農家に私はなりたい。研修中に疲労で私は高熱を出した。大規模経営での個体管理は難しいことを思い知らされた。
しかし、強い意志を持ち続け、自分の信念を曲げず、地域の担い手として和牛繁殖経営に人生を捧げていきたい。
わたなべ・けんや
友人は「根は優しく努力家」と評し、学校では男女の仲間に囲まれ笑顔が絶えない。旅行が趣味で、北海道の和牛繁殖農家の元へ一人旅したことも。両親、妹、弟、祖母の6人暮らし。