第43回毎日農業記録賞《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞


私の農高ラプソディー~農業高校満喫編~

山口県立大津緑洋高等学校  生物生産科3年 藤山理穂

私の農高ラプソディー~農業高校満喫編~ 山口県立大津緑洋高等学校  生物生産科3年 藤山理穂

1 私が農業高校を選んだ理由

朝5時、目覚ましのベルが鳴ります。私は何とか起き上がり、顔を洗うと、すでに母が朝食の支度に取りかかってくれています。私も配膳を手伝いながら、こんどは父を起こします。私の母は、栄養教諭で、小学校や中学校の給食をつくっています。「豊真将も豊響も、私の給食で大きくなった。」が口癖の母は、ありがたいことに私の食事とお弁当をいつも笑顔で用意してくれます。父は農業高校の先生で、車で1時間かけて県中心部にある学校に通勤しています。もともと、勤務先の学校近くに単身赴任していたのですが、学校に行きたくないと言い始めた私を見かねて、一緒に生活するようになりました。

中学3年の夏、進学について迷っていた私に、「農業高校の生徒は生き物が相手。毎日楽しそうに勉強しているぞ。」と声をかけてくれました。動物が好きだった私は、犬や猫に興味はありましたが、正直、牛や鶏はちょっと違う、と感じていました。だって、人間が食べるために育てている動物。最後は殺して食べちゃうのでしょう、と。お肉に愛情なんて注げないって思ったからです。その3年後に、まさか自分が牛を引いて競り市にでているとは夢にも思わずに…。

2 馬クラブでの試練と決意

そう、迷った末に私が進学先に選んだのは、列車で約1時間、駅から学校まで歩いて20分かけて通う農業高校でした。農業に興味がなかったわけではありませんが、家が農家でない私は、農業をやりたいという自覚はそれほどなかったと思います。偶然見た学校紹介のパンフレットに”馬クラブ”という文字を発見し、馬の世話をしながら乗馬を楽しみ、馬とともに高校生活を送る。なんてすばらしいことだろうという、農業高校生としては少し不謹慎で甘い考えでいたことも事実です。

晴れて入学し、いざ、馬クラブに入部してみると、朝5時起き、夜9時帰宅、土日祝日例外なしの、地獄の毎日が待っていました。ボロだし、ブラッシング、散歩、えさやりと次から次に仕事が待っています。体育の授業や農業実習でどんなに疲れていても、これだけはやらないといけません。噛みつかれてあざができても、ボロをからだに思いきりかけられても、馬クラブに入りたくてこの学校を選んだのですから、弱音を吐くわけにはいきません。

入部してまだ間もないある日、オレガノという名前の馬が病気にかかりました。夏に体調を崩し、部員みんなの看護で何とか立ち直ったのですが、秋にまた病気になってしまったのです。病名は疝痛。おなかにガスがたまり、放っておくと死んでしまう病気です。すぐに獣医さんを呼び点滴をしました。私はまだそのとき1年生だったけれど、先輩たちがオレガノにつきっきりで看護をしていたのを覚えています。そのかいあって、何とか良くなることができたのですが、もし、先輩たちが卒業して、私たちだけでこのような事態が起こったら、先輩たちのように判断し、きびきび行動ができるだろうか。馬を死なせないようにできるだろうかと、とても不安な気持ちになりました。その後、オレガノを昔いた牧場へ返すことになりました。オレガノが乗ったトラックを見送るとき、悲しさと、何にもできない自分の無力さで、涙が止まりませんでした。このとき初めて、動物についてしっかりと勉強しよう。知識を持って世話ができるようになろうと真剣に考えるようになりました。馬クラブには、2頭の年老いたポニーが残りました。この2頭を私の力で幸せにする。そんな使命感をあらためて持ちました。

3 失ったものと新たに得たもの

2年生になり、動物関係の勉強をすると決意した私は、畜産を専攻することにしました。畜産専攻班では、牛の手入れ、イタリアンライグラスなどの飼料の収集、鶏舎の掃除、卵の収集・パック詰めなど、たくさんの実習を積極的に行いました。1年生の時、農業の勉強にあまり積極的でなかった私は、生まれて初めてというくらい、一生懸命勉強をしました。牛の消化器官と馬の消化器官の違いについても学び、馬の方が消化器の病気になりやすく、注意して飼育しなければならないことも知りました。毎日世話をしていると、牛にも、鶏にも、愛着を感じるようになりました。

実習もだんだんハードになってきました。自分の何倍もある牛を押さえて、ケガの予防のために角を切ったり、肉質改善のために去勢手術もしました。私の腕っぷしもだんだん強くなってきました。さらに衝撃的な実習は、ピーちゃんと名づけ、雛から育ててきた鶏を絞め、羽をむしり、関節をはずし、包丁で解体し、焼いて食べたことです。名前を付けなきゃよかったと、真剣に後悔しました。こうして、ハリウッド映画並みのスリルとサスペンスで、新しい実習が次から次へと押し寄せてきました。

でも、解体して食べた鶏はとてもおいしかった。「こんなおいしい肉は今まで食べたことがない。」そう思いました。でも、このとき、私の中で何かが変わったような気がします。今まで持っていた動物に対する価値観が壊れ、そのかわり、今まで持っていなかった何か新しい力を得たような。「命ってなんだろう。」とつぶやきました。

4 課題研究と100年の恋

大津緑洋高校のある山口県長門市は、焼き鳥で町興しをしようと頑張っています。おなかの中に入ったピーちゃんの感傷に浸る間もなく、私たちも、”長門やきとリンピック”に参加して、長門市の焼き鳥のうまさを明るく楽しくPRしました。今年も”やきとり祭り”が開かれ、焼き鳥の長さ世界一のギネス記録に挑戦して見事に成功し、大いに盛り上がっています。地元の養鶏も盛んで、山口県が開発した”長州黒かしわ”のおいしさを全国に知ってもらおうと努力しています。

しかし、大規模の養鶏では悩みもあり、大量に出されるフンの処理など課題も多いのです。そこで、私たち畜産専攻班は、鶏ふんからリンを回収して、肥料として再利用できないか確かめるプロジェクトを立ち上げました。鶏ふんをそのまま肥料にしても良いのですが、臭いがきついのと不純物を多く含んでいてリンの含有量が正確に把握できないという欠点があります。そこで、鶏ふんからリンを純粋に取り出そうという試みをしました。最初は鶏舎から鶏ふんを集めて塩酸で溶出したものをアンモニアで固定し取り出そうとしましたが、萩市にある岡村環境技研というところで成分を調べてもらったところ、リンの含有率は思ったよりも少ないことがわかりました。また、大量の鶏ふんを処理するには、この方法ではできません。そこで、乾燥した鶏ふんを燃やして灰にした後、リンを取り出そうと考えました。

鶏舎内にいる100羽分の鶏ふんを集め、堆肥舎内で広げ、自然乾燥させます。3週間ほど、毎日反転を繰り返しましたが、その臭いの強烈なことといったらありません。着替えても、体に染みついた臭いは消えず、帰りの列車では同じ車両に乗り合わせた人が、一人また一人と隣の車両に移っていくのがわかりました。家に帰ると父が、「うっ、100年の恋も冷めるぞ。」と叫び、母は私と作業着をつまんで風呂場へ連れて行く毎日でした。 「100年くらいで冷める恋なんか、なんぼのもんじゃ。」と強がりはしたものの、この実験がうまくいくかとても不安でした。仲間とともに昼も夜も工夫を凝らし、実験を重ねた結果、15.6㎏の灰化した鶏ふんから、乾燥重量で1.28㎏のリンの抽出ができ、そのリンのペレット化にとうとう成功しました。お世話になった地域の農家の方たちにペレットを配ると、とても驚かれ感謝されました。夏の山口県学校農業クラブ連盟大会で、この成果を仲間とともに発表しました。そして、プロジェクト発表”環境の部”で最優秀賞をいただくことができたのです。苦労した仲間たちと抱き合って喜んだことは高校生活で最高の思い出になりました。

5 お肉の値段と命の値段

牛の競り市で、子牛を引く係に選ばれました。久しぶりの緊張です。競りの順番を待っている間、同じように競り出しに来られた農家の方が、私の引いている子牛の特性や育て方など、いろいろ問いかけてこられました。話をしているうちに、ああこの方も、牛をとてもかわいがり、強い愛情を持って育ててこられた方なんだなと思いました。苦労話で盛り上がっているうちに、私の順番が回ってきました。アナウンスで去勢日や体重、損傷カ所などが紹介され、スタートです。競りは45万円から始まり、70万8500円で落札されました。愛情を持って育てた子牛が高値で売れて「よかった。」と思う心と「本当は行ってほしくない。」という心が入りまじり、複雑な気持ちになりました。

山口県の農業高校では、ニュージーランドの農家に滞在し、その生活を体験する「ニュージーランドINファームステイ」という研修があります。私もその研修に参加することができました。50ヘクタールの広大な農場に放牧されている牛は、すべて自然分娩でほったらかしです。農家は、野山で産まれた子牛を、自分たちの牛舎まで連れてくれば良いのです。死産も多く、子牛の牛舎の横には、死んで産まれた子牛が、本当に無造作に山積みされていました。日本ではこんな光景を見たことがありません。まさにビジネスです。ニュージーランドの人たちにとって、牛は肉なのだと感じました。では、ニュージーランドの人たちは愛情のかけらもない人たちなのでしょうか。いいえ、そうではありません。ニュージーランドの人たちにとって家族同様の愛情を注ぐ動物がいます。それは、シープドックです。主人の口笛に合わせ、ヒツジや、牛を思い通りに誘導するシープドックは、仲間であり、大切な家族なのです。ニュージーランドの人たちは肉と家族をはっきりと分けて生活しています。

ところがどうでしょう。日本では、たとえ肉になる牛でも家族同様に愛情を持って育てます。なぜなのでしょうか。生活スタイルが外国とは違うのでしょうか。いずれにしても、私にもわかることがあります。愛情を持って育てた牛の出荷だからつらいのです。涙が出ます。そして、高値がつくとうれしいのです。そして、食べると限りなく、そうです、限りなくおいしいのです。

私は思います。日本の牛の値段はお肉の値段ではなく、愛情を注いだ命の値段ではないかと。いや、命に値段をつけるなど不謹慎だ、という人がいるかもしれません。でも、最近の私たちは、命の価値やありがたさをとても小さく考えてはいませんか。私は、命は愛そのものだと思います。「愛情を注がれた命」の価値はとても大きいのです。そして、いただくときに涙をかみしめながら食べるものなのです。命をありがとうと。

6 農高ラプソディー

私の波乱に満ちた農高生活も終わりに近づいています。馬クラブの乗馬会を毎月楽しみにしている、ハンディのある子どもたちが明日やってきます。その子たちの命が笑顔ではじけるように、2頭の年老いたポニーに、「明日は頑張ろうね。」とささやきました。そして、愛情をいっぱい注いでブラッシングをしてやります。「お前たちは幸せかい。」と問いかけながら。

担任の先生に進路をどうするか聞かれ、素直に「畜産の勉強を続けたい。」と答えました。私も、親や先生、友達にたくさんの愛情を注がれて、ここまで生きてきたのだなと思いました。でも、親にはまだまだ素直になれないこの命、その価値を、もっともっと大きくするために、これからも努力していこうと思います。

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