第44回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞・新規就農大賞


桑畑の再生から広がる未来

山梨県市川三郷町 楠 三貴さん(34)


「桑の苗を2万本植えよう」

2013(平成25)年、耕作放棄地再生利用緊急対策事業で綺麗になった2ヘクタールの畑を借りた。

3月から桑の苗の芽が芽吹くまでの約1カ月半で2万本の桑の苗を植えるという、とんでもない計画だ。

「どんなことがあっても、私は未来のためにここで産業を作る」

桑の苗を植えながら、見たこともないくらい太く長いミミズや、手のひらにずっしり重みを感じるカブトムシの幼虫が面白いくらいゴロゴロ出てきた。

強い風が傾斜のある畑に吹き込んで体力を奪う。滴るほどの汗を流しながら、畝を作り、お手製のメジャーを使い間隔をとって穴を掘り、桑の苗を入れて土をかけ、踏み固める。そのあとは、マルチだ。腰にくる。

大丈夫。土地は肥えている。この畑に夢いっぱい、希望いっぱい託して、桑を植える。

「2万本植えるって言ったことを……少し後悔している。ワハハハハハッ」そんな冗談か本気かわからないことを笑いながら言う主人を見て、なぜか涙がでる。体は大変でも共に同じ方向を見て歩けることが誇りであり幸せだ。

韓国出身の主人と神奈川県出身の私が、ここ山梨県市川三郷町に移り住んだのは2007年。

縁もゆかりもない土地に私たちが移り住むことになったのは、父が始めた桑の葉茶の事業を引き継ぐことになったからだ。

04年に父の桑の葉茶製造販売の会社立ち上げと時を同じくして主人は来日した。将来韓国に長く住むことになる私のために、1年くらいは日本で私の両親に親孝行をしてあげたいと来てくれた。

町から車を走らせて、県道のくねくねと曲がったカーブをいくつも越えて行きながら、あちらこちらに荒れてしまった桑畑が目立つ。神奈川県で桑の葉茶の販売をしていた父が、市川三郷町に遊びに来た時に、山梨県の基幹産業であった養蚕の衰退によって荒れ果てていく桑畑の現状を聞き、なんとかしようと立ち上がった。雲海が広がる標高550メートルの山間地にある農協の跡地を、桑の再生で使うのならば、ということで借りられることになり、始めたのが桑の葉茶の製造販売であった。会社立ち上げ当時は、養蚕農家を一軒一軒回り歩き、桑の葉を譲ってくれないかと頼み込んだ。養蚕農家からしてみれば、蚕の餌という常識の中で、また県外から来たよそ者の父が桑の葉茶を作ろうとする姿は、なかなか受け入れられなかった。

その中でも数軒の養蚕農家から協力してもらえることになり、なんとか桑の葉茶づくりにこぎつけた。

08年に父から事業の全てを任された。新しく「株式会社桑郷」を設立した。会社の形は作ったものの経営や営業の経験もなく、人脈や十分な資金もなく、どうしていったらいいのかわからなかった。できることからやろうということで、印刷機をリースで契約し、手書きのチラシを作り主人が1日1000枚ほどポスティングに走った。私は町内、そして近隣の町の地図に1軒ずつ印をつけながら訪ね歩き、桑の葉茶の紹介と販売をして回った。イベントがあると聞けば、出かけていき桑の葉茶の販売をさせてもらった。

2人で会社を任された夏の桑の葉の収穫シーズンには、父がまとめた桑生産者組合から桑の葉を購入し、製茶工場に持ち込んで500キログラムの桑の荒茶を作った。

09年には1・3トン、10年には1・5トンと着実に生産量と販売量を伸ばしていった。イベントや展示会、デパートでの物産展などに積極的に参加して販売を伸ばしながら、気にかかるのは地域農業の高齢化が進み、安定的な桑の確保が難しくなってきていることだった。平均年齢75歳を超えている。それでも桑畑を荒らしてはいけないと、なんとかやっている生産者が20名ほど。この高齢化の中、今の状態で私たちが販売に力を入れても、5年後、10年後の先は見えない。生産者会議を開くたびに、そんな不安が付きまとっていた。実際に生産者が病気になったりお亡くなりになったりという現実が突き付けられた。

そして踏み出した。

これからのこの地域を作っていくのは、私たち若者なんだ。

やらなければならないのは、自社で桑の葉の栽培も始めるということ。農業に携わるということ。

11年、桑の葉生産者の中でも一番収穫量が多かった長田英俊さんが亡くなり、奥さんからは桑畑を山に戻すと言われた。それならばと、桑畑を借りることになった。製茶加工・商品作り・営業・販売まで2人でなんとかやっていたところに、さらに桑畑の管理、収穫をすることになった。

思っている以上に、桑畑の管理は大変だった。お客様に健康茶として販売しているため、農薬を一切使わないで畑を管理するからだ。草刈り、剪定、肥料まき、またまた草刈り、株元は刈払機を使えないため、手作業で除草作業をする。農業の奥深さを知った。

12年、営業の成果もあり、少しずつ販路も広がってきた。隣町の製茶工場を借りて桑の葉茶づくりをしていたが、生産量増加に伴って、会社敷地内の広い倉庫を片付けて、中古の製茶機械を導入。なんとか自社工場を作って製茶ができるようになった。

とにかく必死だった。

ひたすら前を見た。できると信じた。

そして13年。「桑の苗を2万本植えよう」

2万本の桑の苗を植えた。将来的には10万本植える計画だ。

私たちにあるのは、なんとしてもこれを産業にして地域の活性化に繋げていくんだという熱い想いと、体力には自信がある主人の大きく頑丈な身体だ。

農業経験もない私たちに熱い手助けをしてくれたのが、桑の専門家である峡南農務事務所の山本さんだった。休日まで返上して全面協力してくれた。山本さんは「最初話を聞いた時、多分植えても2000本ほどだと思ったのに、一度に2万本と聞いた時にはびっくりした。日本人だったら、様子をみて、うまくいけば少しずつ増やそうというのが普通の考え方だが、一度にこれだけの本数だとは……」と頭を抱えながらも、どこの畑に何本植えるのか、畝間・株間の距離、植える溝の掘り方、機械の使い方、植え方、剪定の仕方、何から何まで指導してくださった。

そして2万本の桑の苗を植えるという想いを、できるだけ多くの人に発信した。

すると、桑の葉茶を販売してくれている会社さんが社員を連れて遠い広島県から苗植えに来てくれた。元同僚が岡山県から泊まり込みで手伝いに来てくれた。

子供たちにとっていい経験になるからと言って、東京や埼玉県、愛知県や神奈川県、また県内各地からも友人知人が家族みんなで苗を植えに来てくれた。

若い農業就農者の応援ボランティアをしている方が何人も集めて連日通ってくれた。

どれだけ有難かったか。私は、ありったけの愛情を込めて、来てくれた人のお昼のお弁当を作った。心が熱くなった。

2人だけじゃ到底できなかっただろう。

「10万本の桑の苗を植えるということは非常に意味のあることなんだ。これがこれからスタッフを100人、500人、1000人と増やしていく夢の出発点になるんだ」

心配と不安に駆られる私に、主人はいつもそう諭してくれる。

そしてその年の収穫シーズン、前年度に比べ2倍以上の桑荒茶10・5トンを加工できた。

14年には、認定農業者となり、農業生産法人として認定していただけた。町内に散在する耕作放棄地を農地中間管理事業により借り受け、桑の苗を1万6000本と桑の実の苗を420本植えた。将来は桑の実の観光農園をしたい、桑の実を活用した6次産業化への取り組みの夢が広がっていく。

さらに製茶工場を増設。敷地内にある自家菜園を泣く泣くユンボで掘り起こした。真夏の照り付ける太陽の下、自分たちで基礎を作った。大工さんに教えてもらいながら砂利を入れ、コンクリートを流し、手作業で均した。そして、以前の2倍の広さの製茶工場が出来上がった。

その年の荒茶生産量は過去最高の12トンになった。

主人の勢いはそこで止まらない。どんどん加速していく。ご縁があって、フィリピンのパンパンガ国立農業大学に桑の苗を試験的に2000本植えた。主人はこれが種まきなんだという。世界に繋がっていくという素晴らしい未来を収穫するための種まきなんだと。だから資金繰りが

大変だとか、すぐには利益に結びつかないだとか、そう心配するなと。経理を担当している私としては、銀行からの借り入れも重なり毎月ヒヤヒヤしている。夢が膨らむと同時に、借り入れも膨らんでいくからだ。

そんな時も「ガハハハッ」と豪快に笑う姿で、どんなに不安や心配事があっても、この人についていけばなんでもやっていけそうな気がしてしまう。

15年、JICAの中小企業海外展開支援事業の案件化調査に採択されて、本格的にフィリピンの海外展開が始まった。種をまいたものが芽吹いてきた。強い想いがどんどん現実になっていく。志をもってひたむきにやり続けていくと、多くのご縁をいただく。そのご縁がさらに化学反応を起こす。志をひとつにする仲間が増えてくる。

ここ、市川三郷町山保は小学校の全校生徒が10名、保育園児は5名という過疎の村だ。

そんな山間の村に、フィリピンの農業大学の学長と教授陣が、桑畑の見学と収穫体験をしに来日した。主人の大学時代の先輩が韓国から息子たちを心身ともに鍛えてくれと送り込んでくる。

大自然の中に日本語、英語、韓国語が飛び交う。地域の子供たちの家にホームステイをして国際交流が生まれている。

働き場がなかったお母さんたちが、桑郷で働き始めた。

そして、一緒に仕事がしたいといって、町内の若い青年たちが仲間に加わった。

収穫シーズンのスタッフも増えた。そこには、以前、桑の葉生産者組合で桑葉の出荷をしてくれていた生産者もいる。自分では畑は管理しきれないけれど、収穫スタッフとしてだったら働くことができると言って、毎朝来てくれている。

こうして仲間が増えた。そして家族が増えた。そして喜びもやりがいも増えた。

15年に甲府青年会議所が設けた、ふるさとのために頑張る人を顕彰する「地域力大賞」の大賞を受賞した。

そしてUTYテレビ山梨が4年間密着取材をして制作されたドキュメンタリー番組「アンニョンハセヨ!ワタシ桑ノ集落再生人」が、日本民間放送連盟賞の青少年向け番組で最優秀賞を受賞した。

収穫体験や研修に来たいという話をたくさんいただくようになった。

先日20名が収穫製茶体験に来られた。

研修に来た若者を前に、いつものように熱く語る。「自分の中から輝く種を探して、植えてほしい、そして育ててほしい。いつかそれを収穫する日が来る。それぞれが輝く一人ひとりになってほしい。それが日本を輝かせることに繋がるんだ!皆さんは日本の希望である!」

人が集まるところに、すごいエネルギーが満ち溢れてくる。

主人のぶれない想いが軸となり、使命感となり、生きざまになっていく。

熱く語る主人を横で見つめながら、あなたが「未来のためにここで産業を作る」と決意した当初のその想いは、確実に現実になってきていますよと言いたい。

これから桑の葉茶を通してここ市川三郷町に健康と希望、そして信頼で繋がるみんなの故郷を創りあげていきたい。関わる人の夢を応援できる場所でありたい。若者が喜んで農業に取り組める場を作っていたい。だから誰よりも汗をかこう。常に学ぼう。大自然の前に謙虚になろう。

養蚕が盛んだったころの景観を取り戻した青々とした桑畑が、今日もそんな私たちの想いを優しく包み込んでくれている。

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