第47回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞・中央審査委員長賞


私と島原百年生姜の物語

松本 綾子さん=長崎県島原市

 生姜との出会い  非農家出身の私が、農業大学校で知り合った夫と結婚したのは平成6年、24歳の時でした。夫は長崎県島原市の露地野菜専業農家の後継者でした。その当時、松本家では生姜をはじめハクサイ、ダイコンなどを雲仙・普賢岳の火山灰土のミネラル豊富な土壌を活かした土づくり等にこだわって栽培していました。特に私が感動したのは、生姜の美しい葉です。スーパー等では見られませんが、ササのように「シュッ」とまっすぐ伸びている葉の美しさは格別です。

 結婚してしばらくしてから、私はハクサイなどの他の野菜は市場等に出荷し、自分たちで積極的に売り込み、品質が良いものは高い値が付くのに対して、生姜は青果業者が先方で決めてきた価格で、全て品質が良いものまで畑で買い取っているのを見て不思議に思いました。「お義父さん、なぜ生姜は一つも自分たちで売らずに青果業者さんに引き取ってもらうのですか?」と聞くと、義父は「生姜は売りきらんから」という短い言葉を返しました。我が家は生姜栽培を始めて100年以上続く農家です。私は「おかしい!こんなにおいしい生姜が、どうして自分で売れないんだろう?」と疑問に思い、「自分で売ろう」と心に決めたのでした。

 ここからが、生姜に魅せられた私の物語の始まりです。それから私は、積極的に商談会に参加し、「生姜が欲しい」と言われる方がいらっしゃったら会いに走り回り、3年後には青果業者には一つも売らない状態にすることができました。

生姜を脇役から主役に

 次に私が取り組んだのは、農業の6次産業化です。

 加工品作りのきっかけは平成23年、長崎県JA中央会主催の「ご当地スイーツコンテスト」で「島原市の生姜を世に広めたい」と、当時農業高校に在学していた息子と一緒に考案した「プリンdeしょうが」が最優秀賞を受賞したのがきっかけでした。続いて島原市特産品新作展では「パンナコッタdeしょうが」が最優秀賞を受賞しました。「生姜はソーメンの薬味、脇役やろー」などいろいろなことを言われますが、「生姜を料理の脇役から主役にしたい」という思いで作った加工品です。これが乳製品とよく合い、おいしいんです!

 「受賞したプリンやパンナコッタが食べたい」というお客様の声を受け、賞金を元手に業務用のオーブンを購入し、自宅敷地内に加工場を作り、加工・販売に本格的に取り組み、平成25年に6次産業化総合化事業計画が農林水産省に認定されました。といっても、大きなことは初めからできません。加工場は身の丈に合わせて小さく作りました。加工・販売も始めましたが、生産があってこその加工の仕事であり、ここを履き違えないようにいつも心がけています。

 一方、「生産者だからこそ、生姜全てを知り尽くしたい」と、私は「生姜」の味や香りを追求するだけでなく、健康への効果や調理法も学ぼうと薬膳や料理教室にも通い、そこで得た知識を商品作りに役立て、野菜ソムリエプロや薬膳フードデザイナーの資格も取得できました。更に資格を取得したことで、レストランメニューの提案や地域の料理講習会の講師等、島原の生姜を世に広める仕事が入ってきました。

 もともと私は料理をするのも食べるのも大好きですし、生活改善グループ員だった義母から加工の指導も受けていましたので、品ぞろえは増えに増えて、今では生姜の加工品が13種類になりました。加工品は自社だけでなく、農商工連携ファンド事業を活用した県内菓子製造業とのコラボ商品に発展し、「島原百年生姜クルスワッフル」の販売も始まりました。その時に「島原百年生姜」で商標登録もしました。商標の手続きなどは分からない世界でしたが、弁理士さんや長崎県発明協会のご支援で学ぶことができました。

 その他「ジンジャーシロップ」や「生姜飴」は、「体がポカポカする」「せきが止まる」と、リピーターのお客様が口コミやインターネット交流サイト(SNS)で広げてくださいました。私は安心して食べられて体にいいものを提供したいので、生姜だけでなく材料の卵やハチミツなども、地元産か国産にこだわり使用しています。私の頭の中では「生姜をどうしたらおいしく、消費者の皆様に安心して食べていただけるか」という想いがいつもグルグル、グルグル回っています。

私もステップアップ

 平成29年は、私にとって三つの大きな節目になる年になりました。

 一つは、法人化を行い、株式会社人作になった事です。「人作」とは、松本家の江戸時代の先祖のお名前で「農業は食を作りそれを食べて、満たし、人を作る」と、大変いい名前だと思い会社名にいただきました。人作ご先祖様から始まって夫で農業経営は5代目、150年以上続いています。法人化した事で雇用者に社会保険、厚生年金を付けることができ、個人の人権の保障ができたことが一番うれしかったことです。次にうれしかったのは、夫が総責任者、私は加工・販売部門の責任者として、子供たちも含めた農業経営の将来ビジョンを明記できた事でした。

 二つ目は、食の安全や環境保全に取り組む農場に与えられるJGAPの認証をいただいた事です。そして最後の三つ目は、島原市の生産者の方々と香港へ販売+商談会に行ってきて、生姜が初の海外進出をした年になりました。

島原百年生姜をプロデュース

 振り返りますと結婚した当時、流通過程で農業者ができることは生産だけでした。出荷してもその先は分からない。どれだけ手塩にかけて生姜を育てても生産農家の名前は消され、他の生産者が作った農産物と一緒にされていました。取引価格についても、「味」は考慮されずに規格と相場で決められてしまいます。しかし、今、農業者にできることは生産だけではなくなりました。生産から販売まで一貫して自分でプロデュースでき、消費者と直接対話ができるようになりました。それを実現できる媒体が、私にとっては「島原百年生姜」だと思います。

 本当に農業は「想い」一つで楽しくできる職業です。もちろん、つらいこともたくさんありました。天候不順で思うように野菜ができず、落ち込むことも多々ありました。そんな時に支えてくれたのは、家族でした。私らしく生きられる一番の応援団です。小さな家族というコミュニティーが仲良くしっかりしている農業経営は、地域・市・県・国・世界と大きなコミュニティーまで広げる事ができると思います。

 「きつい、汚い、かっこ悪い3K産業」と農業が例えられることも過去にはありましたが、「かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業」になる時代が到来したのです! 私たち家族はその3Kに向かって今歩きだしています。

バックパッカーの 専用施設を作りたい

 そのうちの私の夢は、バックパッカー専用施設を作ることです。国内外から来ていただいたお客様に、農作業を手伝う対価として、かまどを使った料理や五右衛門風呂を沸かして入るなど昔ながらの農家を体験してもらう。そんなことをインターネットで発信し、「ネット世界で広がる綾子ママ」と呼ばれたい。想像しただけでもワクワクします。

 「逢う人はみな財産」。私が大好きな言葉です。島原に嫁いだ時には手を振る友達も誰一人いませんでしたが、今では、たくさんの方々に助けられ、支えられ本当に幸せな日々を過ごしています。毎日が感謝、感謝です。そして、私と島原百年生姜の物語はまだまだ続きます。

 どうぞ、これからもお楽しみに!

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